2019年7月17日水曜日

夕凪亭閑話 2012年5月

 
2012年5月1日。火曜日。晴れ。夜雨。
五月の風にアメリカハナミズキが揺れている。しかし、天気はやや下り坂で再び雨の模様。5月になったものの、未だに年度当初の慌ただしさが続いている。もう半月はこの調子だろうか。
 
 
2012年5月5日。土曜日。晴れ。
4連休の3日目が終わった。
昨日は、孫を連れて動物園へ行った。20年ぶりといってもいいほどの、間隔。
すっかり、きれいになっている。不景気感はあったものの、その間、福山市の税収は安定していたという証拠であろう。さて、これからの20年間、どのようになるだろうか。国内的には、多くの公共施設が老朽化し、みすぼらしくなっても修理の財政もままならぬという状況が多くなることと思う。さて、福山市はどうであろうか。商業、工業の景気はまずまずではないかと思うが・・・。
夕方になっても気温が下がらず初夏の感じ。そろそろ暖房から冷房へと切り替えていく頃になった。とりあえず扇風機を出しておく。
なんとも大きな月!
 
2012年5月6日。日曜日。はれ時々雨。
時折小雨降る山陽道を下り、しまなみ海道を経て因島へ。新緑が目に痛いほどの輝き。しかし、時ならぬ春の嵐の残滓か、曇天にわかにかき曇り、あっという間に大粒の雨の洗礼には驚きを通り越して、寒さに辟易。視界もままならぬままに移動を続けると旧町村の境を越えるや鏡花の小説のようにぱっと止んで青空が広がったのは、まるで白昼夢の如き瞬間であった。昔の町村の境がいかなる理由によって生じたのかは知らぬが、気候が一変するほどの地理的環境を定める古びとの感覚には、驚くものがある。

さて、長い連休が今日で終わった。また、いつもの日常的生活に戻るとしよう。
 
2012年5月7日。月曜日。晴れ一時雨。
久々に仕事をしたという感じです。しかし、体力の衰えはどうしようもなく、人間は必ず年をとるものだと、実感しております。頭の老化と身体の老化、どちらが先に来るのだろうか、と時々考えます。どちらも、自分では気が付かないことが多いだけで、どちらともなく両方がしだいに老化していくのではないかと推察するばかりです。いろいろなテストをして、比較すればよいのでしょうが、そういうのはしていなくて、あるのは毎年の健診結果ぐらいでしょうか。100メートル走とか、ボール投げのような、体力測定のようなものを毎年しておけば、よくわかるかも知れません。
今日も、夕方山のほうを見ると、夕陽に霞んでおりました。黄砂でしょうか。雨が降ったあとなのに、もうこんなに黄砂が降っているのですから、これはよくない徴候と考えるべきなのではないでしょうか。これだけ砂塵が舞ってくるということは、地球上で、とりわけ中国で砂漠化が進行している証拠ではないでしょうか。塩野さんの「ローマ人の物語」を読んでいると、今は砂漠になっている北アフリカが、当時は穀倉だったと何度も出てきます。地球はあたかも生きているかのように、変化しております。我々が住んでいる緑豊かな大地がいつ砂漠に変わるか知れたものではありません。そしてそのようなことを考え、対策を練ることができないということが、そのまま我々ホモサピエンスの限界を示しているように思われます。
 
2012年5月8日。火曜日。晴れ。
今日は火曜日であったかと、思い出しながら、そう書く前にラジオ体操をしていないことを、思いだした。朝夕第一第二と通してすることを日課にしているが、ついつい忘れがちになる。 
今日は、風呂上がりに横になっているとそのまま寝てしまい、気が付くと10時だった。2時か3時に、再び眠くなったら寝ることにして、起きる。英文論文を読んでいたら、12時近くなった。一休みしよう。「二重人格」は毎日少しずつ読んではいるものの、まとまったものは、ない。
「明暗」六十六と六十七。久し振りに読む。お延の継子への対抗意識が延々と語られる。
 
2012年5月9日。水曜日。晴れ、一時雨。
午後、一時激しい雨。
ひとつひとつ行事が終了していく。人気のない洞窟の中の水たまりに、ポツリ、ポツリと間遠な水滴の音がこだまするように、時のしずくが、確実に時の進行を刻んでいく。
それは当たり前のことではあるが、感じ、記しておくことが肝心なのだ、と思う。
軟膏をつければ、潤いが甦り、時とともにささくれ乾涸らびた表皮が醜く口を開けて、痛みとともに不調を知らせる。何の兆しであろうか。皮膚科の先生の診断よると、細菌性のものではないようであるが、原因はわからない。
「明暗」六十八と六十九。あまり面白いとは思わない・・・。
 
2012年5月10日。木曜日。晴れ。
夜になって少し気温が下がったぞ。いつまで、変な気候が続くのだろうか。
サンクランボを収穫。といっても20個ほど。昨年剪定をしたのが、行き過ぎだったか。でも、葉が茂りすぎて、風通しも悪い。ことしも、枝を落とさなければ。
「二重人格」やっと第十章を終わる。ついに主人公は勤務先の役所にまで奇行の範囲を広げる。ところどころ妄想なのか、実在なのか区別がつかないところがあるが、それにしても複雑な構成をよくこなしていると感心する。
「明暗」七十から七十二。継子とお延との会話。退屈だともいえるし、よく書けているとも言える。
 
2012年5月11日。金曜日。晴れ。
古いスキャナーの電源アダプターが出てきたので、これまた古いパソコンで動かしたのは半月ほど前の話。スキャンしてOCRにかけても、役に立たない程度の認識力であったので、諦めていた。そこで画像取り込みだけをこのスキャナーの役割として、OCRは別のパソコンの役割としてみることにした。とりあえず、はWEB OCRを利用してみると、まずまずの結果が得られた。これは喜ばしい。
今日も気温が低く寒いという感じ。
 
2012年5月17日。金曜日。晴れ。
夜、風と雷鳴。
スキャナーが動き出したので、昔読んで英語の本を、もういちど読みなおそうと思って、二階に上がって探してみると、思わぬほど多数の英語の本がでてきました。すべてをもって降りるわけにはいきませんので、薄い物を少し降ろしました。スキャナーで読みとりOCRにかけて、テキストにしてワープロに写します。そして一文ごとに、日本語を添えようというものです。翻訳というほどのものではありません。googleのweb翻訳を利用します。そのままでは、日本語としてちぐはぐですから、順序を変えたり別の言葉をもってきたりします。そういう悠長なことをしていたら、ほとんど進まないようなものですが、衰えた記憶力を補うには、よいようです。
そのひとつ,Diracの量子力学講義は小冊子程度のもので、とっつき安いのが魅力です。前書きは、そのうちに読みとることにして、本文から読みます。大変魅力的な、語り口で、驚きます。例のブラ・ケットの量子力学もユニークでしたが、Dircという人は数学的センスに溢れた、魅力的な人物だと思います。
 
2012年5月18日。金曜日。晴れ。
朝4時20分に起きる。昨夜は11時前に寝た。少し肌寒いのでストーブをつける。
Eyringの量子化学、Herzbergのスペクトルの本をスキャナーで読み込み、少し読む。Herzbergの原子構造と原子スペクトルは訳本ももっていたが、、英語で読むのもいいだろう。あまり深くは読んでいない。Eyringの量子化学は訳本は時々参考文献として「山口書店」なるところから出ていることが挙げられているが、見たこともないし、存在を確認できない。私にとっては幻の訳本で、とっくに諦めている。この英語版は大学の3年のときに詳しく読んだ。ルジャンドルの倍多項式というのには辟易したが、何回か微分を繰り返して、次の式に辿り着くというようなことで、一日に1ページも進まないこともあった。そういう本である。
こういうワープロ読書を机で繰り返していると、当然のことながら腰が痛くなるので、ベッドに入り、腰の下にゴルフボールを2つ敷いて、近くの文庫本を読む。毎日少しは読むようにしているのが、「二重人格」。風景描写がないのが、残念。それに比べると、例えばモームの「葉のそよぎ」の中の太平洋の描写は、ほどよい長さで、よかった。これが同じ海でありながら、「天人五衰」の冒頭はどうだろうか。延々と続く伊豆の海には、いくらファンだといっても辟易する。
 
 
2012年5月19日。土曜日。晴れ。
5月の風がゆるく通りすぎていく穏やかな日であった。暑くもなく、寒くもなく、さらにその上に、格別の用事もないという、珍しく恵まれた日であった。
今日も朝から、論文を訳しながら、フォルダを整理するという作業に費やした。
シュレーディンガーの波動方程式の論文は、論文集が翻訳されているので、集めてはいなかった。そこで、原文を集めようとアクセスしているのだが、pdfファイルとして私の環境では入手できない。ただ古いものを画像として閲覧できるサイト(ダウンロードできない)があったので、そこの画像をいろいろ処理するとOCRにかけてもかなりよい精度でテキストに変換することができた。時間は、かかるが、これでかなりのものをワープロに取り入れることができるのではないかと、思っている。複雑な数式は、その部分だけ、画像のまま貼りつける。
「二重人格」はやっと第十一章を終え、十二章に入る。
 
2012年5月20日。日曜日。晴れ。
やや雲はあるものの、五月にふさわしい陽気。野山の緑がすがすがしい。みかんの花も咲いている。このまま季節が止まっていればいいように思うが、既に晩春にして初夏。やがて雨期-梅雨に入ると、もう夏だ。
午前中、因島へ。因島大橋から見る島影は鮮やかで、新緑に燃えている。留まることを知らぬ潮の流れが浜辺を洗って白波が舞っている。ここも時間が止まっているような錯覚を覚える光景だが、現実は、いずこも同じ、時の浸食に耐えれるものはない。
午後、福山に戻って二階で本を開いてうたた寝をしていると、30分もしないういちに孫の到来。かくして、慌ただしくも賑やかな日曜日の後半ということになった。
ヘミングウェイの英文をスキャナーで移す。私には魅力的である。
 
2012年5月21日。月曜日。晴れ。
日蝕の日。観察用眼鏡は入手した。晴れるのを期待するのみ。起きるとやや薄曇り。予想通りとはいえ、やや失望感。しかし、6時半頃からお日様が見えだした。これはいけるぞ、という感触。そして、7時前から、例の眼鏡を透して太陽を見ると、右上が少し欠けているような感じ。5分ほどしてまた見ると、更に欠けている。これは間違いないと確信。デジカメのレンズの前にその眼鏡を置いて写してみると、欠けた太陽だけが写っている。これはいけるぞ、と思う。mixiとtwitterへ上げておいた。7時29分が福山では最大と聞いていたので、それに併せて、最後の1枚を写す。欠けた部分が左下へ寄っている。それ以上進むと右上に明かりが入る。それは雲がでてきたので、眼鏡をはずして写す。・・かくして珍しい日蝕による天文ショーはわが魂を燃えあがらせ、尊い経験を終えた。
 
2012年5月22日。火曜日。晴れ。
久し振りに「明暗」の七十三、七十四。昔読んだときの重厚さが感じられない。もっといい小説だと思ったが。
日中の気温が二十五℃ぐらいに上がって、すっかり夏らしくなった。しかし、野山の新緑はまだまだ初夏の面影である。
孫が朝夕、夕凪亭にやってきてはキーボードを叩く。スイッチの類がおもしろいらしく、何でも押していく。幼児の好奇心というものはおもしろいものだ。
卯の花、すなわち卯木(うつぎ)の花が満開。いい匂い。でも少し離れるとわからない。
 
2012年5月23日。水曜日。晴れ。
「明暗」七十五から七十七まで読む。
「大菩薩峠2 鈴鹿山の巻」十二、十三を読む。こちらは少し長い間があった。
ここに三日、日中の気温はかなり上がっているのに夜になると急に寒くなる。この温度差は激しい。
 
2012年5月26日。土曜日。晴れ。
五月最後の休日となった。五月半ばの大仕事は終え、あとは静かに仕事をこなしていくだけになったが、五月の後半は、まとまったものを読むことができなかった。ただ眠っていたというのではなく、よくいろんなものは読んだ。ただ、夜眠くて、少し横になっているだけで、寝てしまい、夜中に起きるとまた翌日の夜が眠くなるという、そういう生活の繰り返しであった。
「二重人格」はその眠くなる最中に読んで、第十二章を終え、第十三章に入った。岩波文庫の残りも僅かとなったから、おそらくこれが最終章であろう。ドストエフスキーのものにしてはわかりやすいほうだろう。さて、これが終わったら何を読むか。これで文庫本と文学全集に訳されているものは、皆終わることになる。後は、米川正夫さんと小沼文彦さんの個人訳の全集に収めてあるものだけになる。「作家の日記」まで入れると、先はまだまだ長い。
「明暗」七十八から八十。
そして、眠くなった。
2,3日前からホトトギスが鳴いている。
 
2012年5月27日。日曜日。晴れ。
やっと初夏。野外のくるまは暑い。27℃。
寒い日が続きましたが、やっと初夏の気配。
夕方、30分ほど、歩いてくる。
孫君と娘が帰って行った。寂しくなった。
散髪をした。久し振り。
スキャナーをアマゾンで注文した。
 
2012年5月29日。晴れ。
火曜日。昨夜は9時にダウン。その後10時半、1時半に目が覚めるももの、そのまま寝て結局。5時に起きた。肩凝りも腰痛も治まっている。
昨日、ドストエフスキー作、小沼文彦訳「二重人格」(岩波文庫)終わる。
 
 
 
 
 
今年29冊目。
ドストエフスキー作、小沼文彦訳「二重人格」(岩波文庫)。