謹賀新年。明けましておめでとうございます。
この前,2001年になって騒いでいたように思うのですが,もう2桁になりました。
新しい年になったので,少し抱負というか予定というか・・・年頭の所感を。
朝読(朝の読書)は,ギボンの「ローマ帝国衰亡史」(筑摩書房)。これは文庫本ではなくて,単行本のほうです。今,Ⅳ卷の終わりの章の途中。これは秋くらいまでに終わりたい。その後は,ドストエフスキーの読んでないもの。「白痴」「賭博者」,そして短編,日記など。という予定です。
夜読(夜の読書)は,中村真一郎さんの「頼山陽とその時代」(中公文庫)で,上まで終わったところ。中,下と読んでいく。中の前に,間奏曲として池田明子さんの「頼山陽と平田玉蘊」(亜紀書房)を終えておきたい。そして,鴎外選集で「北条霞亭」「伊沢蘭軒」の予定だが,途中で投げ出しそう。こちらは江戸の漢詩人の世界。他にも次の候補はあるのだが,このあたりが妥当だと思う。
朝外(朝の外国語)はいろいろあるのだが,キリル語はローマ字をローマ字読みしないものがあって,却って紛らわしく,1週間も間をあけるとすぐに忘れてしまう。(晩学のせいもある)。進歩させるというよりも,退歩させないためにも,毎日少しでもいいからやりたいのがロシア語である。ということで,ロシア語は毎日のノルマとしておく。他は気儘に,その日の気分で。
ここで,外国語の敗北宣言を。(年頭の所感として)
定年で退職するまでに,ローマ字でない文字を使う言語のうち,ロシア語,アラビア語,ヘブライ語,サンスクリット,ハングルの文字だけでも覚えておけば,退職後に学びはじめても敷居がやや低いだろうと思って,その文字だけを覚えるのを目標としてきた。ギリシア文字は高校の頃数学の時間に覚えたのでその中には入れない。ペルシア語はアラビア語と文字がほぼ同じだからまずはアラビア文字をということ。サンスクリットは現代ヒンディが似た文字を使うのでこちらで覚えることにした。ヘブライは現代ヘブライ語で文字だけを覚えることにした。しかし,ここに至って,アラビア語,ヘブライ語,ハングルについては,諦めに近い気持ちである。敗北宣言である。
こんなところが,年頭の所感です。
吉村昭さんの短編「予備校生」は,掏摸を働いた予備校生に検事が証拠不十分だから,否認すれば不起訴になるので否認するように促すが本人は否認しない。そして,執行猶予の判決後自殺する。掏摸の誘惑に勝てない自分を持てあまして命を絶ったのだ。
「歳末セール」は傑作である。夫に去られた女が,デパートで万引き専門の保安員をしている。最後の2頁になって,その夫が別の女と現れる。こういうシチュエーションを作っただけでも,本作品は傑作である。さあ,どういう展開になるか。私は読むのを中断して,その後の展開をあれやこれやと想像した。彼らは万引きをするのか,しないのか。元夫に女は声を掛けるか掛けないか・・等々。そして,一つの推定をして読んだ。結果は思った通りになったが,その心は違っていた。
以上で吉村昭さんの短編集「遅れた時計」(毎日新聞社,昭和57年)を終わる。なお,これには後書き,前書き,解説などはない。
2010年1月2日。土曜日。晴れ。旧暦11.18.壬子(みずのえ,ね)三碧仏滅。
少し寒波も和らぎ,穏やかな日。朝。年賀状を出しに行き,散歩。
吉村昭「私の好きな悪い癖」(講談社,2000)は,エッセー集。ボクシング関係の小説は最近も,ずっと前にも読んだことがあるが,一時期よく観戦していたということが書かれてあった。その動機がヘミングウェイの影響だと言うのには驚いた。最後に,小豆島で行われた「尾崎放哉と小豆島」という講演録が収められている。
2010年1月3日。日曜日。晴れ。旧暦11.19.癸丑(みずのと,うし)二黒大安。
今日は年始回りの帰途,宮島にお参りした。宮島口で駐車場の前に列ができており,どうしようかと迷っていたら,幸い車が出たあと,どうぞとおばさんが入れてくれたところがあったので,待たずに駐車できた。風もなく穏やかな日であったので,快適だった。丹色の鳥居,建物に柔らかい日が当たり,海面の反射とともに素晴らしい。舞楽の太平楽が演じられており,夥しい参拝客や出店とともに,正月気分が盛り上がる。広島市には,断続的ながら都合6年間住んでいたのに,正月の宮島には行ったことがなかった。他のところの初詣と異なり,華やいだなかにも落ち着きのあるよい初詣であった。今年は何かよいことがありそうな予感がした。
2010年1月4日。月曜日。晴れ。旧暦11.20.甲寅(きのえ,とら)一白赤口。
今日から仕事です。よく晴れた一日でした。夜,少し雨が降った。
帰省していた子ども達がそれぞれのところへ行ってしまったので,また元の生活がはじまった。親というのは寂しいものです。仕方がないが。
吉村昭さんの「歴史の影絵」(文春文庫,2003)は歴史エッセーである。「あとがき」によると,昭和五五年の「歴史と人物」に「歴史を歩く」として一年間連載。その後,昭和56年2月,中央公論社刊,1984年1月,中公文庫刊ということ。「無人島野村長平」は迫力のある見聞です。「反権論者高山彦九郎」は以前にも度々書いた彦九郎についての見方。「洋方女医稲本イネと娘高子」はシーボルトの娘おイネの子どもの出生についての記録。
2010年1月5日。火曜日。晴れ。旧暦11.21.乙卯(きのと,う)九紫先勝。
晴れているのに寒い一日で時折冷たい風が吹いておりました。こう寒くては,散歩もできません。
吉村昭さんの「種痘伝来記」では現在の地名でいうと呉市川尻の久蔵というロシアまで漂流した男が牛痘法を習い,その種まで携えて帰ったが,広島藩の藩士には理解できる者がいなくて無視された。もし認めてもらっていれば,日本で最初の種痘法の実施者になっていたはずであり,惜しまれる。その後長崎経由で日本に入ってきたとき,「医学水準の高い芸州藩内でも積極的に採り入れられ」と記してあるが(52頁),何となく広島の保守的で反進歩的なところは今にいたるまで体制としての広島県の風潮だと思う。それに反して個人としてはまことに進士の気性に富んでおり,移民県広島の名は海外の日系人の間では有名なことであろう。
「越前の水戸浪士勢」は水戸天狗党の最後の件に関するエッセーである。「天狗争乱」に関しては既にこの夕凪亭閑話でも何度か書いたので省略する。なお,吉村さんは敦賀で天狗党の墓に最初に関心をもち,中編「動く牙」が書かれたということのようである。
2010年1月6日。水曜日。晴れ。旧暦11.22.丙辰(ひのえ,たつ)八白友引。
大変寒い日でした。小雪が舞っておりました。正月気分が去り,どんどんと朝夕が明るくなり,こちらも益々年を取っていきます。
吉村昭さんの「ふぉん・しいほるとの娘」はちょうど半分ほどのところで,延長期限も過ぎたので,返して来ました。明日行ってまた借りて来ることにしましょう。今おイネさんは学問修行のために伊予へ行くことになり,その旅行中です。長崎から歩いて諫早に向かい,そこから船で熊本へ。阿蘇の内牧を経て臼杵に向かいます。内牧温泉は昨夏泊まったところです。ちょうどその当たりです。
2010年1月7日。木曜日。晴れ。旧暦11.23.丁巳(ひのと,み)七赤先負。
「ふぉん・しいほるとの娘」をまた借りてきた。おイネさんは,内牧,阿蘇神社を経て峠を登る。ちょうど去年,急坂を下りて阿蘇神社にお参りしたから,その逆コースを歩いたのだろう。その後竹田を経て臼杵へ着く。その後,八幡浜へ船は向かう。何年か前に佐多岬の先端まで行った。大分の街が微かに見え煙突が何本か見えた。近いところである。船はその先端には着かずかなり内部にまで入る。それでもまた峠を越える。笠置峠だ。その峠にはシーボルトの弟子,二宮敬作が迎えにきており,感動の対面となる。さらに卯之町の敬作の所に無事辿り着く。
2010年1月9日。土曜日。晴れ。旧暦11.25.己未(つちのと,ひつじ)五黄大安。
寒い日が続いて,それが嘘のように感じられるよいお天気だったので,もう冬が終わったと一瞬思ったりした。そんなことはないと思うが。暖かかったので久し振りに散歩をした。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房)。「第二七章 グラティアヌス帝の死-アリウス派の没落-聖アンブロシウス-第一次内戦,対マクシムス-テオドシウス帝の性格,施政,およびその改悛秘蹟-ウァレンディニアヌス二世帝の死-第二次内戦,対エウゲニウス-テオドシウス帝の死」
前にも記したように,本巻が中野好夫氏の絶筆となる。その最終章は,タイトルの衰亡史そのもののように,あの輝かしい英雄時代ともいうべきカエサルとその後継者たちの時代からはるかに隔たった印象を受ける。果たしてこれが,あのローマ帝国か,と。そして,いよいよここでローマ帝国は完全に2つに別れ,二度と合体することはない。その最後のローマ帝国の皇帝であるテオドシウス1世(Flavius Theodosius, 347年1月11日 - 395年1月17日)の死でこの卷は終わる。この帝の時代に,三位一体のキリスト教が国教として確立する。
そしてここでまた,日本語に熟達した英文学者であった中野好夫さんのご冥福を改めてお祈りすることにする。
吉村昭さんの「歴史の影絵」より「二宮忠八と飛行器」,「ロシア軍人の墓」。
岡山の鳥人幸吉の話は有名で,私もそちらばかりに興味があって,先年佐多岬に行ったとき四国電力の資料館で八幡浜の二宮忠八の資料映像を見ていながら,それ以上の関心をもたなかった。この度,この章を読んであらためて二宮忠八の思考の緻密さに関心した。そしてそういう人物に光を当てる吉村さんのセンスのよさというか,飽く無き探究心に感心した。なお,鳥人幸吉の生まれが玉野市八浜の船問屋だったということを初めて知った。(95頁)。あるいはこれまで読んだものに書いてあったのかも知れないが記憶に留めていなかった。玉野市八浜は3年間通ったところである。名前からも船問屋ということからも,海沿いの街だということがわかるが,それは往時のことで,今は浜などない。児嶋湖という淡水湖に面したところである。すなわち,児島湾干拓のためにできた湖の傍になっているのである。児嶋半島の北側で南に開けていなくて,また冬には北風が児嶋湖と干拓地から吹いてくるので,寒いところだった。30年近く前の話になるのだが,八浜の中心街はこれといって大きな商店はなかったが,八浜郵便局と中国銀行の八浜支店というのがあって,古い家が集まっていたように思う。その郵便局と銀行にも何度か行ったように思う。
「ロシア軍人の墓」は,日露戦争でロシア兵や死者が漂着した山陰地方の話である。ここにもまた歴史の跡がまざまざと残っていた。
2010年1月10日。日曜日。晴れ。旧暦11.26.庚申(かのえ,さる)四緑赤口。
阿部昭「自転車」(小学館・昭和文学全集30)。粗大ゴミの自転車を拾いにいく話。阿部昭さんの作品ははじめて。今後,のめり込むかどうかわからないが,記念として記録しておく。以前,岩波新書で「短編小説礼讃」というのを読み始めたが,途中でやめたことがある。
2010年1月11日。月曜日。晴れ。旧暦11.27.辛未(かのと,とり)三碧黄先負。成人の日。
9時過ぎの電車で岡山へ。高島屋で松井浩之君の備前焼個展。すごい進歩。これで一人前。油ののった今後のご活躍に期待。
ヘミングウェイを久々に。といっても英語のほうはよく見ているので久々でも何でもないが。谷口睦男訳「アルプス牧歌」(筑摩世界文学大系74)。雪で,死んだ女房を埋葬できない男。丸太小屋に入れておき,開いた口にランプを掛けたので,顔が歪んだ。おぞましい話を牧歌的に書く。
吉村昭さんの「歴史の影絵」より。「小村寿太郎の椅子」,「軍用機と牛馬」,「キ-77第二号機(A-26)」,「伊号潜水艦浮上す」。
「小村寿太郎の椅子」は「ポーツマスの旗」取材記。「軍用機と牛馬」の話はエッセーでも読んだ。名古屋の工場で作った飛行機を飛行場に運ぶのが大変。牛に牽かせた。後に馬にも。
「キ-77第二号機(A-26)」は戦時下に日本とドイツ,イタリアの連絡潜水艦の悲劇。「伊号潜水艦浮上す」は沈没した訓練潜水艦の引き上げ。「総員起シ」の取材記。
以上で「歴史の影絵」(文春文庫,2003)を終わる。なお,本書には「あとがき」と渡辺洋二氏の解説がある。
2010年1月13日。水曜日。晴れ。時々雪。旧暦11.29.癸亥(みずのと,い)一白先負。
寒い一日だった。寒波到来。午前中少し雪だったが積もらない。気温は低い。
池田明子「頼山陽と平田玉蘊」(亜紀書房)。尾道の悲運の女流画家・平田玉蘊のまとまった本は本書を除いてはおそらくないのではなかろうかと思われる。それ故に,はっきりしない玉蘊の生涯の姿がある程度わかった。
2010年1月14日。木曜日。晴れ。時々雪。旧暦11.30.甲子(きのえ,ね)一白仏滅。
寒波は続くよ,いつまでも。行きも帰り(10時半)も,車外気温-1℃。
ギボン著,朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅴ」(筑摩書房)「第二十八章 異教崇拝の最終的潰滅-キリスト教徒による聖者及び聖遺品尊崇の始まり」
先日記したように,本巻から中野好夫氏から朱牟田夏雄氏に訳者は代わる。ついにローマ帝国の土着宗教である多神教も,キリスト教に圧倒される。キリスト教そのものが排他的な宗教であるから,共存共栄ということはあり得ないのだ。もし,日本が鎖国していなければ,おそらく私などもクリスチャンになっていたことだろう。
とはいうものの,キリスト教的方法というのが土着のものから相手を打倒する方法を得ていたと27頁には書かれている。
2010年1月15日。金曜日。晴れ。旧暦12.1.乙丑(きのと,うし)二黒赤口。
朝から寒い日が続いております。通勤途上にあるため池の半分ほどが凍っていたから,今朝はまた一段と寒かったのだろう。寒いの散歩もせず,美しい星空も眺めず過ごしております。
今日は夕方,日食があったようですが,小さな会議があったので,これも眺めず。
阿部昭「桃」(小学館・昭和文学全集30)。幼児の,桃を乳母車で運んだという記憶を回想しつつ,別の幼児期の体験を述べるという手の込んだ小説。海音寺潮五郎「唐薯武士」(ちくま日本文学全集)。西南戦争の一エピソード。
2010年1月17日。日曜日。晴れ。旧暦12.3.丁卯(ひのと,う)四緑友引。
とびとびになるのはシーズンがシーズンだから仕方がない。昨日,今日と,少しずつ寒波が緩んで,過ごしやすい日になった。
「ふぉん・しいほるとの娘」は半分を過ぎたが3/4までには至らない。宇和島領の卯之町で二宮敬作のもと五年間学んだあと,長崎に帰り,すぐに岡山の石井宗謙のもとに産科を学びに行く。
もう25年以上も前のことだが,石井宗謙の顕彰碑のようなものを見たことがあるので,記しておこう。今は岡山県真庭市になっているが,かつて久米郡旭町といって,岡山市を流れる旭川の中流にある旭川湖に沿った町がある。その西に落合町があり,落合町旦土(たんど)というところが宗謙の出身地である。当時は旦土村。そこから旭川湖を越えて旭町に入るのに,旦土橋という橋を渡る。その旦土橋の落合町側に,記念碑があった。その地方には縁がなく,たまたま山中をドライブしていて,通っただけである。機会があれば再訪してみたいものである。
2010年1月18日。月曜日。晴れ。旧暦12.4.戊辰(つちのえ,たつ)五黄先負。
少し暖かい。落語CDで十代目桂文治「あわてもの」「女給の女」「お血脈」を聴く。
昨夜,山田洋次監督作品「家族」を見る。長崎県の小島から北海道の開拓村へ移住する家族の話。1970年の万博の年に設定してある。福山の次男のところに老父は身を寄せるつもりで,途中下車する。今はJFE,当時は日本鋼管。工場から煙がモクモク。公害の世相を記録したくて,福山に設定したのでしょうね。新幹線の開通以前の福山駅とか社宅,団地など,今眼にするところの,40年前のようすが微かに伺えます。今は煙も少なく,まずまずの住みやすいところではないかと思います。不足しているものと言えば,東急ハンズがないのが残念。他には,あればいいと思ったものはあまりありませんね。最近は。
2010年1月19日。火曜日。晴れ。旧暦12.5.己巳(つちのと,み)六白仏滅。
少し暖かくなり、朝明るくなり、夕方も明るくなり、季節が少しずつ移り変わっていっているのがわかる。夕方には小さな下のほうが三日月の月が出ており、西空には薄い雲があかね色に染まり長い間漂っていた。
吉村昭さんの短編集「法師蝉」(新潮文庫)を一昨日の夜、ネットで予約したら届いたので、帰りに借りてきた。
「海猫」は定年離婚に近い心境を男のほうから書いたものである。男は周到に計画して、置き手紙をして、500万円もって三陸海岸の寒村に逃亡する。後半の男の心情を述べた文章がおもしろい。
2010年1月20日。水曜日。晴れ。旧暦12.6.庚午(かのえ,うま)七赤大安。
夕刻,雲が出て,ほんのわずかの小雨。とはいえ降ったとは言えない程度。昼間は暖かかった。いつまで続くか。
ギボン著,朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅴ」(筑摩書房)「第二十九章 ローマ帝国,テオドシウス帝の二子の間に最終的に分離-アルカディウス,ホノリウス両帝の治世-ルフィヌス,スティリコ両人の施政-アフリカにおけるギルドーの叛乱と敗北」
東西両帝国を引き受けた兄弟帝は正真正銘の兄弟であるというかのように,ともに能力はなく,事跡も少ない。衰亡記故か,ともあれ,末期なのだ。
吉村昭さんの「チロリアンハット」は,定年後のおひとり様の話である。何事も長続きしない。長続きするくらいのものであったなら,定年前から始めている。とはいえ,ひとりで退職後を生きるということは大変なことだと思う。
2010年1月21日。木曜日。小雨。旧暦12.7.辛羊(かのと,ひつじ)八白赤口。
昨夜小雨か,道路が濡れていた。日中小雨,夜止む。暖かい。しかし,また寒波到来か?
吉村昭さんの「手鏡」は友人の死を扱いながら療養中,手鏡で外を眺めていたことを回想する。近所の公園のことなど出る。本作品よりも後に書かれた思われる短編小説やエッセーで読んだ話題が,多数盛り込まれていて,ややまとまりの欠ける印象を受けた。それぞれの部分を見事に書かれた短編小説があったことを思うと,作者の努力の跡を見るような気持ちがした。
2010年1月24日。日曜日。晴れ。旧暦12.10.甲戌(きのえ,いぬ)二黒先負。5321。
ビデオで,「遙かなる山の叫び声」見る。ラストがうまい。
吉村昭さんの「幻」は戦後の食糧難のときに神社の祭礼を見たという記憶を話すと、そういうことはあり得ない、幻ではないかと友人に言われ、その事実を確かめるために、ちょうど歴史小説の取材をするときのように細かに調べ上げる話。その執拗さがおかしくもあり、また凄まじい。著者の人生の活写である。
2010年1月25日。月曜日。晴れ。旧暦12.11.乙亥(きのと,い)三碧仏滅。
朝は,そんなに早く明るくならないが,夕方は随分と日が長くなったようだ。庭の梅が赤い蕾を膨らませているし,メダカも底のほうをしきりと動いている。枯れ草の中に,既に芽吹いている雑草もある。冬はまだ続きそうだが,至る所で春は既に始まっている。
ダイソーの「鉛筆で書く奧の細道」が終わった。字は相変わらずで,うまくなったとは思わないが,一時ずつ写していくことは,よいことである。
吉村昭さんの「或る町の出来事」は同じ町内に住む男女が心中して,両家の葬儀のようすを町内会長の立場で描いたものである。「恐ろしいことだ,とかれは胸の中でつぶやき,細く黒い火葬場の煙突を見上げた」。確かに恐ろしいことに違いない。
2010年1月26日。火曜日。晴れ。旧暦12.12.丙子(ひのえ,ね)四緑大安。
夕凪亭は,7時11分に7.2℃。朝は相変わらず,寒くて暗い。
恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(オール讀物連載)を、2009年の12月号を読んで、やっと終わった。壮大なスケールの話が途中で滅茶苦茶になり、クライマックスがはっきりせずに終わった。何度か山場はあったものの,それは後へ続くべき山場であった。結局,物語の最大の山場はどこだったのだろうか。前半が素晴らしかっただけに,後半四分の一ほどの展開が残念である。最後に、元夫と仲直りらしきことができたのが、救いといえば救い。大幅に書き直しをされないと単行本としては無理だろうが,早期出版を期待。
2010年1月27日。水曜日。晴れ。旧暦12.13.丁丑(ひのと,うし)五黄赤口。
朝はそんなに寒いとは思わないが,夜になるとやはり寒い。しかたないなあ。最近,猫の鳴き声が春めいてきた。
吉村昭さんの「秋の旅」は瀬戸内海で入水した歌舞伎俳優の泊まった旅館を訪ねる,孤独な男の話で,「海猫」に通じる作品。無駄のない傑作。
2010年1月28日。木曜日。雨後晴れ。旧暦12.14.戊寅(つちのえ,とら)六白先勝。
帰ると西の空が紫色に染まっていたが,歩かない。無理をしないことが一番。
吉村昭さんの「果実の女」は,果物屋の女房が不倫して出て行き,詫びを入れる片棒をかつがされた男の話で,主題は性懲りもない女。よくまとまった短編。
2月の読書の記録。
今年1冊目。
吉村昭「遅れた時計」(毎日新聞社,昭和57年)。短篇集。
今年2冊目。
吉村昭「私の好きな悪い癖」(講談社,2000)。エッセー集。
今年3冊目。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房)。
今年4冊目。
吉村昭「歴史の影絵」(文春文庫,2003)。歴史エッセー集。
今年5冊目。
池田明子「頼山陽と平田玉蘊」(亜紀書房)。
番外編
恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(オール讀物連載)