2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年9月


2011年9月1日。木曜日。晴時々雨。
9月になった。
台風12号の影響でやや曇り空。でも、気温は高い。それに、湿度も高いようだ。不快な残暑だ。

風が吹いてオリーブの葉が揺れている。だから涼しいかというと、そうではない。生暖かいというよりも熱い空気が緩慢に揺れる。夜だったら、幽霊というよりも、魑魅魍魎のたぐいが跋扈するであろう。

島田荘司さんの「龍臥亭幻想」(光文社)は不思議な小説である。「龍臥亭事件」の舞台となる龍臥亭という建物群は、実際に起こった日本の大量殺人「津山事件」、すなわち津山30人殺し、をモチーフとした小説の舞台で、これは架空のものであろう。

こちらの物語の劈頭は、その架空の龍臥亭の前日譚である。後日譚という言葉ならあろうが、前日譚という語は、やや日本語としておかしいように思われる。それは、ともかく、龍臥亭のある地形や周囲の村の形成や、さらに津山事件を起こした背景となる(と喧伝された)淫靡の風がいかようにもたらされたかが、伝説風に記される。

年金関係の書類が届く。所属期間の証明書である。これで書類がそろったので、2つめの書類が提出できる。その後、それに伴って3つ目の書類に必要な物が送られてくるのだと理解していたら、同じような証明書を請求して発行してもらうようになっていることに気づき、そちらの請求書を書いて出してきた。以前読んだときは、そのように理解できなかった。一つ一つ書類を整えて、確認しているとだんだんとわかってくるが、それにしても複雑多岐に渡っているので閉口。これの回答が届けば3番目の書類が出せる。2番目の書類を再度チェックして1箇所記入漏れがあったので、書いて提出する予定。ほんとにくたびれる。
 
 
2011年9月2日。金曜日。暴風雨。
台風が次第に接近するとともに、西にそれ、こちらに向かっている。前回のように四国沖で東に移動ということは考えられないのだろうか。予報では中国地方縦断の模様。

台風のせいで気温も下がり、久しぶりにさわやかな朝だった。外を歩く人が、きもちのよい朝ですねぇ、などと挨拶している。台風のことは頭にないようだった。ちょっと、違和感。

明日の6時に福山市という予想進路。後に9時に変更になった。さらに時間とともに,今度は予想進路が東にそれ倉敷当たりに変更なった。四国では室戸岬あたりに上陸しそうである。

16時すぎに岡山県の一部に暴風警報が発令されたが,広島県には出ない。

広島県は18時過ぎにやっと発令された。

先月やってもらった水道工事の請求書が郵送されてきた。洗面台の下の床の下で漏水があるということで、二人で9時から3時頃までかかった。洗面台をはずし、クッションフロアを剥いで、床を切って、配管工事。そして逆に復元。4万円と少し。思ったより安かったので、安心・感謝。

島田荘司著「龍臥亭幻想 上」(光文社)は古い伝説と連続殺人事が龍臥亭付近で起こる。農村の風景が巧みに挿入されており,それだけでも楽しい。ここでは,犬坊里見が司法試験に合格して登場する。
 
2011年9月3日。土曜日。雨。
今日は土曜日ですが、先日来のノロノロ台風が、いよいよ本土上陸のところまでやってきました。そして、その進行方向の射程に福山が入っているので、油断ができません。

9時過ぎにいつものように買い物に行ってきましたが、さすがに横から吹く風にあおられた雨は鬱陶しい。今日は、もう外出はせずに家にいようと、思いました。

台風12号はノロノロ運転の自動車のように時速10キロ以下の速度で、今朝の10時前に高知県室戸半島に上陸しました。980hPaに気圧は上昇しております。

その後、風も雨も強くなったり弱くなったりを繰り返しておりました。4時前後でしょうか、かなり激しい雨を境におとなしくなりました。気象庁のHPで確認すると、善通寺市あたりで、985hPa、北へ15km/hで進んでいるようです。

ということは、すぐ近くです。ただ、進行方向のやや左側ですから、風も弱くなったのかなと思っています。

津村節子著「ふたり旅」(岩波書店)は自伝的エセーです。後半は吉村昭さんの本でかつて読んだことが、津村さんの側から書かれており、興味深く読みました。
 
2011年9月4日。日曜日。晴れ。
台風一過の日曜日だが、今日は出勤。
曇っていたが強い日射しが戻ってきた。湿度が下がれば少々暑くてもよいのでは。

今日も明日も仕事。そして明後日の火曜日が代休ということになっている。

さて、台風の影響であるが、こちらは高台にあるので、東からの風はまともに受けて、家がみしみしと鳴っていた。もう五年先、十年先は、どうなるのだろうか、と不安に。幸い、今回は瓦も飛ぶこともなかったが、だんだんと家は古くなってくるので、こういう台風がくるとやはり心配だ。

台風の針路ははじめ福山直撃であったが、実際は、岡山よりになり、こちらは進行方向に向かって左手になったので、風は弱くなった。それに、高知県に上陸していたころから中心気圧が上がり、勢いも弱まったのだろう。

雨は午後になってもかなり降ったが、夕方には止んだ。

そのような次第で、幸い何事もなく通り過ぎた。


島田荘司著「龍臥亭幻想 下」(光文社)は例によって、意表を突く解決編・謎解きで、多数の謎が見事に説明される。そんなことは、実際あり得ない、と思うが、それはそれでいいのだ。フィクションの世界、ゲームの世界なのだ。
 
2011年9月5日。月曜日。晴れ、一時雨。
台風一過の青い空。でも、雲も多い。
夜の気温が下がって、エアコンなしでよく眠れるようになった。
朝、シャワーを浴びていると、少し寒い感じ。

日射しが伸びた。窓から部屋の中まで入ってくる。
暑い、暑いと言いながらも、季節は確実に移り変わっているようです。

島田荘司著「北の夕鶴2/3の殺人」(光文社)を読んだ。再読。先日も書いたように「涙流れるままに」を読んだので,再度読んだ。以前,はよくわからなかったところが,よくわかった。

続いて、島田荘司著「犬坊里見の冒険」(光文社)です。司法修習生として研修をはじめた、あの龍臥亭の娘・犬坊里見の新シリーズ。リーガル・ミステリーへと展開されますが、消えた死体の謎を追う本格ミステリーです。今回は珍しく、謎が解けました。
 
2011年9月6日。火曜日。晴れ。
本日、休み。因島へ。剪定を始める。
明け方少し寒し。
 
2011年9月7日。水曜日。晴れ。
秋がきた。明け方が寒い。朝も少し寒い。でも、日中は暑い。しかし、日暮れは早く、あっというまに暗くなる。お日様がいないので、暑さも遠のく。秋だ。もう、確かに秋だ。

岸田るり子著「天使の眠り」(徳間書店)はよくできた本格ミステリーである。もちろん、こんなことは現実にはあり得ない、と言ってしまえばそれまでであるが、論理パズルとしては、おもしろい。ただ、プリオンだのいろいろと仕掛けの要素があるのに、そういうものとは関係なく解決するのが、少し惜しい。
2011年9月8日。木曜日。晴れ。
ほんとうに秋らしくなった。
暑い日中もあっというまに去り、午後の影は時間とともに長くなり地上を冷やす。

岸田るり子「密室のレクイエム(鎮魂歌)」(東京創元社)は読み応えのある本格推理小説であった。意外な結末は、大いに驚かされた。探偵役も主役刑事もいない。ただ、はじめから最後まで出てくる女性が主人公であるが、探偵役を振り分けられているのではない。
2011年9月9日。金曜日。晴れ。
朝夕が秋らしくなったが、日中は暑く、officeでは、エアコンが入っている。例の節電とかで28℃設定。このころではこれで大丈夫。真夏は、このせいで生まれてはじめて夏ばて。正確に言うと、これのせいか、年のせいかわからない。

更級日記ふうに言うと、あづまじの果てに住む、息子が、メガロポリスのほうへ移転するので、その軍資金を送る必要が生じた。候補にあがったワンルームは写真ではきれいで快適に見えた。しかし、こんなに狭くては本など置くスペースも確保するのがむずかしかろう。こういう事情は地方の学生も同じだろう。ということは、本を買って読むということは、既にライフスタイルの埒外にあるということか? 読書に本格的に親しむ初期は、自分で買って書棚にならべて、その増えるのが、楽しみだった。そういう楽しみがなくても読書をするひとは多いが、本を読む習慣を学生時代に身につけない人も多くなったのではないかと思う。

3つめで、最も重要な年金請求の書類をやっと完成させ提出。少しはしくみがわかってきた。それにしても、当初は、難しさには悩まされた。

菅家利和・河野義行著「足利事件 松本サリン事件」(TOブックス)を読んだ。冤罪の構図が少しは見えた。
 
2011年9月11日。日曜日。猛暑。
秋の日射しなのに気温は夏ですね。

昨日から広島へ。紀伊国屋書店へ寄ったので。岩波文庫の「孟子 下」と「老子」を買った。

岸田るり子さんの「出口のない部屋」(東京創元社)を読んだ。これがデビュー第一作ということだから、凄い。文句なく傑作です。名作です。新人の作品とは思えないような凝った内容でありながら、破綻の見られない、すばらしい仕上げ振りに感服いたしました。
 
2011年9月12日。月曜日。猛暑。十五夜。
仲秋の名月とか。十五夜と暦上にはある。いつものなら秋の盛りだろう。お月見とは縁遠いような、暑さ。夏はまだまだ終わらない、という感じ。

でも、夕方歩いていると、暑いとはいえ、真夏ではない。日没とともに確実に気温は下がっているのだ。

庭に、久し振りに水をやる。まだまだ夏は終わったと安心してはいけない。植木を枯らさないためには、これからが勝負だ。

岸田るり子さんの「ランボー・クラブ」は、これまた凄い設定だ。母と息子が、自らの名前も、戸籍も消して、他人になるという話。思えば、これまで読んだ岸田作品、すべてに他人になりかわるという、「変身願望」があった。そしてそれがフィクションを構成する背景として不自然でない程度にまで、リアリティをもって書かれている。見事な才能というほかはない。
 
2011年9月13日。火曜日。猛暑。
気が付けばもう13日。まもなく9月も半分が終わる。早いなァーという思いで一杯。

岸田るり子著「ランボー・クラブ」(東京創元社)はよくできたミステリーだった。複雑な謎と、主人公や登場人物の心の闇はうまく描かれている。読んでいくに従って、謎は深まるとともに、人物がそれぞれ動き出す。この謎はいったい何なんだ、と思わずにはいられない。物語は、正しく着地する。論理的には認められる解決編であろう。しかし、なぜかすっきりとしない。満足感がない。それは、最後の決定打が高尚すぎてすとんと頭に入らないからかもしれない。
こんな解決なら、解決を先延ばしにして、例えば島田さんの加納通子のように、問題をかかえたまま不思議な存在にしていたほうがよかったのではないかと思う。
 
 
2011年9月14日。水曜日。猛暑。
今朝は珍しく涼しい朝だ。でも、日中は気温が上がるだろう。

津村節子さんの短篇集「幸福の条件」(新潮社)を読んだ。家族、夫婦、男女の様々な関係、きわどい関係がさりげなく描写されている。非日常的に見えるが、案外、こういう世界が日常的なのかも知れない。多くの人が自分の回りしか知らないから、非ドラマチックな安全で平凡で平和な日常を送っているように思っているだろうが、一寸先は闇で、いついかなる事態に直面するかわからない。あるいは直面している人もいくらかはいるだろう。そういう世界が作家の筆によって、鮮やかに描かれる。
何という日中の暑さ。外に出られない。エアコンのないところで過ごせない。ああ、灼熱地獄!!
 
土曜日の夜、横川駅近くのビジネスホテルに泊まっていた。10時過ぎからパトカーのサイレンが頻繁に聞こえる。やはり広島は違うな、と思いながら、ミステリーを読んでいた。時折、救急車のサイレンが混ざる。12時になっても、まだ続いている。いや、一層賑やかになったようだ。気になるので、出てみることにした。しかし、フロントには人はいないし、玄関はオートロックになっていて、中からは開けられるが、閉めると外からは開かないようになっている。直角にしておけば、閉まらない。そうして、道路まで出て見て驚いた。一つ向こうの信号をはさんで夥しいパトカーの天井燈の点滅。かなりの交通事故。おそらく、事故のところにさらに追突が重なったものと思われる。近くまで行きたいが、ホテルのドアを開けたままにしておくわけにはいかないので、諦めて部屋に戻る。その後も、断続的に救急車が出て行くのが音から想像された。
そして、こんなにパトカーを見たのは、シージャック事件以来だな、とふと思った。厳密に言えば、その時は見ていない。夥しい数のパトカーのサイレンを聞いたのである。私は、それを小町の予備校で聞いた。100メーター通りと直角に交叉する富士見町の通りを、宇品に向かったものだ。そのことは、後で知った。昭和45年の夏前だと記憶している。その年の秋、三島由紀夫さんが自殺された。世にいう三島事件である。そのニュースは南大河町の予備校の寮の隣りにある銭湯のテレビで知った。
広島での仕事を終え、日曜日に福山の自宅に帰ると、翌年の4月から3年間お世話になった下宿の同窓会の案内が来ていた。はるか、かなたのことになったが、若い日の記憶はあざやかだ。
大学4年の2月末から入社が決まった会社の研修で、徳島へ。4月から三篠の会社の寮へ泊まり、楠町の広島支店で研修。5月から米子で勤務。三月末で退職し、広島へ戻り、西十日市に住みフリーター生活を1年。そして岡山へ・・・。
一番下の長男が、大学院を辞め11月から就職することになった。彼は大学院までずっとストレートだから、その年齢の私は、行く先も決まらぬままに卒論を探っていた頃か。合わなければ辞めてフリーターでもすればいいさ、というのが私の気持ちである。
 
2011年9月15日。木曜日。猛暑。
今朝も朝は涼しい。しかし、日射しは強く、今日も猛暑。 天気図を見ると、台風15号がいるし、熱帯性低気圧もある。台風については10月になると日本に上陸することはまれである。9月はまだ半分もあるのだから、上陸あるいは接近してきてもおかしくはない。それを機に季節が変わればいいのだが・・・。

津村節子さんの短篇集「遍路みち」(講談社)は、夫であった吉村昭さんが亡くなられてからのことなどを書かれた作品集で、見方によっては「老い」あるいは、「一人の老後」という誰もが直面する事態の記録ともとれる。一見、賑やかな作家の死の記録であるとともに、普通の女の老後小説と読めば、なかなか細やかな観察といってもよいだろう。

大分で、自動車に置いていた二歳の女児が行方不明になって、24時間たっても出てこないと、今朝の新聞に載っていた。無事、戻ってくることを祈る。

ところで、こういう自動車へ子どもを置いておくということは、パチンコ屋の駐車場で、車内の子どもが死ぬという事故が頻発し、そういことのないようにとたびたび報道されているところである。私がよくいくGSの前にあるパチンコ屋の駐車場にも、注意書きがしてある。そのパチンコ屋へ行くわけではないが。給油中に見える。ガードマンが巡回したり、あるいは子どもずれの客は駐車を断るケースもでていると聞く。

スーパーの駐車場の日陰に、5分間だけ、ということであるが。これでも危険だ。日陰でも、太陽光線の下を走った車は焼けている。エアコンが止まればあっというまに高温になることだろう。だから、もし、鍵をかけていたとしても、やはり車へ子どもを残していくことは危険なことだ。さらに言えば、夏の暑い日に限らない。夏の暑い日がより危険が増すと言うことであって、春や秋の時候のよいときでもよろしくない。車の構造を考えればあきらかだろう。あのシートの複雑さと狭い隙間。2,3歳の子どもがひとりで歩き回っていたら、過って首を挟まれてもおかしくはない。また、いろいろなレバーが、シートはもちろんドアや運転席周辺にある。これらは電動のものが大部分だろうが、シートのレバーにはバネ仕掛けで、ふれれば急激に移動を開始する物もある。このようなことを考えると、暑くなくても、あるいは鍵をかけていても、子どもを自動車に置いておくということは、まことに危険なことのように思われる。
 
2011年9月16日。金曜日。曇り後大雨。
台風の接近か雲が多い。
朝起きたときは涼しかったが、8時過ぎに出勤して、車から降りると、太陽の日射しがちりちりと膚を射る。残暑は今日も厳しいようだ。

officeのエアコンを入れ、南側のベネシャンを半開にしてできるだけ遮光する。

昨日、NTT西日本の方がこられてBフレッツをフレッツ光ネクストにする工事をしてくれた。その後のルーターの設定は自分でしないといけないということだ。こういうのは時間の無駄だから原則として自分ではしないことにしている。いつも息子がするのだが、しばらく帰ってこないだろうから、自分でするしかない。なんとかできた。少し早くなったようだが、気のせいかもしれない。電話が、従来の電話線を撤去して光ケーブルに直接つながった。市外通話料金が安くなるということだ。あまり使わないので関係ないだろうが。

岸田るり子著「Fの悲劇」(徳間書店)は込み入った謎を見事に解決・説明しており、律儀な本格推理小説です。途中で、またもや入れ替わっているな、という印象をもったのだが、誰が誰と変わっているというのは最後までわからなかった。

午後から激しい雨。台風の影響だろう。暑さが逃げただけ助かったが。
 
2011年9月17日。土曜日。
秋の大型連休の第一日目は雨でスタート。秋分の日をはさむ次の三連休も晴れるかどうか心許ない。

昼頃、孫君がやってきた。一歳と二ヶ月。一月まえより歩き方がしっかりした。各部屋各部屋と渡り歩き、さわれる物にはすべてさわり、扉は開かないかやってみる、という好奇心の旺盛さには呆れたが、その遺伝子のいくらかの責任は自分にもあるのだから、諦めるしかあるまい。

菅家利和著「冤罪」(朝日新聞社)は、本当の意味での冤罪の構造ではないかと思った。 
2011年9月19日。月曜日。曇り後雨。
台風15号は停滞しているようですが、我が家は孫台風が吹き荒れています。今日も朝から動き回っています。二階にも上がってきます。そして次から次へと物を出していきます。凄いパワーです。

岸田るり子著「過去からの手紙」(理論社)は若者向けに高校生を主人公に書かれたものです。前半は少しもたもたしますが、これはユーモア小説として楽しめます。後半の解決とどんでん返し、そしてタイトルの意味。さすが本格派です。

夜になって雨が降り出した。
 
2011年9月20日。火曜日。曇り後雨。台風接近。
大型連休の中休みである。暦通りの勤務であるから2つの3連休の間に3日間勤務する。ペースが乱れるようだが、休んでばかりいると、身体が鈍るので、かえってよいかもしれない。(退職後の体調維持がいかに難しいか、3連休だけで身にしみる)。若いうちはどういう生活を送ってもよいが、年をとると、じっとしているだけでも疲れる。ベッドの上で本を読んでいても腰や肩が痛くなる。動いているほうが身体にはよいが、雨が降ったり、猛暑が襲ってきたりすると、ついついエアコン+ベッドという生活になってしまう。

渡辺公三著「レヴィ=ストロース 構造」(講談社 現代思想の冒険者たち20)を読んでいると、いろいろなことを考える。数日前にも書いたように、講談社文庫の「悲しき南回帰線」しかその著作は読んでいない。構造主義についてはレトリックだと思っていたので、追うことはなかった。それよりも、大学の文化人類学で習った様々なタームを、驚くほど深く分析し、こちらの思考力の貧しさを思い知らされた形だ。こういうのは、解説本で読むよりも、翻訳でもよいから著作そのものを読むべきだと思うのだが、当分、その予定はない。図書館から借りてきて読み通すほどの体力は、正直言ってない。本棚に並べておいて、気の向くままに読みたいところだが、残念ながら、ストックにはない。ということで、当分おあずけだ。ただ、神話の解釈については、興味がある。

今日は朝まで降っていたようだが、午前中は止み、午後になって少し降っていたが、これはたいした量ではないようだ。気温は低いが湿気が多く、動くとすぐに汗が出る。早く秋らしくなってほしいものだ。

昨日、垣根代わりにのばしている木に登って実をつけたカボチャを取り入れし、蔓を撤去した。そして、夏の間に伸びた枝を少し切った。切った枝を整理していると、彼岸花の芽が少しだけ地面から顔を出していた。23日になったら花を咲かせるのであろう。毎年のことがながら、忘れずに出てくるのには感心する。

 
2011年9月21日。水曜日。晴れ。
台風一過。といってもまだ紀伊半島の当たりを北上中。これは台風15号の話。

一方,孫台風のほうはますます探究範囲を広げ,ついにPCのSWにまで気が付いてしまった。昼間は電源コードを抜いておくことにして,当分しのげるのではないかと思っている。

埴谷雄高「ドストエフスキイ」(NHKブックス)を再読した。わかりやすくてよい本である。ただ,わかってもドストエフスキーの深遠な思想がすべてわかった気持ちにならないのは,この手の薄手の本ですべてを理解することがそもそも無理なはなしだからであろう。
 
2011年9月22日。木曜日。晴れ。
仕事が忙しくて、かかりつけの医院にもいけませんので、電話して薬だけもらってきました。

湊かなえさんの「告白」(双葉文庫)を読みました。倫理観の欠如した小説です。どうしてこんな殺人ゲームのような小説に多くの人が興味をしめすのか、ということは21世紀の社会的問題でしょうね。整体の日。
2011年9月23日。金曜日。晴れ。秋分の日。
いよいよ孫君とお別れの日が来ました。1週間の滞在を経て、予定通り帰ることになりましたので、お昼ご飯を食べてから、廿日市まで送ってきました。

1週間福山にいても、やはり自分のお家は忘れていないようです。

そして私はというと、福山に戻るとまた桔梗さんと二人だけの生活です。台風一過と言ったところでしょうか。

岸田るり子さんの「めぐり会い」(徳間書店)は、まったく関係のない複数の家族の人たちが、だんだんと鏡の表と裏のように重なっていくのですが、それははじめから、そうなっていた、という話ですが、しかし、原因と結果が見事に逆転して、鶏が先か卵が先か、と面食らってしまいます。「ターミネイター」のサラの子どもと、その子どもの父親の関係のような、奇妙な二つの事象が出会う「めぐり会い」を描いたもので、その緻密な構成には驚かされます。そういうパラドキシカルなミステリーの成功作です。
 
2011年9月24日。土曜日。晴れ。
秋晴れの土曜日。山陽道、しまなみ海道を走って因島の実家へ。山陽道は昨日に比べると少し車が多い。散髪に行き、それから庭木の剪定。直射日光に当たっていると汗が出る。電動の刈り込みばさみの重さが腕にくる。夕方、福山に。シロアリベイトのチェック。来ていない。
夜、ある会合で駅前のホテルへ。6時過ぎに家をでると、もうすっかり暗くなっている。10時過ぎに帰る。20℃であるので寒いはずだ。あっという間に秋が深まった。読書の秋というが、少し寒い。またまた、炬燵のシーズンを迎えなければいけないとなると、やや気が重い。暖かくてよいのだが、腰にはどうもよくないだろう。ベッドの上で自由に回転させていろんな姿勢で本を読むのでなんとかもっている。炬燵では思うようにならない。少し考えてみなければ。
 
2011年9月25日。日曜日。晴れ。
3連休のおかげで、三日目はめずらしくfree。ここ一月ほどはあわただしく、土日に出かけることが多かったので、今日のように一日家でのんびりできるのは珍しい。

空はあきらかに秋空になったようだ。青く澄んでいる。雲が少ないだけ、湿度も低いということだろう。そのせいか、日陰は肌寒い。あまりに早い季節のうつろいに戸惑うものの、あの暑さから解放されたと思うとうれしい。

二階堂黎人編「不可能犯罪コレクション」(原書房)には以下の短編が収められている。
大山誠一郎「佳也子の屋根に雪ふりつむ」
岸田るり子「父親はだれ?」
鏑木蓮「花はこころ」
門前典之「天空からの死者」
石持浅海「ドロッピング・ゲーム」
加賀美雅之「『首吊り判事』邸の奇妙な犯罪」

このうち、最も楽しめたのは岸田作品。見事に決まっていた。次いで大山さん、そして加賀美さんのもの。

宮崎勤「夢のなか」(創出版)を読んだ。古い事件で報道によって判断したかぎりでは、性犯罪であったと記憶している。また、そのように裁かれて死刑判決が出、既に刑は執行されている。なのに、この本によると、性犯罪とは遠いところで事件は起こったようである。
 
2011年9月26日。月曜日。晴れ。
またまた巡り巡って月曜日。
5時半に目が覚めるも、まだ暗い。次に目が覚めたときは7時。
遅い朝ご飯。月曜日は燃えるゴミの日。

戸籍抄本の必用があって、近くの支所に行こうとして、ふと気づいた。自分の本籍地は尾道市であった、と。便利に成りすぎた社会。油断であった。戸籍関係は便利ではない。

中村敦夫著「チェンマイの首」(講談社文庫)。木枯らし紋次郎の国際派俳優の中村さんである。国際情報小説ということであるが、情報が多すぎて私などは消化ができない。しかし、後半はクーデター小説になり、多いに楽しめた。しかし、成功したクーデターを書いたら、おもしろくなくなるのか見たことはない。やはり、失敗するから小説としてはいいのだろうか。
 
2011年9月27日。火曜日。晴れ。
さわやかなな火曜日の朝です。
昨夜は11時過ぎに寝たせいか、今朝は6時前に目覚めました。いつもなら彼岸花が咲いて散っている頃ですが、庭にでてきた黄色と赤の彼岸花はやっと黄色が咲いたところです。赤はまだまだ蕾が小さいようです。少し寒かったせいかなと思っています。
日中は少し汗が出るほどでした。でも30℃には至りません。秋晴れの美しい日でした。

湊かなえさんの「贖罪」(東京創元社)はわかりやすい本です。小学生のとき、同級生の女児が何者かに殺されます。そのとき居合わせた少女たち4人は被害者の母親から犯人を見つけるか罪を償えと叱咤されます。その4人の少女のその贖罪の物語が語られていきながら、真実が明らかになるというストーリーです。そして、その四人の声を聞くうちに母親は真犯人に思い至り、自らの償いをするという二重三重の贖罪の話になっています。人物や環境もよく描かれているし、少しずつ真相が暴かれるという本格推理の傑作です。直木賞の候補になってもよい本なのに、そんな話は聞きませんでした。やはり、文春からださないといけないのでしょうか。
 
 
2011年9月28日。水曜日。晴れ。
9月の最終週がしゅくしゅくと進んでおります。今日はその中日の水曜日。今週は見事な秋晴れの天気で、快適ですが、金曜日土曜日は雨マークがついておりますから、このお天気も明日まででしょうか。

世の中にはいろいろな人がいて、それはそれで人類の多様性を創出していていいのですが、次のようなニュースには、やはり驚きます。

*****
中学生の娘に「滝行」と称して水を浴びせ死亡させたとして、熊本県警は27日、父親の熊本市帯山3、会社員舞鴫(まいしぎ)淳(50)と、同県長洲町宮野の僧侶、木下和昭(56)の両容疑者を傷害致死容疑で逮捕した。
 2人は「除霊のため」として、3月頃から同様の行為を100回以上繰り返していたという。
 発表によると、2人は8月27日午後9時頃、同町宮野の宗教施設「中山身語正宗(なかやましんごしょうしゅう)玉名教会」で、舞鴫容疑者の次女で中学2年ともみさん(13)を椅子に座らせ、腕や足をベルトで縛り、「滝行」と称して、約5分間、顔を上に向けさせた状態で水を浴びせるなどの暴行を加え、死亡させた疑い。
******

ディクソン・カーの小説にブランヴリェ侯爵夫人の処刑に材をとった推理小説があって、水責めというのが生々しく描かれていたのを思い出しました。

熊本の事件は、除霊ということだそうですが、今でも霊がついているのが分かる人たちがいるのですね。どうやって霊を見るのか教えてもらいたいところです。

きっと、修行をしてから見えるようになると、言われるのではないでしょうか。修行をすれば見れる物でもないと思いますが・・・

口直しというわけではありませんが、湊かなえさんの「Nのために」(東京創元社)を今日は読みました。これも傑作ですね。物語のはじめのへんで起こる殺人事件は、他の小説同様、最後に別の様相を示すのですが、それまでに至る登場人物の行動と過去が、リアルに描写されていて驚きます。本作品も傑作です。
 
2011年9月29日。木曜日。晴のち曇り。
今朝は少し雲っていたのか起きたときは薄暗いようでしたが、出勤前には晴れて、秋晴れの一日が予感されました。でも、雲が多いのが気になります。天気予報では明日、明後日は雨マークが入り、週末は下り坂の模様です。

長田順行さんの「暗合の秘密」(青柿堂)は小冊子で読みやすい本です。暗合の本はたくさんもっているのですが、取っつきにくくてほとんど見ておりません。でも、この本はなぜか敷居が低いようです。

湊かなえさんの「少女」(早川書房)は二人の女子高校生が死というものを見たいと言うことで養老院(最近ではこういう言葉は使いませんね。いつのまにか・・)ではなく老人ホームと大学病院の小児科へボランティアで行くという設定です。死にそうな人がなかなか死なない。でも最後には死ぬんだろうな、という期待を抱かせます。老衰や病死のように見えるが実は殺人事件だった、というように湊さんだったら書いてくれるのではないかと、変な期待をしてしまいます。そして、最後は、その生徒たちが犯人だった、といようになりそうな予感です。
でも、半分にさしかかっても、まだ死にません。最後になって、既にみんな精神的には死んでいた。屍のような肉体だけが、昨日も今日も、そして明日もそこにある、などど精神論でかたづけてしまったら、これはミステリーではなくメルヘンになってしまいます。そんなの期待はしていませんが。

・・最後まで読んだ。自殺はやはり自殺であった。他殺だったということはなかった。それでも,はじめから登場している者たちが,最後になって,みんなつながっていたという幕引きは,大団円というにふさわしい。事件よりも,人物関係がミスエリー的にうまく展開されていた。
 
2011年9月30日。金曜日。曇り時々雨。
9月30日。月末である。今年度の半分が終わる。今日が終わると、私の勤務もあと1年半である。そういう節目の日である。

湊かなえさんの次の作品は「夜行観覧車」(双葉社)である。こちらは家庭内暴力が主題。隣りあった二軒で同夜荒々しいお叫びが・・・。そして、常習の家庭ではなくいつもは静かな医師の家庭のほうで惨事が起こる。

息子が母に暴言を吐いているところへ父が帰宅する。父は息子に殴られ昏倒する。病院で死亡するが、母は自分が殺したと自供する。・・・このようなお膳立てであるが、周囲の人たちの証言が続くうちに徐々に真相が明らかにされる。そして意外な人が犯人であった、というように小説は終わるだろう。

・・・終わった。意外な結末。でも、傑作ですね。なかなかよく書けていると思いました。これで、湊かなえさんの作品は、あと2作品ですが、予約待ちです。しばらく休憩とします。
暑い夏から秋になり、大潮でもないのに宮島の回廊が冠水したという高潮・・・、そして寒波が来るらしい、という変な気候のなかで、9月は終わる。
 
 
今年65冊目。
島田荘司著「龍臥亭幻想 上」(光文社)。
今年66冊目。
津村節子著「ふたり旅」(岩波書店)。
今年67冊目。
島田荘司著「龍臥亭幻想 下」(光文社)。
今年68冊目。
島田荘司著「北の夕鶴2/3の殺人」(光文社)。
今年69冊目。
島田荘司著「犬坊里見の冒険」(光文社)。
今年70冊目。
岸田るり子著「天使の眠り」(徳間書店)。
今年71冊目。
岸田るり子「密室のレクイエム(鎮魂歌)」(東京創元社)。
今年72冊目。
菅家利和・河野義行著「足利事件 松本サリン事件」(TOブックス)。
今年73冊目。
岸田るり子著「出口のない部屋」(東京創元社)。
今年74冊目。
岸田るり子著「ランボー・クラブ」(東京創元社)。
今年75冊目。
津村節子著「幸福の条件」(新潮社)。
今年76冊目。
津村節子著「遍路みち」(講談社)。
今年77冊目。
岸田るり子著「Fの悲劇」(徳間書店)。
今年78冊目。
菅家利和著「冤罪」(朝日新聞社)。
今年79冊目。
岸田るり子著「過去からの手紙」(理論社)。
今年80冊目。
渡辺公三著「レヴィ=ストロース 構造」(講談社 現代思想の冒険者たち20)。
今年81冊目。
埴谷雄高著「ドストエフスキイ」(NHKブックス)。
今年82冊目。
湊かなえ著「告白」(双葉文庫)。
今年83冊目。
岸田るり子著「めぐり会い」(徳間書店)。
今年84冊目。
二階堂黎人編「不可能犯罪コレクション」(原書房)。
今年85冊目。
宮崎勤「夢のなか」(創出版)。
今年86冊目。
中村敦夫著「チェンマイの首」(講談社文庫)。
今年87冊目。
湊かなえ著「贖罪」(東京創元社)。
今年88冊目。
湊かなえ著「Nのために」(東京創元社)。
今年89冊目。
湊かなえ著「少女」(早川書房)。
今年90冊目。
湊かなえ著「夜行観覧車」(双葉社)。