2019年7月15日月曜日

夕凪亭閑話 2013年6月


 
2013年6月1日 。土曜日。曇り後雨。
6月になった。至る所で紫陽花が花開いている。卯の花も満開で、それに合わせるかのようにホトトギスが声高く鳴く。野いちごや虎杖の季節は過ぎているが、野山の至る所は萌えるばかりに輝いている。
6時に起きて、午前中は執筆。パラグアイ移住史のその5として第一陣の旅程をまとめるも、やや退嬰的。2時間ほどで所用で中断。午後、再び続行し、一応upしておくが、あと味はよくなかった。もうひとつ、生活単元理科について、学習指導要領を読み返してみたいと思い、一番始めのものを繙くも、これまた豊富すぎて、やや泥濘に足を取られた感じで、進まず。1時間ほど昼寝して、夕食。夕食後庭の草取りをしようと思ったが小雨が降っていたので中止。メダカの採卵もこの時間にすることに決めているので、やはり中止。
そして、夜は気儘な読書。まだ、在職中のパターンに戻らない。二ヶ月の間にすっかりその過ごし方を忘れたようだ。これは二ヶ月前に、サンデー毎日を何も計画を立てず好きなようにやるという「計画」のもとで始めたのが悪かった。いや、そうではない、そうこうするうちにここ1週間ほど、なんとか午前中執筆、午後ホームページの作成、夕方メダカと庭の手入れ、夜、在職中のパターンというのを思いついた次第だ。だから、初めから何らかの計画を立てていても、その通りいかず苦しむだけであったと思う。だから、この2ヶ月を放埒に送り、このパターンを見いだしたことを僥倖と思わねばならないだろう。
例年のこととは言え、夜になって寒くなった。ストーブを少し活用。だから我が家では、ストーブは梅雨が終わってから、暑い中掃除をして片づけることにしている。そんな調子だから扇風機は交替で出すわけにはいかず、既に少しずつ活躍を始めている。
 
卯の花にホトトギス鳴きアザミ咲く六月なりし梅雨空の下
薊咲く交差点に車停めカメラを持ちて虎杖よける
不如帰大きく鳴きしこの寺は六時の鐘の届く寺かも
水無月になったとばかり紫陽花の咲き競えけり街のおちこち
 
 
2013年6月2日。日曜日。曇り時々小雨。
6時前に起きる。小雨。今日は老人会のリサイクル品収集日であるので新聞紙を出しておく。やや肌寒いのでストーブを入れる。半袖が原因ではあるが。
午前中、執筆。今日は理科教育史ノート(2)を書く。これまた昨日と同じく資料の抜粋で、気分が悪い。しかし、こういう部分を積み上げていかないと、全体は見えてこない。小さな蟹は小さな穴を掘るしかない。
午後、山陽道、しまなみ海道を経て因島へ。曇天の下、栴檀の薄紫の花がやや色を増したようで、美しい。路地に入ると道沿いの家の泰山木の花が咲いている。見事なものだ。
帰って夕食。夕食後も薄暮でまだ明るい。メダカの採卵をしようと思ったが小雨が降っていたので諦めた。今年は既に十分産まれているので、慌てる必要はない。
夜は、例によって気儘な読書。「1Q84 BOOK2」のちょうど真まん中にしおり紐がきた。従って全体での真まん中でもあるだろう。ちょうど、ヒロイン・女必殺仕置人の青豆が教祖と対決するところである。まだ仕置きはしていない。オウム事件は確かに私の経験した事件の中でも極めて大事件であったが、そういう社会事件をこのような形で用い、思想性の高い作品に出来ていることに感心した。ここまでのところで、十分に名作である。ノーベル賞を受賞してもおかしくはない。
 
見上げれば泰山木の白き花かつて歩きし路の傍咲く
栴檀のおちこち咲きしハイウェイ老いの車はのどかに走る
 
2013年6月3日。月曜日。晴れ。
暑くないが晴れ。ろくがつみっかは雨が降り・・というお絵かき歌があったような。6月6日だったのだろうか。
7時前に起きる。午前中はパラグアイ移住史を書く。沼隈町移住団が入植したフラム移住地というのを他の移住地との関係で述べた。結局1時半までかかってしまった。その後昼寝。そして夕方メダカの卵をとる。その後ロスコー・ノートというのを新しく作る。ロスコーはイギリスの化学者で、ロスコーの書いた化学の本は明治の日本の化学教育のスタートに用いられた。おそらく小学校の理科の本にも翻訳とは書かれていなくても利用されたのではないかと、伺われる。ということで、こちらも理科教育史になるので、既に立ち上げている理科教育史ノートを生活単元理科ノートに変更する。
「1Q84BOOK2」ではとうとう青豆さんはオウムの教祖を連想させる巨漢の教祖を仕置きした。その前の雷といいリトルピープルといい、ホビットの世界を連想させるではないか。もうこうなると、文学だの児童文学だのと言ってはおれない本来の物語の世界に踏み込んでいることになる。それはあるような世界でもあり、ないような世界でもある。そういう物語は読んでもいいいようだし、読まなくてもいいような世界だ。そこまで考えたとき、沼隈移住史も生活単元理科もロスコーも、そのうち立ち上げようと思うSaltersノートも、あってもいいしなくてもいいような世界である。その無くてもいいような世界もたくさん集まると、不思議と質量を感じさせる。それが言葉というものの本性であるのだろう。
 
2013年6月4日。火曜日。晴れ。
ああ、虫歯予防の日か、と思い、何故か梅雨と虫歯がセットになっているようにインプリントされてしまった長い長い間の慣習で、意味はないのだけれど、どうしょうもない
午前中は、ロスコーについて調べてメモする。執筆とは言い難い。13時まで。午後は植物記の追加。植物記はどうもしっくりしないので植物誌ということに変えてみようかと考えている。相変わらず名前の分からない植物の写真が多くて、進まない。5時にホトトギスの声を聞きながら夕ご飯を食べて、図書館から予約本が来たという連絡があったので取りに行く。湊かなえさんの「サファイア」。やっと順番が回ってきたのだが次の予約があるので2週間で読まないといけない。ついでに花の本を3冊借りてきた。
夜は8時過ぎるとやっと涼しくなった。これからが大変だなと思う。
 
カタカナの名前ばかりの花図鑑古き名尋ね脳に留めん
交差点アザミの写真写さんと車留める場所を求めて
ホトトギス鳴いて夕餉に花をそえ
 
2013年6月5日。水曜日。晴れ。
予想最高気温が昨日に引き続き29℃と出ていたので、今日も暑くなるかと思ったのにそんなに感じなかったのは、ちょうど2時頃昼寝していたせいなのか、それとも空気が乾いていたせいなのか、わからない。
午前中は、ロスコーの著作を調べていた。年代まで確定するのにはかなり時間がかかった。おそらく調べ方が悪いのだろう。外国の図書館の検索を掛ければもっと早く出てきたのではないかと、あとで思った。まあいいとしよう。これはこれで充実した時間であったのだから。
午後、植物の写真を整理する。ハテナブログはスタイルを変更することで拡大写真を前面に出せるようになったので、ブログへリンクするので、撮影日と撮影場所も記すことにした。ヤフーブログのほうはそのようなスタイルを見つけていないので、拡大写真へのリンクということになる。だから何もコメントは入らない。
古い写真を見ていたら、祖谷のかずら橋と阿蘇へ行ったときのヒゴダイの写真があったので載せておいた。
ヒゴダイはキク科だと書いているので、アザミに似ているのにキクの仲間かと思っていたら、アザミもキク科であった。どちらもキク科アザミ属ということなのだろう。
昨夜と同様、8時になると急に涼しくなる。
 
ヒゴダイを車越しに写せしは夏の高原秋の気配の
祖谷に来て二度と渡らぬかずら橋誓いを胸に見るだけの橋
 
2013年6月6日。木曜日。晴れ。
同じような日が続く。気候も。入梅宣言を取り消すことも考慮されているのかも知れないけど、気候はどう変わるかわからないので、もうこのまま突っ走って、夏の終わりに梅雨期はいつからいつまででした、と言えばいいのではないでしょうか。
そんな話が心配になるほど、梅雨時の湿っぽさがなく、気温は高くなってもまずまず過ごしやすい日々である。
今日は生活単元理科の昔書いた原稿を取り出して、並べ替えてupしておいた。参考文献の番号を打ち直したりしているとけっこう時間がかかる。そして二つ目はロスコー関係である。ロスコーの著作の雑誌論文を調べたりしていたら、これまた時間がかかる。気をつけないと既にどこかに完成したものがあったりするかもしれないということだ。
植物記の写真はほんの少し。結局散歩で足を伸ばして写真ばかりが増えていくという状況。
石榴の赤い花が咲いていた。それに山梔子の花の初見。我が家のはまだまだ。ヘビイチゴ発見。昔食べてみた。本に書いてあるとおり、まずい。いろいろな木の実のなかで、これほどまずいものはなかろう。木の実というより草の花なのだから比較するほうが酷というもの。それにしてもよく「蛇苺」などと名づけたものだと思う。感心する。蛇の餌だから食べてはいけない、と警告している感じがよく出ている。それに色と形。食べれば蛇になると、言われれば信じてしまうかもしれない。写真は拡大しすぎて、その気持ちの悪さが失われて、ヘビイチゴとよく比較されるクイイチゴのようになっていしまった。こちらはつぶつぶで中に種があって、食べる部分も少なく甘みもないが、一応食べられる。トゲのある野バラのような細い地を這う蔓である。我が古里ではクイイチゴと言っていた。クイは喰いではなく、トゲという意味だろう。虎杖と同じく田舎の子供の楽しみの一つだった。
ネーミングで感心したのに「ビロード草」というのがあった。昨日写真を得ておりながら名前がわからなかったものだ。今日歩いていて、花の下に名前を書いた札を挿していた家があった。あの葉の感触は、触っていないが見ただけで、ビロードという感じだ。シロタエギク白妙菊と葉の色は似ているが、どちらも覚えやすい。それに栗の甘い香りが素晴らしい。これもまた梅雨時の風物詩。夜になったら蛾が密を吸いに来て、饗宴も酣だろう。
夜の気儘な読書は、白川静「回想九十年」中の私の履歴書の部分が終わり、対談へ入った。
 
ヘビイチゴ誰が食べるや赤き玉
石榴咲くその下白し山梔子や
サボテンの花めずらしき夏の午後
栗の香やひと家越えて届きおり
山梔子の甘き匂いや夏木立
 
 
2013年6月7日。金曜日。晴れ。
朝から真夏を思わせる日射し。5時半に起きる。ちょっと皮膚が冷たい感じがするものの、もうストーブをつける必要は感じない。それにしても雨を忘れた地球は不気味だ。地球は水の惑星と呼ばれるように、水があってこその地球であるから、局地的とはいえ、雨が降らなくなったら生命活動や人間生活に影響を及ぼす必至である。嘗て地球規模の水資源の枯渇問題について調べてみたら、いずれも食糧問題ほどの危機的な状況ではないということであった。地球的規模で、みればたいしたことはなくても局地的や季節的に過不足は絶えず起こっているのは事実である。
午前中は、まずは原稿書き。そして生活単元理科のずっと書いたものを分割してupしておいた。退職前に再考しようと思ったが、結論を出していたので、やめた。本来なら課題を残してオープンエンドにしておくべきであったのだろうが、二年間で結論を出さないと勝手に思って、結論を出していたのが、その後の興味を失わせた。今も結論を変えようとは思わないが、別の角度から再考してもよいように思う。当時十分掘り下げなかったカリキュラム論からの考察と、デューイの思想からなぜ生活単元学習が出てくるかということである。
次にロスコーであるが、伝記、著作、翻訳、参考文献と4分野に別れる。そして後者の3分野はそれぞれ単行本と論文に別れる。これらのリストに対して整理番号をつけ、別項で個別にリンクするということで、方針が決まった。その次は課題を明確にすることであるが、それはおいおい書いていくとしよう。
昼寝をして植物記(植物誌)。今日は時計草と雪の下を新たに覚えた。ユキノシタはいつも見ているメダカ池の周辺に生えている。アオイの仲間かと思ったが違った。時計草の名前には昨日と同様感心した。私だったら絶対思いつかない。センスがいいか悪いかはともかく、面白い。それから、コスモスに似たボディーに風変わりで、コスモス以上にあでやかな青紫色の花をつけているものの名前がわからなかったのだが、これは植物図鑑で簡単にわかった。ラークスパーで、チドリソウ(千鳥草)とかヒエンソウとか呼ばれる。ラークというのはスカイラークのラークでひばりのことだろう。
村上春樹著「1Q84 BOOK2」(新潮社)を終わった。英国流ファンタジーでもあるし、また見事な成長小説でもある。それにしても、ずっと前から不思議に思っていたのは、例のエホバの証人の布教活動についてくる子供たちの気持ちはどんなものだろうということだ。それをこの小説ではNHKの受信料徴収人が主人公の男の子を連れていくという話にして見事に描いている。若い人がたちがどう読むのかは知らないが、私にはヤマギシ会とオウム、それにエホバという個人的には不思議な世界が、ミックスされているようで、それもまた楽しかった。
 
千鳥草空に向かいて伸びゆけばいかなる宇宙そこに開くや
梅雨晴れの午後に輝く太陽に時間を止めし時計草花
 
2013年6月9日。日曜日。曇り。
空梅雨どころか、入梅宣言そのものが怪しくなりそうな無梅雨のおりがら、台風3号が救世主の如く現れて、こちらも夕方、ぽつぽつと雨が落ちて梅雨の風情になった。
午前中の執筆は3種類ぐらいあって、このところ午後に食い込んでいるので、3時までに変更して、3時から5時までが植物誌にしようと昨夜考えていたところ。そして午後もまたロスコー・ノートを書いていたら、桔梗さんが杏子の種がとれないので手伝ってくれと言ってきたので、昨日収穫した杏子のジャム作りに参加。なるほど青い杏子は2つに包丁で切れ目を入れてもなかなかとれない。残りを私がして、そして砂糖をかけて弱火で熱しながらかきまぜていたら、結局さいごまでやることなった。杏子ジャムは初めての挑戦で、反省点も多い。まず、青いのは種もとりにくく、酸味が強くなるのでほどほどにしないといけないということ。次に疵のところは溶けないで、(人間を火葬にしたときに病気のところが燃えにくく黒く残る場合があると聞きましたが、それと同じように)ゴミのように残るのでできるだけ取り除いておくことが肝心。ということで、今回は他人様にあげるほとのものは出来なかったので次回に再挑戦。とはいえ、食品加工とお菓子作り、調理というのもサンデー毎日の過ごし方の候補にあったのだが、時間のことを考えて放棄した事柄であるので、来年おなじことをするとは限らない。
そして少し、午前の続きをしていたら眠くなったので、昼寝。よって、植物誌は今日も進まず。
ということで、けっこう忙しい。そして、サンデー毎日の身には土曜日も日曜日も、また祭日もないのである。夕陽を見ながら老いていく、というのが理想なのではあるが。
 
 
2013年6月10日。月曜日。晴れ。
時々曇るものの、さすがに夏の日射しは強い。やはり、オゾン層はかなり破壊されているのではないかと、私の皮膚センサーは感知する。夏は暑いものだが、子どもの頃はもっと日射しがやさしかったように思う。これではUVカット商品が売れるのも納得できる。特に皮膚に塗るものが簡便だろう。ただし、その害が何年か後に出てくるかどうかは誰にもわからない。
まずは3部門の執筆。生活単元理科を充実させた。ロスコー・ノートは大きな進歩はなかったが、全体をすっきりさせた。予定通り、午後3時には切り上げ、植物誌へ写真を加える。今日の収穫の最大のものは、ブラシノキの赤い鮮やかな花を見つけたことである。散歩の途次、小さな公園に入るとプラタナスの隣のカイヅカイブキの隣りに赤いものがあるのが遠目にもわかった。近寄ってみると、以前見た樹木である。その木の枝にはまん中に小さな穴のある、虫の卵のようなグロテスクで奇怪な姿を見たことのある木である。アマゾンだのコンゴだのというショウレイの地ならいざ知らず、この気候温暖な我が国でこんな変な植物はあるまいと思っていたその木だった。近よってその花にも驚いた。もしこの世に神がいるとしたら、神はサイコロ遊びがお好きに違いないと思った。ブラシノキというものだった。
日が落ちても暑かった。でもさすがに9時を過ぎると涼しくなった。
白川静著「回思想九十年」(平凡社ライブラリー)終わる。
 
2013年6月11日。火曜日。晴れ。
今日は降ってくれるものと期待したが、期待はずれであった。このあとずっと雨マークがないので、当分日照り続きである。これでは瑞穂の国もお手上げである。そして、このようなときにいつも思うのだが、瀬戸内海地方や讃岐平野に負けず劣らず、この備後の一角は雨が降らない。おまけに川から離れているので、少し北の坪生というところは驚くほど溜め池が多い。先人の知恵である。さすがである。もっともっと大小の溜め池を作るべきなのだ、と今更ながら思う。しかし、近年、その溜め池も生活排水が流れ込み、ゴミだめの様相を呈してきたのが悲しい。とはいえ、これは住民のせいではない。水路工事の手抜きなのだ。生活排水路が農業用溜め池に流れ込むようにしているのがいけないない。生活排水は下水道ができていないのなら、そのまま海に向かって流れなければいけない。それをしないから、溜め池が汚くなった。それで次は潰されるという運命にみまわれる。溜め池は文字通り雨水を溜めておくところで、排水路ではない。
ずっと気になる雑草がある。切ってもきっても生えてくる。そして油断すると、ブロック塀にぴったりと細かい根を出してくっついて高くなっていく。そして、その茎ははじめは草のように緑っぽいのだが、秋になるころには薄い黄土色の、木になっているのだ。そして成長も速い。この雑草と同じものを刈らずに大きくしてある家がかなりあるのに最近気がついた。そして、太い幹になっているのもかなりある。一体、これは草か木か、ということも疑問になる。そして、不思議なことに、蕾をつけているのを今日見つけた。さらに、オレンジ色の花を樹上高く咲かせているのまで見つけた。ノウゼンカズラだろうか。
 
2013年6月12日。水曜日。晴れ。
31℃です。エアコンを入れました。ヨシズで南側の窓を覆いました。
それでも、暑い日でした。こういうのが8月いっぱいまで続くと思うと憂鬱になります。
ただ、今の暑さを忘れさせてくれるものに、コンニャクの発芽があります。コンニャクイモを植えてしばらくすると、ちいさな竹の子のような芽がでてきました。そしてその先から緑色の葉がでてきました。ロケットの先端が進化していくような感じです。その緑の葉が、今度は横に広がりました。ジャガイモの葉に似て来るのではないかと思っています。
スベリヒユというのは鬱陶しい雑草です。茎が太く、抜いてもなかなか枯れません。そして雨が降ればゾンビのごとく生き返ります。まことにしぶとく、庭の雑草としては嫌われものの最上位に位置するものです。しかし、その園芸品種となると見事に変身して、実に実に美しい花を咲かせます。その名もポーチュラカ。スタイルの悪い超美人といったところでしょうか。
 
 コンニャクの葉広がりて何になる
 スベリヒユ名前を変えてポーチュラカ自然のものと思われぬ美に
 
2013年6月13日。木曜日。晴れ。
今日も暑かった。明日も西日本では6月にしては異常な暑さだということだ。ここだけではないのだから、がまんすることにしよう。
ハテナブログの写真掲載容量が今月分を越えたで、またまたこちらを止めて、ヤフーブログに掲載していくことにする。こちらは拡大画像だからコメントは見られないことになる。直リンクからブログに入れば見られるということだろうか。なにしろ、両ブログとも他の人の書いたところを見に行ったことがないので、わからない。見に行けば色々な工夫を知ることができるのかもしれない。
今日は眼科に行ってきた。良好で薬はやめて、一月様子をみましょうということ。これでまた薬が減った。
 
2013年6月14日。金曜日。晴れ。
空梅雨猛暑が続いている。日中はやや曇り、そんなに暑いと感じなかったが、夜になっても風が吹かず、気温が下がらない。夕方遠くの方で雷鳴。しかし、一滴も雨は降らない。
 
2013年6月15日。土曜日。雨後晴れ。
降った。やっと降った。久々の雨。干天の慈雨とはこのことだろう。二月三月はよく雨が降った。竹の子がよく出るだろと思った。しかし、どうせ猪に喰われていると思ったから、取りに行かなかった。いつから雨が降らなくなったのだろうか。5月からはほとんど降っていないという。井戸も涸れかけ、川の水もめっきり減っていた。そして、今日の雨である。天気予報以上に降って夕方までにかなりの量が降った。こういう雨が降ったときの行事を私の育ったところでは「雨(あま)よろこび」という。雨が降った事実を言うのではない。「行事」を言うのである。すなわち、今日のような雨が降ったら、「あまよろこび」にするのである。そして、「あまよろこび」をするのである。格助詞に注意していただきたい。「に」であり「を」である。すなわち、「あまよろこび」というのは臨時のお祭りや節句のような、村をあげての祝い事なのである。(行政上は市の町ではあったが)。私のかすかな記憶を思いだしてみると、おそらく小学校の1年か2年のことである。もちろん戦後のことである。ロスコーのことを考えていると明治の小学校の化学の教科書のことになるのだから、それとの違いは、ちょっと明確にしておかないと、頭が混乱する。昭和の戦後の、小学校の1年か2年のとき、この時期に雨が降ると小学校が午後休みになった。何故? 増水で帰れなくなるから? ・・・いや違う。サツマイモを植えるのを手伝うのである。「田植え」と同じ流儀の言葉を使えば「芋植え」である。山奥の人跡稀な1学年の児童数15人ぐらいのところの話ではない。1クラス40人以上いてそれが3クラスもあったところでの話である。
そして、そして村を囲む周囲の山の中腹や、丘の上には、一部の人たちからは「トランペット」呼ばれる屋外用拡声器が複数個ずつ電柱の先端に置かれ、農協か公民館から町内一斉放送ができるようになっていた。その放送の合図はまだチャイムのような気の利いたものはなく、三橋美智也の「古城」とか橋幸夫の「潮来笠」のレコードが半分ほどかかっていた。今なら、著作権料を払わないといけないのだろうが・・。遠い幻影に近い記憶を辿ってみれば、その放送から、「古城」か「潮来笠」の1番が終わったあとで、「きょうは、あまよろこびにします」というアナウンスを聞いたように思う。このように「あまよろこび」は町内会長さんか役員の方が決めて町民に通達して、各家庭では仕事(=農作業)を早めに切り上げて、ふだんとは違うお料理を作って祝うというものである。だから、町のお偉いさんが、あまよろこび「に」指定し、各家庭で、あまよろこび「を」するのである。半世紀ほど前(大昔?)の話である。沼隈町のパラグアイ移住の話は、さらにそれよりも5年ほど前の話で、海を越えた向こう岸の話である。
おりしも、今日は、山陽道、しまなみ海道経由で因島へ行ったので、老父母と、スーパーのパックに入ったちらし寿司で「あまよろこび」をしてきた。
そして、前を走るどこかのおばさんの運転するホンダの軽トラの荷台にサツマイモの苗が積まれているのを見て、うれしかった。額田王の「潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」という歌を思いだした。
夜、湊かなえさんの「サファイア」(角川春樹事務所)を終えた。夜光虫からみかんの摘み方まで、何でも知っておられる隣町の湊さんも、「あまよろこび」は知らないだろう。世代がちがうのだから。それでも「サファイア」のなかには、葉たばこのことが書かれてあった。除虫菊が作物として生産されなくなっても、ずっと栽培されていた葉たばことその乾燥庫のある光景は、幼少のみぎりからついこの前まで見慣れた光景であったが、先年因島での生産は幕を閉じた。農家の離れに建つ縦に長い土壁の乾燥庫もやがて消えていくことであろう。
 
2013年6月16日。日曜日。晴れ。
晴れてはいるが、梅雨ほども蒸し暑くない。昼過ぎに30℃を越えたが、まずまずの天気であった。この調子で何日かたってまた雨が降ればいうことはないのだが、このところの気候はどう変わるかわからないので、安心はできない。
今日は3時まで締め切り間際の仕事。それから2時間植物誌の写真編集。食事をした後、石油ストーブの掃除やら、池のそうじをする。孵化したメダカがかなり大きくなったので、すべて池に入れる。明日からまた新規に採卵に努める。
夜はいつものように読書。7時には29℃あったが、徐々に気温は下がった。外の気温が下がれば、屋内の気温もすぐに下がる。
 
2013年6月17日。月曜日。晴れ。
宮部みゆきさんの「蒲生邸事件」に「じゃ、あと二年もすれば彼らの仲間入りだ。気の毒な話だ」(文春文庫p.317)というのがあった。徴兵制のことである。多くの若者が読んでいると思うが、憲法改正と徴兵制を結びつける人はあまりいないのではないかと思う。でも、そういうことなんだ。
自衛隊が憲法違反だということは、今更言われなくてもよく知っている。40年も前に三島さんがしきりに言っていたから。でも世の中はそんな空気ではなかった。それでいいのだと思っていた。今、国民の6割ぐらいの人が憲法改正に賛成だそうである。憲法を改正するねらいは戦争放棄を破棄して、自衛隊の存立を合法化するのだろう。それは論理的には正しい。しかし、自衛隊を軍隊にしてどんなよいことがあるのだろうか。
自衛隊は今のままでよろしい。その名前の通りでよろしい。アメリカが押しつけた憲法だから嫌だという考え方もある。アメリカが押しつけた憲法だからよいのである。何が? アメリカが日本を守らないといけないからである。
軍隊というのは浪費以外の何ものでもない。ソ連がなぜ崩壊したか? 資源と生産力以上のお金が軍事費として消費されたからである。アメリカのような資源の豊富にある大国が何故不景気なのか? 税金の多くを軍事費に使っているからである。なぜちまちまとアメリカは日本との貿易摩擦をいいたてるのか? ライオンが蟻をいじめているようなものではないか。軍事費が膨大で経済的余裕がないからである。ノーベル賞受賞者の数でも、科学技術の力でも、理工系大学のレベルでもアメリカのほうが日本よりはるかにまさっているのに、日本の自動車やテレビをアメリカ人は買うのか? 軍需産業に力を入れているからである。アメリカの産業構造がそうなっているおかげで、日本の家電メーカーの製品が売れるのである。
軍隊というのは消費である。武器や戦闘機や空母を揃えておけばよいというものではない。常に訓練し、いつでも実戦に役立てるようにしておかないといけない。すなわち、平和時でも演習をして砲弾を消費しておかなければならない。戦闘機も空母もいつも使って燃料を無駄に使っておかないといけない。人件費も必要だ。平和だからといって小麦やトウモロコシを作らせればいいというわけにはいかない。常に銃を撃って、消費しなければならい。意味のないことである。
日本が今世界的に裕福に見えるのは、防衛をアメリカに依存して軍事費が少ないからに決まっている。もし、日本のような資源のない国で自衛隊を軍隊にすれば、あっという間に経済大国から転落するだろう。
自前の軍隊も持ち、なおかつ経済大国であり続ける道はないわけではない。それはアジア諸国を植民地化して利益を吸い上げることによってのみ可能であろう。そのためには軍隊によって守らなければならないから、ますます軍事費は上がり、収奪もますます増えるというスパイラルが待っているだけだ。
 
2013年6月18日。火曜日。晴れ。
夕方には雨が降るものと期待していたのに、降らなかった。降ってほしい。
3月19日が最後の出勤日で残りの数日は年休にしたので、実質3ヶ月のサンデー毎日を送ったことになる。初めの頃は終日読書で、これはこれで充実していたが、何か満ちたらぬように感じ、午前中執筆、午後ホームページ工事、夜気儘な読書ということに軌道修正した。それから何日経ったか数えていないが、すぐに改訂バージョンにうつり順調に生活している。その改訂バージョンというのは、午後3時までが執筆、3時から5時までが植物誌の工事。その後は在職中と同じような気儘な読書と決めた。この気儘な読書がだいたい7時ぐらいからできる。これが最近のパターンである。だから、それまでは調べもの以外の読書はしない。
このような大雑把に言えば3部構成の生活であるが、いずれも時間が足りない。それでいいのかもしれない。
読書にはある程度の飢餓感が必要だ。その飢餓感というのは物(本)、心(知識)、そして時間である。時間が十分にありすぎるというのも、あまりよくない。時間がない方が集中して読むことができる。
 
植物記は植物誌に完全に改名した。そして、植物以外のものをまとめて博物誌として姉妹頁を開設した。今から思えば写真を、植物、鳥、昆虫・・・という具合にブログを分ければよかったのだが、いきあたりばったりで、掲載してきたので、ごちゃまぜになった。これからも、分けずにいくしかないようだ。
そのブログだがYahooブログが一杯になった。少し前から準備していたgooブログに移った。こちらもやがて容量オーバーになるだろうから、次を見つけなければならなくなった。ところで、色々な写真のきれいな、見事とともいうべきブログをよく見かけるのだが、この人たちは写真掲載の限度に達したらどうしているのだろうか。古いのを消すのか。他に移るのか。あるいは有料にして容量を増やすのだろうか。
 
2013年6月20日。木曜日。雨。
まだ、雨が降っている。昨日、今日とずっと降っている。
昨日急用で因島へ。そのため、明日締め切りの原稿を昨日仕上げる予定が一日遅くなった。今日の午後1時に終わる。それで午前の部は旧に復すことになった。15時からHPの工事。今日は博物誌のほうを載せる。
夜はいつもの読書。やっと「1Q84 BOOK3」を終わった。よくできた作品である。名作である。
 
2013年6月22日。土曜日。晴れ。
久し振りに晴れた。おまけに暑くないのがいい。
昨日は夏至であったが生憎の雨であった。夜のほうはまだ遅くまで明るくなるのだろう。
今日も順調に3分割ライフを進めた。
夜、宮部みゆき「蒲生邸事件」(光文社⇒文春文庫)を終わる。少し退屈。
 
2013年6月23日。日曜日。曇り時々小雨。
因島へ。
少し柘植の剪定。それにしてもすぐに伸びるのには閉口。
帰りに因島大橋を渡りながら、下を見て、大潮だったことを思いだした。海岸へ行って海藻の写真をとってくればよかったと思ったが、日暮れだし、まあいいかと思う。このあたりは大潮のときは昼が満潮で、どうしても干潮は夕方になる。あまり海藻の写真には適していない。
帰って、県境を走っていたら、ネムノキがあったので、車を駐車して写真を写してくる。さらに少し行ったところにバショウがあったのでこれも駐車して写しに行ったら、ミニバナナ型の実がなっていた。
センダン、ノウゼンカズラ、ネムノキの順に花が咲いた。
スーパームーンは曇っていて見られなかったが、昨日見たのでよしとしよう。
 
 
2013年6月24日。月曜日。晴れ。
昨日、昔コピーしたものをこちに持って帰ったので、いろいろと見ていると、あれもこれも書いておかなければ、という気持ちになる。どうせそのうち飽きるのだから、ということはわかっているのだけれど、その「やる気」はやはり尊重しておくことにする。
少し昼寝が入って、午後3時から5時までは昨日のネムノキの写真などをup。
夜、息子と話していたら、ピントがあってないのがあるということだった。車の中から写したりしたものもあるのだから、仕方がない。それにしても花の場合は焦点があわせにくい。徐々にいいのに換えていくとしよう。
大江健三郎さんの「セブンティーン」読む。初期の作品集6巻を皆読んでもいいカナという気持ちになる。
 
2013年6月25日。火曜日。晴れ。夜雨。
ロスコーの伝記と自伝の前書きのところを訳す。ごちゃごちゃしていて大変だ。時間がいくらあっても足りない感じだけれど、締め切りのない仕事だし、おまけにいつやめてもよいことなので、気楽にやることにしたい。
植物誌と博物誌は古い写真を載せる。
本日整体の日。
夜になって雨が降り出した。やはり梅雨だ。
 
 
2013年6月26日。水曜日。雨後晴れ。
午前中かなりの雨。そして気温が低くやや寒い。もうストーブは掃除をして片づけてあるので、使うわけにはいかない。長袖のセーターを出して着る。
午後になると止んで、散歩をしていたら暑くなった。でも完全に晴れきっていなくて気温が30℃まで上がっていないようで、さほど蒸し暑さを感じない。
午前中は気儘な執筆。かなり集中してやると一時間毎に休憩をとってもかなり草臥れる。今日のように雨が降るとなかなか気分転換ができず、午後になるとかなり消耗して意欲が減退する。こういうときは遊びながらやらないといけない。
 
2013年6月27日。木曜日。晴れ。
よいお天気。暑くなるかと思ったら昼間やや涼しいぐらいだった。
野いちごがあった。子供の頃、野山で遊んでいて見つける野いちごは2種あった。1つはヘビイチゴで、蛇が食べる苺だとか、食べたら蛇になるなどど言って誰も食べなかった。野山を遊んで、毒をもつものはキノコとウルシぐらいであるから、一度だけ食べたことがある。味はなく、感触が悪い。要するにまずい。二度と食べたくない。ヘビイチゴとはよく言ったものだと感心する。
そして、もう一つがクイイチゴと呼んでいたもの。杭、すなわち棘のことだが、食べられるので食いイチゴと呼んだのかも知れない。おいしいと言えたものではないが、それでも見つけたときはうれしい。埃をかぶってなかったら食べてもよい。しかし、小さい上に、必ず小さな種があるので、面倒になってほんの少し食べるとやめる。ナワシロイチゴと言うらしい。苗代、すなわち田圃の近くに生育するのだろうか。今日見たのはやや熟れすぎて、汚くなっていた。
それに対して咲き始めたのは、木槿。ムクゲ。樹形はよろしくないが、花はまことに可憐である。
 
2013年6月28日。金曜日。晴れ。
今日は全くの曇り空から始まった。しかし昼前には晴れてやや暑いほどになった。昼過ぎもほぼ同じだが、昨日と同様気温はあまり上がらず今日も30℃を越えることはなかった。夕方、ほんのわずかに雨が降ったほかは晴れていた。夜10時過ぎに少し降ったが、またすぐにやんだ。こんな不安定な天気が続いている。もう一月はこんな天気だろう。
棗のひこばえが2本大きくなって塀の外に出だしたので抜いた。根が深いので、完全には抜けなかったので、移植は無理かも知れない。少し水につけておこう。枯れても仕方がない。
今日は金曜日だった。前にも書いたように、勤務をしていた頃の習慣で、金曜日の夜になると心ウキウキという気持ちがついこの前まで起こっていたように思う。それが、やっとなくなった。金曜日も土曜日も同じなのだ。金曜日だからといって嬉しくなる必要はない。やっとそういう境地になった。ということで、気がつけば金曜日の夜であった。
 
2013年6月29日。土曜日。晴れ。
6月が間もなく終わる。6月の終わりとともにいよいよ夏本番だ、という気持ちになるような天気。一昨日よりも、昨日。昨日よりも今日、と確実に気温が上昇してきている。
堀辰雄「あひびき」と折口信夫「新しい国語教育の方角」を青空文庫で読む。
最近はかなり作品も著者数も増えて、読みたい物がかなりある。入力されたり、組織を運営されたりしている人々にはまったく頭が下がる。
 
2013年6月30日。日曜日。晴れ。
今日で6月も終わり。いつのまにやら初夏を過ぎ、とはいえ盛夏とも言えない中途半端な夏の日が続いているが、6月はともかく終わり。そしてやはり、明日からは夏のイメージの濃い7月になる。そう言えば、夏休みという懐かしい言葉も7月にはあった。それに対して一向になじまないのが海の日。思えば私の頭の中にはいつも海があったから、毎日が海の日なのであるから、とりたてて、海の日というのはしっくりしない。これは物理的にも精神的にも海に接している島に育った者の宿命なのだ。
さて、今日はその島へ老父母を見に行ってきた。山陽道は、ムクゲの花盛り。薄紫やピンクがかったものもかなりある。合歓の木もところどころある。そして、息の長いのがノウゼンカズラだろう。いつも通る山陽道の福山東西間はいろいろな花の咲く樹木を植えてあって目を楽しませてくれる。
今日は柘植を三本剪定。大きく成りすぎているので、荒っぽく刈って小さくする。
青空文庫の読みかけのがたくさんあることを思いだした。少しずつ復活させよう。
「夜明け前 第一部上」第三章 二 読む。
大菩薩峠04三輪の神杉の巻 七、八 読む。
伊澤欄軒 その七三 読む。

 
 
今年67冊目。
村上春樹著「1Q84 BOOK2」(新潮社)。
今年68冊目。
白川静著「回思九十年」(平凡社ライブラリー)。
今年69冊目。
湊かなえ著「サファイア」(角川春樹事務所)。
今年70冊目。
村上春樹著「1Q84 BOOK3」(新潮社)。
今年71冊目。
宮部みゆき「蒲生邸事件」(光文社⇒文春文庫)。