2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年4月

  
2011年4月1日。金曜日。晴れ。
連日の陽気。そして4月。
桜の蕾が大きく膨らんで、樹影そのものが赤っぽくなった。ところどころ小さな花がある。まさに咲き始め。震災の地は、いつもでも展望の見えないなかで呻吟しているのに、残酷な西日本の春だ。

やはり日本の経済大国というのは偽物であった。文明の程度がついてきていない。


さて、原発の行方は気になるものの、金曜日の夜。ほっとした気持ちで夕凪亭に入ると孤独な独房が全身を包んでくれて、心身共に癒される。

その空間で、ホラー小説を読むことによって、自己の頭の中の錆を掃除したい。
 
2011年4月2日。土曜日。晴れ。
朝から目がかゆいな。花粉のせいだろうか。普通の目薬でもさしておこう。目薬というのは大部分がこぼれるので、もったいないと思う。もう少し小さい孔でもよいのにと思うが、メーカーとしてはたくさん使用して貰ったほうがもうかる。

今日もよく晴れている。桜はどんどん進みそうだ。新聞からさらに地震・原発の報道が減る。このまま国民から忘れさせて、また馬鹿騒ぎの日常を取り戻せというのだろうか。

自民党との大連立構想には呆れた。民主党には政権を維持する力も、大震災の復興と原発問題の解決をリードする力がないということがあきらかになった。そこでにわかに自民党の力を借りようというのだからお笑いだ。さっさと政権を譲り渡すべきだろう。そして、自民党はこれまですすめてきた原子力政策について総括すべきなのだ。いっそうのこと東電を国営にしたらどうか。

貴志祐介「黒い家」(角川書店)は、実に恐い小説であった。次はイソラ。

昼過ぎから曇ってきましたが、気温は19℃まで上がりました。すっかり春で、時々ストーブを消しました。そろそろ夕凪亭も夏モードに移行しようかと考えております。

夏モードというのは暖房効率を上げるために、天井から床まであるカーテンで1:2に区切ってあったのですが、それをとりはずす、ということです。このカーテンをはずすと、他のものの位置関係がよくなるので、できるだけ早くそうしたいのです。
 
2011年4月3日。日曜日。晴れ。
gooの天気予報では、昨日より3℃低いということであるが、かなり寒く感じる。朝から曇っていたが、8時過ぎになって薄く日が照りだした。

朝起きてイソラを読んで、地方紙へ。

被害を被っていない原発もさらなる安全対策を求められているのは、国の内外を問わず当然のことだろう。しかし、近くでは九州電力で夏の受給バランスの逆転が予想されている。西日本全体、特に原発依存率の低い中国電力が協力して計画停電などしないようにすべきだろう。

何もかも自粛する必用はないという声があるが、でも、特に電気がらみのものは自粛して節電に勤めよう。

さて、今日は、もう少しして因島へ。・・・4時に帰って、イソラを読み続けて、やっと夕ご飯前に終わる。
貴志祐介「13番目の性格 -ISOLA-」(角川ホラー文庫)。
恐くはないが、よくできたSF作品です。
 
2011年4月4日。月曜日。晴れ。
またまた巡り巡って月曜日。
朝からよいお天気。明るい日射し。桜はどんどん開いていく。

汚染水流出止まらず、封じ込めに数ヶ月・・などと相も変わらず悠長なことを書いてある。こういうのは国家非常事態ではないのか? 悠長に選挙などしている暇があるのか! 徹底的に避難して、外国のスペシャリストの応援も頼んで、もちろん国内の学者も総動員して計画的な対処を望みたい。政府主導が主導になっていない感じ・・・。
 
2011年4月5日。火曜日。晴れ。
気温は低いけれど,太陽は輝いており,明るい春の朝だ。
だが,新聞を見るだけで気が重くなる。
地震関係の報道がまた増えたことはよいのだが,中身は深刻。

原発も,もうどうしょうもない。汚染水を海洋投棄。専門家にははじめからわかっていたこととは思うが・・・。

それに,心配していた義捐金も,まだ支払われていないということだ。一刻も早く被災者の方々に届けてほしいから義捐金に回した人も多いはずだ。人の善意を踏みにじっているような思いだ。

でも、お金ですからね。物品の不平等は少し怒れば済む。でもある人はもらった、別の人はもらわなかったとか、おなじような被害や不幸にあっていながら差が大きかった、などということはあとあとまで批判の対象になる。ましてなにがしのかの金がある町で行方不明になった、などということになれば義捐金という制度の崩壊だ。慎重にやらないといけないことは重々承知だ。でも、遅い。必用としている方は多いのに。・・・これが我が国のスタイルであるかと思うと情けない。
 
2011年4月6日。水曜日。晴れ。
新聞記事を見ても、被災地・避難所の物資不足などの問題の報道が少なくなって、地震津波原発から派生した様々な問題の報道が確実に増えている。

このように大震災の影響がいろいろなところで爆発的に生じていることは明らかだ。それを旧態依然の体制で従来通りやっていては、問題はますます深刻になるばかりだろう。政府・行政は思い切った特例で切り開いていかなければならない。

人の制度も機械もがんじがらめにできあがって融通が効かなくなっていることがわかる。それが戦後65年の成果であると思うと情けない。

人の制度については言うまでもあるまい。種々の手続きの煩雑なこと夥しい。平和時ならともかく、この未曾有のときにも従来通りお役所は仕事を進めないといけないのだから、やはりおかしい。

機械については、ハイテク社会は融通が効かないということが、これからもますます明らかになるだろう。例えば印刷インキ。プリンターのトナーなど。いくら周辺にトナーやインキが溢れていてもその機種用に作られたものでないと使えない。容器があわないのはもちろん、中身が微妙に違うのだから、別の物を移し替えて使ったりしていたらたちまち壊れてしまう。

洗濯機の部品でも同じだろう。似たようなものがあっても、取り替えるわけにはいかない。

だから、ごく僅かの部分でも被災地で生産されていて工場が再開されてなければ、たちまち物不足を招来する。そういうことがす、増えていっているのではないか。今後もっと増えるだろう。

電気、食品・・ありとあらゆるものが負の連鎖が始まった。とにかく無駄を省いた生活を送るのがまずはじめの一歩。
 
 
2011年4月7日。木曜日。晴れ。
汚染水流出止まる,という記事だけを見ると,事態は改善された,よかったと思う。だが,この程度で喜んではいけない。報道されていない,悪い方の事態が改善されたということではないからだ。

ニュースというのは字のごとく,新しいものしかニュースにならない。同じ悪い状況はニュースではないのだ。だから,ニュースだけ追っていると,終わったように思うが錯覚であろう。

停止した核燃料の冷却が完全に行われていないことは言うまでもないであろう。外部電源が繋がれば、ポンプが動き出し通常の予定されたシステムで冷却が可能となると期待させたが、一向にそうなったとは伝えられない。ということは、こちらにもまた難問が山積みしていることだろう。

ということは熱は依然として放出され、再び高温になれば放水する必用があろう。また、放射能を完全に遮蔽できておらず、どこかに亀裂があり、外へでることが出来る状態であることには変わりはない。

気体に含まれて出る場合もあれば、みずにとともに排出されることがあり得る。大量に水をかければ、外に出た水には放射能が含まれていてもおかしくはない。窒素ガスを入れて圧力が大気圧を超えれば、そのガスは外に出てくる。そこにも放射能は含まれているだろう。

こういう状況はまだまだ続く。実に危険きわまりないではないか。それを外部から外部への通路を塞いだからといって、大袈裟に書くなよ! と言いたくなる。私がひねくれているのだろうか?
 
 
 
2011年4月8日。金曜日。雨。
どこまで備えるか?
昨日、ホームセンターへ寄ったらトイレットペーパーのバーゲンをしていたので2袋買った。買い置きの意味も込めて。

懐中電灯、電池、ラジオをとひとまとめにして、蓋付きコンテナに入れてある。しかし、時間が経って、ラジオが抜かれたり、と少しずつ分散していっている。セットを完成させなければ。維持することはむずかしい。

小さい頃から災害らしい災害にあっていないので、防災グッヅと言われても実感がわかない。

もし地震で家が倒れたら、おそらく備蓄しているものを持ち出すことはできないだろう。

だったら、家は倒壊を免れているが、ライフラインは寸断され、孤立しているという想定で備えておくしかない。おそらくそれでいいのだろう。電気水道ガス、そして孤立。こういう状況で最低1週間過ごすには、どれだけのものがあれればよいのか。・・こういうように考えればいいのか。
 
2011年4月9日。土曜日。晴れ。
日本全国を覆っている自粛のムード。
お花見の季節なのに、その話題は聞こえてこない。従来通りのお花見の光景と今の避難所の様子を比較したら、さぞ海外のジャーナリズムの嘲笑の対象となっていたことであろう。狭い国土の中、一方で明日の食糧にも不安を抱いて生活している人がいながら、片や桜が咲いたというだけで灯をともして酒を飲んで・・・と。幸い、そのような嘲笑はおこっていないと信じている。それほど、多くの国民が震災と原発の状況を憂へていることだろう。それはそれでうるわしい。

一方で、震災復興にも原発処理にも膨大な経費がかかるのは事実であり、その経費は震災に遭わなかった地域における経済利益に多くを依存せざるを得ないのもまた事実であろう。そして、我が国の産業構造を見れば、いうまでもなく製造業やサービス業の比重が大きく、いわゆる消費がともなわなければ利益が出ないようになっている。

そして、テレビの娯楽番組にあおられたばかりではないと思うが、大量に消費し、そのためにまた働くという構図ができ、過去数年間の精神的にはともかく、物質的には繁栄を謳歌してきたわけである。(もちろんその大元は自動車や電気製品をはじめとする輸出に支えられていたのではあるが。)

だから、今回の震災および原発事故の影響で、物理的・精神的に人や物の移動が制限され、長期の不況になることは我が国の経済基盤を危うくすることは確実である。

・・ということで、過度の自粛はよくないということは、わかるのだけれど、私自身はやはり、生活を見直し、自粛ムードで過ごしたいと思う。消費も電気水道そのほかのエネルギーもできれば節約したい。
 
2011年4月10日。日曜日。晴れ。
昨日は1年ぶりの花見の会。(だいたい花見というのは、普通一年ぶりのものです。) とはいえ、岡山の料亭で昼間から飲んでいました。久し振りに生ビールをガブガブ・・・。 短期の(急性のと書くべきでしょうか?)アル中になり、今日も欲しい。

貴志祐介「青の炎」(角川文庫)を読んだ。高校生が完全犯罪をもくろみ、残念ながらほころびるという話が、美しくもはかない恋愛を背景に描かれている。計画と実行、そして犯罪隠匿の維持の心理がよく書けていて好感がもてた。そして、最後は罪も憎まず、人も憎まず・・・。

倒叙推理の傑作と言われるのは、人物がよく描けているからであろう。主人公、家族、恋人の紀子・・・それぞれに実在感があった。

東日本大震災からまる一月。・・・こんなことでよいのでしょうか。これが世界有数の文明国(?)の姿なのでしょうか?

至る所で桜が満開になっているのに、気候と天災のせいかなぜか寂しくひっそりと咲いているようだ。夕方、公園までいき満開の桜の下をゆっくり歩いてきた。

夜は、少し落ちついたので細切れの読書再開。
 
2011年4月11日。月曜日。晴れ一時雨。
1ヶ月たった。ちょうど1ヶ月前の金曜日の午後だった。
大地震が起きたと一人が言ってテレビをつけたら大津波警報という聞き慣れない言葉が出て東日本の海岸地帯が点滅していた。

そして海辺の街の光景が出たときには驚いた。あっという間に潮が押し寄せ倉庫の屋根に達したかと思うと青い箱や自動車が浮いて流されている映像だ。こういうのは映画意外では見たことがない。

その夜の映像はさらに凄まじかった。ビニールハウスなどが並ぶ河川敷に近い畑や家屋。そこを浮遊物を押しながら水の先頭が怪物のように破壊しながら進んでいく。一緒に進んでいる残骸の中には火がついて煙をあげているものまである。恐怖に似た感情に襲われた。火災でも消さずに運んでいく。津波の恐ろしさであった。

自衛隊の派遣を逡巡しなかったのはよい。阪神淡路大震災のときに比べて評価できる。まもなく陸空海軍を合同して避難活動に当たると言うことも発表された。そこまではよかった。しかし、そのあとがいけない。現地の総指揮はどこでとっているのか、そこへの情報収集はうまくいっているのか。情報機器が書く避難地にくまなくゆきわたるように手配しているのか。・・・そんな話は一切伝わらない。

そんなことはなされなかったのだ。すべては三軍を自由に動かすことができなかった政府与党が悪い。もし戦争が起こっても自衛隊を指揮統括する人はいないのではないのかと思われた。

そのことは被災地や避難所からのSOSがNHKへ寄せられるという、驚くべき事実として現れはじめた。

指揮系統を確立することを忘れた、文明国にはあるまじき失態だった。何のための自衛隊か? 軍隊としての有事への指揮系統はできているはずだったのではなかったか? それともそれは秘密で発動できなかったのか? そんなことはないだろう。おそらく、どこかの国が攻めてきたときも同じような失態を演じるのではなかろうか。
2011年4月12日。火曜日。晴れ。
日中の最高気温が20℃ぐらいなのに、今朝の最低気温は2℃。電子毛布を最低にしていたので、寒くて眼が覚めた。少し時間があったので、布団の中で薬物の本を読む。ある薬品の作用に、興奮幻覚麻酔作用とあったので、あやかりたいものだと思った。興奮作用により、朝早くから活動的になれるだろう。幻覚作用では、虹や薔薇がなくても視野が輝いていることだろう。そして麻酔作用は、きっと肩こり腰痛も感じなくて済むに違いない。

しかし、その後の致死量・・というのを見て、恐くなった。アクガレで終わるべし。

午前中風は冷たかったが、午後は暖かい春らしい天気になった。青空がひろがり桜の花びらが風に舞っている。それにしても余震が多いようだ。強いのも頻繁に起こっているが、震度3程度のものも夥しく起こっている。余震というのは徐々に小さくなり収束していくものと思っていたが、この状況ではまだまだ地球は燃えているという感じだ。いい加減で収束してほしいものだ。
 
2011年4月13日。水曜日。晴れ。
5時半に目が覚める。少し寒いので、しばらく布団の中で。電子毛布を強くして、寝ころんで本を開く。
6時半にやっと起きる。新聞を読んだり食事をしたりしても約1時間あまり余裕がある。Twitterの調子が悪くて少し時間がとられるが、まずは順調。
この頃になると7時頃には朝日が射し込む。でも、ストーブはまだやめられない。

梅もさくらんぼも散り、隣の公園の桜も散っている。チューリップが咲いている。昨夕、夕食までの間、少し時間があったので山茶花の枝を刈った。樹影を整えるためにバッサバッサと刈り込んで。まず1本。来年は少ししか咲かないだろうが、形はよくなった。その下にあるクチナシまで刈りそうになってあわててやめた。これから咲くのだから咲いた後で刈らないといけない。去年刈りそびれたので、今年はクチナシも刈り込んでみよう。

2011年4月14日。木曜日。晴れ。
いけない、いけない。本を読み出して数頁もいかないうちに、どこで眠くなったのかもわからないうちに眠ってしまった。おそらく昨夜の9時過ぎだろう。

そして11時過ぎにベッドの上の炬燵だと気づきPCとストーブを止めて布団へ。そのまま朝まで・・。

今朝もよいお天気。ただ、空気が悪い。昨日車の窓を少し開けているだけで目がかゆくなった。黄砂、硫酸ミスト、花粉、オキシダント、放射能・・・いろいろなものが混ざっているのではないか。世も終わりだな、と思う。

こういうとき、人類は進化する。グールドの断続平衡説とかいうのだっただろうか。常に少しずつ進化するのではなく、ある環境にがまんしていてあるとき突然進化するのだそうだ。

でもSF映画のように急に放射能に強い人間が出現する訳ではないだろう。白昼夢はやめよう。

それよりも、群発余震と解決の見込みのない原発問題、(一昨日から「レベル7」という宮部さんの小説でおなじみの言葉が表面に出てきた)こそが歴史的事実であることを直視すべきだろう。

少し原発のことも勉強してみようか。まず、放射能について。放射能とは放射線を出す能力だろう。放射線にはα線、β線、γ線の3種がある。α線は質量数4のヘリウムHeの原子核、β線は電子、γ線は波長の短い、すなわち振動数の大きい電磁波ということになっている。

α線はα崩壊のときに放出される。このときは、原子番号が2減り、質量数が4経る。

β線はβ崩壊のときに放出される。このときは、原子番号が1増えるが、質量数は変わらない。

γ線は、上記2つの過程の直後の不安定なエネルギー状態の原子核から放出され次第に安定なエネルギー状態になる。このとき原子番号と質量数は変わらない。
 
次に放射能の単位に移ろう。

有名な「キュリーcurie」から。単位はCi。単位時間当たりの壊変数が1gのラジウムの単位時間当たりの壊変数と等しい放射生物質の量が1Ciである。

ベクレルBqというのは1dpsのことである。1Ci=3.700×1010dps である。
 
2011年4月15日。金曜日。小雨後曇り。
さくらんぼのとなりに梨の花が白く咲いている、庭の真ん中あたり。
もう植えて何年もたつ。4年は経っているのだろうか。木は毎年少しずつ成長してかなり大きくなった。花もこのところ毎年咲いている。でも実がなったことはない。桜が散ったあとまで可憐な白い花が咲いているだけで、満足しよう。

今朝は雲を透かして白い太陽が出ている。時間とともに黄色い味を増したが、やや弱々しい。こちらは、年度当初のお決まりの仕事が慌ただしく終わっていき、次第に心の中が晴れてくるのに、今日の天気はよろしくない。午前中雨予想50%。最高気温19℃、最低気温8℃で、まずまず暖かいのだが。


さて原発学習の続きをしよう。
昨日書いたのは「放射能」の単位で,このたびマスコミ等でよくでてきたのはシーベルトという単位であった。これは「放射線量」の単位ということであり,まことにわかりにくい。わかりにくいというよりも,何か曖昧な,絶対的なものではないという印象を受けた。だから,それが改まればいいのだが・・・

1シーベルトSvは100remであり,これが基本だろう。

ではレム(rem)とは何か? 生物学的吸収線量に1R(レントゲン)のX線が照射されたときの人体に生ずる生物学的効果を基準としてはかった放射線の単位をレム(rem)という。

では,またまた遡って,R(レントゲン)とは何かということになる。1rentgen あるいは1Rとは,乾燥した空気0.001293g(これは標準状態で1mL)当たりに発生した2次粒子線が空気中に1静電単位の正負両符号の電荷量を運ぶイオン群を生じるようなX線およびγ線の照射量のことである。

ここまでのことをまとめると,1Rが1remで0.01Svということである。

これらの関係は一見リニアでありながら微妙にバイアスがかかっているので,正直言って信じようとは思わないが,「1レントゲンが0.01シーベルト」と思うことにしよう。

では,1レントゲンとは?と尋ねられたら,標準状態で1mLの空気あたりに1静電単位のイオンを生じる放射線量ということである。そ,そして,静電単位など今は使っていないのである。ふる~い参考書を探すとあるかも知れない。


黄砂に汚れた車を久し振りに洗った。雨らしい雨が降ってくれないので、車の表面を覆う砂塵は、流されることは少なくて、不揃いな模様を描きつつ体積していった。洗おう洗おうと思いながらも、暗くなった空を見上げるだけで、諦める日々。明るいうちに帰って水を流し、ブラシでこすって洗い流した。やはり、車はこうあらねばならない。
 
2011年4月16日。土曜日。晴れ。
むかし、テレビを買った頃、バス通り裏という連続ドラマが夜の7時のニュースの次にあった。その頃は、テレビのニュースに依存する割合が今とは格段に違ったから、ニュースも15分もあれば十分だったのだろう。

バス通り、すなわち自動車道に面した家から1軒内側に入ると排気ガス濃度が格段に下がると言われているから、健康の面を考えるとバス通り裏がよい。

そういう意味で夕凪亭は理想的なのだが、前にも記したように時々近くの高校のスクールバスが通るようになった。庭の向こうがバス通り、というわけだ。目隠し用に木が植えてあるがすべてを覆い隠しているわけではない。高校生と目を合わせたくないので、レースのカーテンをしてある。幸い一方通行で、生徒が乗っているのは午前の7時から8時の間のようなので、その時だけ気をつければよい。

ただ、不思議なことに土曜日も通っている。部活をする生徒のために運行しているのだろうか?

夕食後14日の月を見ながら散歩。東公園まで歩くと、毎年桜の木に電灯がともり、今日も散りかけた桜の下で若い人たちがバーベキューをしていた。いいなあ。でも、風が吹いて寒かった。

明日は満月&大潮。春の海は気持ちがよいだろう。今は潮干狩りに行ってもアサリはいない。人の移動が車になって、かつては村はずれであった砂浜も、あっというまに掘り尽くされて、楽しみはなくなった。でも緑色のあおさが水に濡れて光っているのをみると子供の頃の心境に帰る。

そのしまなみだが、明日は弟が帰って母親を買い物に連れていくということで、帰るのをパス。こちらで仕事。倉敷の写真展は気分次第。
 
2011年4月17日。日曜日。晴れ。
明るい太陽。素晴らしい日曜日だ。朝から眼が覚めるような日射しが夕凪亭の奧まで届いている。

昨夜、遅くまで本を読んでいたので、起きたら7時を少し過ぎていた。あわててリサイクルゴミへ新聞広告を束ねたものを出してきた。それからおもむろに遅い朝食。

今朝は食パンにケチャップを塗り、とろけるチーズを塗り、ちりめんじゃことウィンナーを2個載せて、オーブントースターで焼いたもの。牛乳、そして伊予柑とネーブル。それからいつもの薬。

そして新聞を読んでから夕凪亭へ。またすぐに眠ってしまう可能性があるので、その前に念入りに歯磨きをしておく。

10時前に、やっと貴志祐介「ガラスのハンマー」(角川書店)を終わった。少し読んでは、眠り・・という繰り返しだったから、随分長くかかった。幸い、返却期限は明日なので、かろうじて間に合った。

前半は密室殺人のお膳立て。弁護士と泥棒家業兼務の防犯コンサルタントが密室であることを証明していく。後半は実行犯のリアルな殺人計画と実行。またまた、貴志版罪と罰の見事な展開。でも、いつものことながら罰が少ない。

午後、倉敷へ行こうかと思っていたが少し寒くなったので、やめる。知人の写真展ということで、ついでに美観地区を歩いてもいいなと思っていたのだが・・・。倉敷は遠くないところです。ただこちらのJR駅まで降りないといけないのが難点です。

その分、DVDで「X-MEN」と「X-MEN2」を見る。進化がテーマかと思ったら単なる超能力もの。あまり感心しない。

原発学習。
今日の「ちゅピー子ども新聞」にシーベルトについて簡単な状況が書いてあったので、写しておこう。
単位はミリシーベルト。

まず、身の回りにある放射線の量

胸のX線撮影・・・0.05
東京-ニューヨーク往復・・・0.19
一年間に自然に浴びる量・・・2.4
胸のCT検査・・・6.9

次に、放射線量と身体への影響では、
100・・・将来癌になる危険性が0.5%高まる。
250~300・・・リンパ球が減る。
1000・・・10%の人が吐き気やだるさ。
4000・・・半数の人が30日以内に死亡

どうでしょうか。少しはわかったような気持ちにはなりましたか。でも誤差が多いと思います。
 
2011年4月18日。日曜日。雨時々曇り。
木々に新芽が出て若葉がうす緑色に萌えています。
特に梨の葉は落葉してして年を越しましたから、白い花と若葉の対照の妙が見事です。他の木々も大なり小なり若葉が広がっています。

植物はこうして毎年新しい誕生を迎えて樹木全体を成長させます。その進化の妙は動物よりも長いだけあって、動物よりも完全に勝っているのではないかと思います。

そういう思いとは関係ありませんが、読みかけていたブラウンの「ダーウィン・ウォーズ」を開いて、第3章「昆虫学者のマキャヴェルリ」を読む。グールドとドーキンスの論争ということであるが、少々読んだぐらいでは結論はでない。利己的な遺伝子というのは選択過程でみることができるというのと部分的には同語反復になるということだ。それはそうであろう。利己的な進化といってもいいのではないか。

吉村達也「姉妹」(角川ホラー文庫)は表紙がちょっと見には残酷で、私だったら買わないのだが、娘姉妹のどちらかがタイトルに惹かれて買ったものだろう。二人の少女の服や足に赤い絵の具を塗りたぐって何の真似をしているのだ、と思えばまったく恐くないのだが、これを作者の意図通り血だと思うと、ある種の恐怖を感じる。

作品は韓国映画の解説風ノベライゼーションであり、カバーの写真と同様絵の具を血だと思えば恐い。
 
2011年4月19日。火曜日。雨時々曇り。強風。
まだ火曜日だというのに曇り空の暗鬱なスタート。仕事は4月初めのやまのように押し寄せてくることはないが、まだまだ年度当初の年中行事が迫っておりワープロとの格闘が続いている。手を動かせておればひとつずつ片づいていくものばかり。毎日時間はとられるが、自分の仕事だからやるしかない。

空は曇って今にも降りそうな気配だが、昨日も雨らしい雨は降らなかった。夜、激しく降っているなと思ったらすぐにやんだ。今日も降るか降らないかわからない。それほど雨が少ない所なのだ。

午後になって風がでてきた。春の嵐というのには少し遅い。桜の残花が激しく舞い上がって飛んでいく。まさに嵐。気温も低い。

帰るとモッコウバラの薔薇アーチが半分倒れていた。もとにもどし他の木から紐で引っ張る。

夕食後、暮れゆく窓の外を眺めながら少し読書。暮れたので風呂に入る。風は納まったが不気味。大地震が来なければよいが。

夜,洗濯機の底の回転板がはずれているのがわかった。中央のねじで止めるも,洗濯中に緩む。道具箱からいろいろなドライバーを出して一番力の出るので思い切って締める。一応今日のところは最後まで洗濯できたようだが,肩と首が痛くなってきた。だんだんと首の振れる角度が小さくなっていくような感じ。ひょっとして明日の朝は首がまったく回らなかったらどうしよう。首が回らなかったら金縛りにあったように動けないに違いない。かといって起きておくわけにはいかない。・・できることは整体の先生がいつもしてくれるような全身ストレッチをやるしかない・・・。がんばろう。
 
2011年4月20日。水曜日。晴れ。
復興にお金がかかるのはわかる。それを日本が負担しなければならないのも事実であろう。

だからといって消費税値上げ、電気代値上げを国民は納得するのか?

まず、子ども手当を廃止すべきだろう。それから各省庁予算を10%なり20%なりカットするところからやるべきだ。

それに震災・原発への対応のまずさは各方面から指摘されているところである。これらを総括すべきであろう。それがなくいきなり値上げというのは政府の失敗を国民が負担して払うという印象が強い。もう民主党には政権を維持するだけの能力がないのではないか。


少し前に山口県に行って、中学校の先生に1時間ほどお話をした。少しまとめておこう。
前置きはは中高一貫校、小中一貫校について。少子化による横の合併が限界に達したので縦の合併をはじめた。大幅な相互乗り入れや教育課程の改編がないと教育的な意味が少ない。

以下、本論。
中学校の化学分野を見ると多様な教材が集中して複雑きわまりない。これを整理しよう。整理の観点としてカリキュラムの分類を用いる。我が国ではカリキュラムというと学習指導要領や各校の教育課程を示すことがある。これはこれで間違いではない。しかし、さらに深い意味があって教育課程や学習指導要領を作る根底の考え方にカリキュラム論がある。わかりやすくいえば、どういうスタイルの学習指導要領を作るかという根底の考え方だ。そのような意味でのカリキュラムのうち、経験カリキュラムと系統カリキュラムと探究カリキュラムという語を使う。

経験カリキュラムというのは、内容構成において児童生徒の発達段階・経験を重視したものである。例えば、教材を春になりました・・・、朝起きました・・・というようなストーリーで並べたカリキュラムである。これは児童生徒中心で探究的な特徴をもつ。

系統カリキュラムというのは、教科の背景となる学問分野の体系にもとづいたもので、教師中心で理解暗記的な要素が強まる。

探究カリキュラムというのは、内容というよりも方法の面を強調したものだが、児童・生徒が探究活動を中心に学習しいく型である。これは上記の両方とも組み合わせることができる。

さて、先の震災で多大な被害を受けた三陸海岸は暖流と寒流が交わるところで、世界有数の漁場である。それ故か、明治、昭和と度重なる大津波を受けても不死鳥のように甦ってきた。

中学校の理科は、経験カリキュラムと系統カリキュラムが交わっているので、一見まとまりがないように見えるが、三陸海岸と同じで、大いなる可能性を秘めているともいえる。

例えば、経験カリキュラム要素の濃い部分は探究活動に向いている。また、複雑なところは系統カリキュラムで再構成してみるとすっきりすだろう。そして、これらは結論として融合させることができる。

ここまでが、総論。次に各論に入って、新しく中学で学習することになった用語や分野について私の見解を述べておいた。


小沼文彦個人訳のドストエフスキー全集(筑摩書房)の5巻の「賭博者」の第4章を読んだ。ドストエフスキーのものでは読みやすいほうだろう。それから別巻は唐木順三編集の「ドストエフスキー研究」。まずはベルジャーエフの「ドストエフスキーの世界観」から。



2011年4月21日。木曜日。晴れ。
山陽本線を三原から広島方面へ下っていきますと2号線と別れて列車は北西を山の中に入ります。山の中というよりも谷の中といったほうがよいでしょう。沼田川沿いに本郷、河内と続きます。その本郷から河内へ入ってすぐのところで空を見上げると、巨大なアーチが・・・・。どう見ても橋のようです。でも、なぜこんなところに?というのが正直な感想。5年ほどまえのことです。

その橋と周辺道路が部分開通したというニュースが新聞に載っております。どうやら、空港と世羅町を結ぶ道路の一環のようです。この橋を通らなかったら、山陽道で尾道を迂回して松江道を通らないといけないので、こういうルートを考えたそうです。こんなところに巨大な橋をかけて・・・。

確かに三角形の二辺が一辺になったよりもさらに短縮ルートではありますが、果たして、こんなことをする必然性があったのか疑問です。いかなる県議さんや知事さんの利害が絡まっていたのか知りませんが、税金の無駄遣いだと思います。

さて、昨日の経験カリキュラムについて述べよう。

経験カリキュラムにもいろいろなパターンがあると思われるが、我が国では戦後の生活単元学習、なかでも生活単元理科が顕著であろう。

戦後と言えば進駐軍、すなわちアメリカの支配下にあったわけであるから、アメリカの教育の影響が現れたものと思って間違いないし、それがデューイのプラグマティズムに通じるものだと考えることはやさしい。

進駐軍がアメリカで失敗した教育実践を日本で実施した可能性は低い。むしろ、脚光を浴びていた教育実践を日本でも実践したのだろう。

単元学習、探究学習、生活単元・・などといろいろ言われたが、理科は要するに生活単元理科であった。

単元学習、探究学習、生活単元・・、どれをとっても実態の一面を含んでいるので間違いではない。

そして、それは新しい時代の新しい教育として実践されたが、「這い回る理科」という言葉があるように、統一感のない多様な活動で教師も生徒もばたばたしただけだ,というような印象のうちに,現場からそっぽを向かれて消滅した。

それらの教育成果についてはめぼしい物は残されていない。それは客観的な評価法がなかったし,またそういう余裕が教師にも行政にもなかったからではないかと想像される。
2011年4月22日。金曜日。晴れ後夜雨。
社会福祉のために消費税をゆくゆくは10%にするという計画があるそうである。今回の復興費用の消費税の値上げも下げずにそのまま社会福祉費に充てて行く予定も・・・。

消費税というのは国民全員から徴収して公平なように見えるが果たしてそうなのだろうか?

まずは、消費税を上乗せして物を売ったり、代金を徴収する側。その消費税分のすべてが税金として国税庁へ納められているのだろうか?

その次に疑問なのが、1万円以下のものも100万円を超えるようなものも税率が同じで。税率は同じでも税額は増えてくる。これもおかしい。

元キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。心からお悔やみ申し上げる。最近では、古いビデオで「大地の子」を見たとき、満州開拓団の美しすぎる母親役をやっていた。ふるいところでは、やはり「黒い雨」だろう。黒い雨は、福山市近郊も舞台で、後半は北部の小畠という集落だ。撮影は岡山県の吉永町あたりを使ったそうだ。
原爆病で衰えていく主人公が明け方アロエをとって食べるシーンは印象的だった。



戦後の生活単元理科について述べる。
戦後といっても昭和40年頃までは、今のようにコピーだのプリントだのというようなものは、なかった。それだけでなく現在の物あまり社会とは違った。現在からみれば信じられないような、物がない状況で教育活動はなされていたということを想像しなければならない。

新しいカリキュラムであるから、教科書に詳しく書いているわけではない。そうかと言って印刷物を準備できるような状況ではない。
とすれば、必然的にそのへんにあるもので、教材になりそうなものを持ってきてやるしかない。

生物分野になると、俄然田舎の学校は有利である。ちょっと校外へ出れば教材の山である。蛙と蛇を捕まえてくれば、題材はつきない。

蛙の一生でもいい。蛇と蛙の関係でもいい。疑問に思うことを上げさせ、調べてみることにすればよい。

調べ学習にしても、インターネットもなければ百科事典も完備してないような状況だ。活字で調べるのではなく、自然から直に調べるしか方法はない。

自然環境だけが教材ではなかった。教材は生活全般の中にあった。例えば。朝起きました。歯を磨きます・・・、と始まれば、歯ブラシ、歯磨き粉について学習することができる。理科なら何からできているでしょう、と問題を出すことができる。社会ならどのくらいの量が生産されるのか、どこで生産されるのか、そして流通はどうなっているのか、と課題を広げることができる。

歯磨きが終わったら、次は水だ。水が終われば朝食。ご飯は何からできているのでしょう・・・・・。と課題は果てしなく見つかる。子どもは親に聞いたり、乏しい参考書で調べようとする。

アイロンが壊れました。どうやって直せばいいのでしょうか、というような課題もでてくるだろう。当然、自転車に関しても。

だいたい想像できたのではないかと思う。こういうのが「生活単元理科」の一場面である。
 
2011年4月23日。土曜日。雨後晴れ。
高速自動車道の料金が社会実験とかいう名目で大幅に割引されて何年が経つのだろうか。その実験結果なるものに期待していたわけではないが、その結果を知らぬままに、完全無料化の声が聞こえたのは老いの空耳だったのだろうか。

聞くところによると復興財政のために財源が減り、一部の割引を6月から止めるということである。こんなに簡単に止めてしまうのなら、すべての割引を廃止してもとに戻し、この社会実験のための財源は復興費にあてるべきであろう。道路公団内でのやりくりで済むのなら(そんなことはあり得ないと思っているが)それはそれで進めて貰いたい。

おっと、道路公団という懐かしいが、何か暗いイメージのついた言葉はもう使われていないのかも知れない。少し調べてみなくては・・・

そうか、決めたのは元運輸省の国土交通省か。公団か公社か知らないが、そこにはこういことを決める権限はないのか。そういう専門家集団ではないのか?

むずかしいね。

午後、大学時代の友人が広島からきてくれる。楽しく歓談。夕食を食べに行ってから送る。

今日は午前中激しく降っていた雨も午後には止んだ。少し拍子抜けの感じ。もう少し降らなければ、ここ数ヶ月の水不足を補うことにはならない。小雨の傾向はここ数年続いている。温暖化の影響かもしれない。温暖化というのは一様に高緯度地方の温度を上げることではない。一様に上がるわけがない、様々な気候変動を引き起こすことだろう。その一つがこの地方の小雨だろう。
 
2011年4月24日。日曜日。晴れ一時小雨。
宮城県知事は復興会議で復興税を提案。と言っても既にこういう声は挙がっていたから賛成というわけだろう。岩手県知事は反対。
私は当然反対。
多くの税金をとっている国が、支出先を変更すれば済むことなのだ。
各省庁予算を減らそう。多くの事業を2,3年凍結すればよい。つまらない啓発ポスターが巷にあふれている。出所をみれば税金だということはすぐにわかる。
それから作文やら標語募集やらけっこう省庁予算からでているものがあるのではないか。

学力テストも当面しなくてもいお。子ども手当にいたっては議論の余地はあるまい。


生活単元理科と経験カリキュラムについて。
経験カリキュラムの典型が生活単元理科ではないかと思う。生活単元理科だけを取り出して理解しようとすると何か得体の知れない物、という感じがする。そこで、対極にある系統カリキュラムと対比させて経験カリキュラムの典型だとまず大きく捕らえると見通しがよくなる。一方、探究カリキュラムは、60年代のカリキュラム改革運動の目的が探究カリキュラムであったが、探究カリキュラムというのは極端であって、すべてを探究カリキュラムで通すことは難しい。むしろ教育方法の一分野と理解するのがよい。

以上が経験カリキュラムとしての生活単元理科であるが、さらに言えば、理科離れというのは、経験カリキュラムから系統カリキュラムへの変更点において生じるのではないかというのが筆者の仮説である。
 
2011年4月25日。月曜日。小さな雷雨。後晴れ。一時雨。
例年五月の連休までは暑くならないが、それにしても今年の春は寒いように思う。県北で4月の雪の記録があったほどだから、確かに寒いのだろう。冷害の年というのは、夏だけが寒いのではなく一年を通して寒かったのではないだろうか。農作物への影響が心配だ。


さて、飽きもせず生活単元理科について記す。今日はその時代背景について、述べてみたい。

戦後、太平洋戦争に負けた日本は、米国進駐軍によって強制的に教育改革を迫られた。義務教育の633制もこのときにできた。旧制高校が廃止されたのも進駐軍のせいである。旧制高校というのは、ドイツのギムナジウムや英国のグラマースクールに匹敵するエリート教育機関で、残念なことである。

その新しい戦後体制が始まってまもなく始まったのが生活単元理科であったから、現在の教育課程・教科書という官製教育とはやや雰囲気が違ったことは確かであろう。現在と比べて物質的不足については以前書いたが、教育体制未だ整わず、とい時期に行われたことは、現在の体制に慣れた我々には想像するのが難しい。
 
2011年4月26日。火曜日。晴れ。
今回の原発事故を受けて,非常用電源車を配備してもまた完全停止後の冷却をまかなう電力は不足するということだ。同じような強い地震や津波が来たら,停止し,冷却用電源が停電し,予備電源が作動するのだが十分でないということだ。

仮に十分と言っても,言ってみるだけで,何がおこるかわからないわけだ。

事故後の処理にしても,現在福島原発でそれが戦々兢々としながら続けられているのを見ればわかるように,放射能がいかにやっかいなものであるかということがわかる。いざ大事故が発生したら人智の及ぶところでないということだろう。

こんな危ない物を使わず,思い切って原子力発電は撤廃したらどうであろうか,と思う人は多いと思う。私もそう思う。

が,しかし・・・。ほんとうにそれでよいだろうか。原子力エネルギーは、それを発電に利用するしないにもかかわらず、従来のエネルギーにかわる画期的なエネルギーであったし、現在もその地位を失っていない。そして、それは宇宙時代には必須のエネルギーとなることだろう。人類がこの先どこまで生き延びてその生活空間をどこまで広げるかは私にはわからない。しかし、可能性として宇宙へ出て行くことはあり得ることだ。そういう時代がくるにはもっともっと核エネルギーの研究が進んでいなければならない。そういう意味で、ここで原子力発電を、完全に放棄するのがよいのだろうか、という疑問がないわけではない。

生活単元理科の教科書について。
真船和夫「戦後理科教育研究運動史」(新生出版)というのに該当の部分があったので引用しよう。
その教科書『小学生の科学』『私たちの科学』は次のように紹介されている。

子どもたちの日常経験の中から内容を選び、子どもの経験を組織化するために単元とよぶまとまりにまとめて学習していくという「生活単元学習」の立場にたって編集されたものだった。この「生活単元学習」は、アメリカの教育会を支配していたデューイたちの経験主義教育思想を具体化したものだった。(p.16)

その経緯はちょっと複雑だが、要約してみよう。
1947年(昭和22年)6334制はじまる。
 戦後初の小学校理科教科書『理科の本』456年用刊行。
 新制中学用理科教科書『私たちの科学』刊行。
1948年。
 『理科の本』に代わり『小学生の科学』刊行。   (p.15-16)
 
2011年4月27日。水曜日。曇り後雨。
朝、5時に起きて、ひたすら仕事。朝から明るい。そして7時過ぎの今は明るい日射しが部屋の中にも入ってきているが、どうやら天気予報ではまもなく雨。庭木にはうれしい。

だが、雑草がこのところ急に勢いよく成長しだした。さきほど、生ゴミを捨てに行ったついでに少し抜いておいた。一雨来ると、さらに増えているに違いない。

生活単元理科は、学力低下や内容の不統一が指摘されて、ほとんど完全否定に近い形で葬り去られた。その批判勢力に民衆派というか左翼よりというような人も多かった。生活単元理科の後には現在我々が知っている系統カリキュラムが待っていた。

以前書いたと思うが,本質的に経験カリキュラムは児童・生徒中心で,系統カリキュラムが教師主導型であるので,この荒っぽい分類だけから言うと,混乱してしまう。

生活単元カリキュラムを潰すのではなく,改善された経験カリキュラムを作る方向へ向かっていたら,現在の日本のような知識偏重の詰め込み主義には向かわなかったと思われる。

それは甘い幻想で,勉強というのは知識を詰め込むもので,教育活動と勉強をごっちゃにしてはいけないのかもしれない。
2011年4月28日。木曜日。晴れ。
今朝の新聞によると厚生労働省は原発作業員の年間50ミリシーベルトと定めている被爆線量の上限を撤廃するそうだ。その理由は作業員が足らなくなるから,ということ。

こういうのは他の業界でもあるのだろうか? この規定が通常時の規定だから,と言うのは子どもだましも甚だしい。

作業員が足らなくなるので規定を緩めるというのなら,はじめから規定など作らなくてもいいではないか,と思う。

原子力関係の世界は不思議な世界なのだと思う。秘密の世界なのだろうきっと。


さてあわただしく今日の仕事は終わった。人並みに3連休がやってくる。その間にカレンダーが1枚減り、その枚数を今年になってから数えてみると4枚ということで実に三分の一が終わるわけだ。同じように時は刻んでいるのに、過ぎ去ってから振り返れば速く過ぎ去ったと思う日々のほうが多いと誰しも思うことだろう。

誰も止めることのできぬ時ならば、日々充実した生を送るしかあるまい。それぞれの行為に生きる意味があり、その意味が喜びに達することが必用なのだ。

今日は整体の日。思えば昨年の8月半ば以来の腰痛であったが、随分と改善した。最近、帰ってからも椅子にすわるときにはコルセットをするようにしたら、ますますよくなった。姿勢が大切なのだ。
 
2011年4月29日。金曜日。昭和の日。晴れ。
明るい朝。よいお天気。
GWのスタートにふさわしい。
年度当初の慌ただしさも、昨日印刷原版を印刷屋さんに出して一段落。小さな文字が読みにくいというよりも、こんな字があったの?よく見ると確かに微妙に違っている。こちらが見落とししていたのはそういう字があるということを思ってもいなかったという思いこみが原因・・・。ワープロ変換の候補の中でこれでいいと思ったら、そうでない文字だった・・・。

こういう仕事は、若い人と交替すべきなのだとつくづく思います。

ところで、中国電力の新社長は早くも原発推進を宣言・・・。様子見という魂胆だろう。もちろんいつ石油が入って来なくなるかは誰にもわからない。安定に供給されていると思うのは錯覚かもしれない。同様に瀬戸内海は三陸海岸ほどの津波はこないから大丈夫と思うのも錯覚。津波が来なくても何がおこるかは誰にもわからない。想定外の事故が起こったときに、原発はやっかいだということをみんなが知ったのは確か。

暖かくなったので、庭に出て草取り。池の底の藻と枯れ葉の掃除。モッコウバラが咲き始めている。若葉がそれぞれの木に出て美しい。

そしてさらに外に出てみたくなったので、笠岡の干拓地へ菜の花を見に行ってきました。

農道の溝に沿って黄色いベルトがはるか彼方まで続いてやがて地平線と混ざって見えなくなるのは壮観です。・・・あ、ややオーバーでした。広い農地が広がっているのですが、地平線というと不正確ですね。向こうに神島(こうのしま)という今では地続きになっている島の山がありますから。

それにしても広大な農地です。全貌を見たことはまだありませんが、いつ来ても何も植えていない農地がたくさんあるように思います。それとも、牧草地なのでしょか。何だがもったいないような気持ちになります。ここは、農林省の国営干拓地だったはずです。その事業はどうなったのでしょうか?

こちらでは水門を開けるだの閉めるだのという問題は起こってはおりませんが、十分に活用されているのでしょうか。まさか、入植地は満植になってなくて放置されている、ということはないでしょうね。

その後帰って、紅茶を飲んで「ハンニバル」を読んでいたら、うとうと。起きて焼き肉。復興景気の上昇に何も寄与できないので、せめてビールを飲んでビール業界に貢献しておきましょう。

 
2011年4月30日。土曜日。晴のち曇り。夜雨。
GW2日目は四月最後の日です。ほんとうにあわただしい4月だった、という感想です。もちろん世間的にも個人的にも。

個人的な慌ただしさが、世間の慌ただしさで救われた感じです。こちらが忙しくしているとき世間が行楽に花見にと浮かれていたら、こちらの気分もメイルのでしょうが、今年はうまくシンクロしていたし気候もいまひとつぱっとしなかったので、地味な四月でした。

さて、今日はGWの2日目。外は曇っていますが、やがて晴れるでしょう。やや肌寒く、朝夕は暖房を少し入れます。


午後になって曇り、やや湿度が増した感じ。夕暮れが早く散歩から帰ってくると7時にはやや暗くなった。今年は春先の夕暮れが寒くて春宵の楽しみがなかったので、せめて日没後の薄暮を今のうちに楽しみたいものだ。

東北自動車道を無料化しようという愚策に、どうしてこう場当たり的な政策しか考えつかないのだろうかと呆れていたら、今度は今度は国家公務員の給料を1割カットなどと言い出した。どこまで本気で考えているのだろうか。こういうことをしたら大不景気になるに決まっている。さらにそれよりも、人材流出のほうが恐い。おそらく国家の根幹を揺るがすことが起こるだろう。

民主党には、今回の惨事を収拾する能力はないのだから、早く政権を自民党に返上すべきだろう。
 
 
 
今年12冊目。
貴志祐介「黒い家」(角川書店)。
今年13冊目。
貴志祐介「13番目の性格 -ISOLA-」(角川ホラー文庫)。
今年14冊目。
貴志祐介「青い炎」(角川書店)。
今年15冊目。
貴志祐介「硝子のハンマー」(角川書店)。
今年16冊目。
吉村達也「姉妹」(角川ホラー文庫)。
 
 
今月見た映画・ビデオ等
DVD「X-MEN」。
DVD「X-MEN2」。