2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2010年5月

本館 白滝山 いんのしまみち
2010年5月1日。土曜日。
おはようございます。快晴です。ちょっと、冷たい五月の風。
今日はお休みです。だから、のんびりとすればいいのに、いつものように、ほぼ同じ時間にエントリーです。これって、生活習慣病?
もう、若くないということでしょうか。それとも単に血圧が高いということでしょうか。
それはともかく、快適な朝です。素晴らしい1日のはじまりです。今日は9時頃、桔梗さんと近くの食品スーパーへ買い物。他は予定無し。
気が向けば30分ほどの散歩を2~3回する。百円ショップなどに行くかもしれない。
もし、桔梗さんがドライブしようよ、と言えば、するかもしれない。
メダカ池の掃除はしたほうがいい。底のゴミを拾うのがいいだろう。
室温15.8℃@夕凪亭。(7:39AM)
買い物終了。車で待つ間、「この人を見よ」の岩波文庫を少し。それと6カ国語会話とかいう並べて書いてあるもの。挨拶のところを眺める。覚えたと思ったのに、もう忘れた。本は車に残してある・・・。これでは身につかない。
ここの食品スーパーは、まだポリエチレンの買い物袋をくれる。それに、段ボール箱や発泡スチロールの保冷容器なども置いてあって自由にもって帰っていい。きれいなみかん箱は荷物を送るのによく利用する。そのため捨てがたい。だから、今日は普通の大きめの段ボールひとつに荷物の大半を入れて帰る。
買い物袋はゴミ捨てに利用する。だからゴミ捨て用のポリ袋など買ったことがない。地域のゴミ捨てに合った買い物袋を提供すればいいのだ。透明でないといけない地域では、スーパーの買い物袋もそうするというように。福山ではシマムラの袋は中が見えないので使えない。
買い物袋廃止などという人の気持ちがわからない。要するに活用できない人が多いということか。
段ボールに庭の枯れ枝を入れて燃えるゴミの日に出せるので便利。落ち葉は腐葉土にするのだが、太い枝はなかなか土に返らない。山のようになるので、時々捨てる。そのとき、段ボールが最適。ついでに周囲のゴミも。
少し池の掃除。今日は網で藻や枯れ葉を掬って捨てる。睡蓮鉢を近くに移動。一番上の池は日当たりが悪くメダカには適さないので、水棲植物をこちらへ植えよう。
睡蓮鉢からガクアジサイが伸びてきている。15センチくらい。種が落ちたと考えられる位置。花が咲くのだろうか?
メダカの卵、8個採卵移動。これで3つのホテイアオイすべてから採卵できたことになる。気温が低いせいか、ホテイアオイの元気がない。
デジカメ持って午後の散歩。山のほうへ。遠くは霞んでいる。黄砂か?
帰ってアイスクリームを食べた。その後、桔梗さんがおはぎを作るというので、餅つき。炊飯器の餅米を棒でつく。眠くなった。
起きたら、夕食。車を洗って、夕陽を追って散歩。夕陽が一度雲の中に入って5分後、さらに赤くなって出てきた。その時「電池を交換して下さい!」。逃した魚は大きい。しっかりと眼に焼き付けておきましたが、記憶は時間とともに薄れていく・・・。
モッコウバラが満開です。モッコウバラは桔梗さんの部屋(桔梗の間)の前。Lの字の左上が桔梗の間、右下が夕凪亭。夕凪亭から廊下を隔てて左側が風瀟庵。
写真の説明:(左から)
その1 偶然、ツバメが・・・。福山東インター付近のユメタウンやデオデオの看板が見える。(大門高校上から)
その2 満開のモッコウッバラ。夕凪亭から。
その3 山の向こうの夕陽の下あたりが、福山東インター。県境の大谷台小学校登山(笑)道から。
 
2010年5月2日。日曜日。
おはようございます。今日も福山市東部は快晴です。14.9℃@夕凪亭。今日は山陽道で宮島口のあたりへ行きます。では、お仕事の方も、お休みの方も、よい1日を!!
福山東から大野まで。2~3回小さな事故や自然渋滞でノロノロ運転。もう少し早く出るべきだった。たいした距離ではないが、渋滞に巻き込まれると疲れる。
帰って、メダカの卵の採卵。7個。車の中では暖かいと思ったが、そんなに気温は上がらなかったのだろうか。やや、寂しい。
今日は、こちらもあちらも、そういうことであまり書けなかった。明日も似たようなものか。
でも、8時からoff time。 mixi、 twitter 切って、自分の世界に引き籠もる。
瞑想の世界。迷走の世界。神秘体験・・・嘘です。
ある大学院生の方のメッセージに答えて。

> やはり理系の方なんですか?
もう、自分でもわけがわからなくなってしまいました。
(自分で)やってる長さからいうと文系。
(幼稚園以前からおもちゃや、自転車の発電機壊して中を見るのが趣味だった。ここから数えたら、理系のほうが長いのかな?)
学部なら、理系。 卒業しなかった通信教育では、文系。
修士は、中間。
仕事も、中間。
こんなところで、すみません。答えになっていませんが・・ 」
今の心境をよく表しているので、記しておきます。
本日は、あまり書いていませんが、終了します。おやすみなさい。
 
2010年5月3日。月曜日。憲法記念日。
おはようございます。今朝も、福山市東部は快晴です。黄砂、紫外線注意ですね。 今日は、2号線で尾道まで行き、しまなみを因島へ。帰りは向島~因島大橋が渋滞しがちですから、早めに戻ってこようと思います。帰り、山陽道を通るか未定。では、みなさま、よい1日を!
遅くなってしまった。off time 後半、二階でうたた寝。コメント書いたり、twitter見てきたり・・意外とPCの前に戻ると忙しい。
さて、本日は朝の予定のとおり遂行。帰りは2時30分頃出て、バイパス・R2で大きな渋滞なく帰着。
因島の鯉、金魚、メダカの混合飼育は順調。水の濁りは仕方がない。濾過装置へ送るパイプを改良。
ホームセンターで売っている、風呂から洗濯機へ水をあげる1000円程度のポンプを使っていたが、連続運転1ヶ月程度で壊れる。別のところに上げている大きなポンプでの水を分岐。成功。完了。あとはどれくらい回すか、ということ。アオコは濾過綿ではとりにくい。
水生植物のコーナー用に石を沈める。隙間を作り、できれば沼エビを飼いたい。水生植物も種類を増やしたり・・・。
以上は、因島の池の話。
さて、福山ではメダカの卵7個採取。水が冷たい。孵るのだろうか心配。
庭の草取り。ちょっと触っただけで、種がはじけ飛ぶ草がある。カラスノエンドウと混生している。こう書くだけで雑草園と呼ばれても仕方がない。
眼に入ることがあるので、眼をつむって手を伸ばして抜き取るようにしている。何という草だろうか。
 
2010年5月4日。火曜日。みどりの日。
おはようございます。あ、今日はもうこんな時間。今日もまた快晴。今日は「みどりの日」と言うんですね。信号でいえばgo!ですね。でも、今日はstop!です。では、みなさん、楽しんでくださ~い!
twitterに出てみると、おなじみさんがいたので声掛けして、メダカに餌をやって、子どものところからもって帰った荷物整理して・・もう10時がきそう・・
主のいない五月人形さみしそうなので、張り子の虎に子虎を背負わせたり、後に従わせたり、腹の下に置いたりと、日替わりでアクセントをつける。
次女さんの本を見ていたら、以前貸した本が帰ってきていたので、もって降りる。
「新版 大学新入生に薦める101冊の本」(岩波書店)。(私が)一応読んだ本にはマーカーを入れてある。未読も多い。少し読んでみようか。ただ、若くもないのに、全点読破などという野望は抱かない。未読のもので、気が向いたものを1年に2~3冊でも、読めばいいかなと思うだけ。
「改訂 主婦の台所科学」(コロナ社 昭和36)。火打ち石の説明もあります。「燧石は今でも地方の山里に残されております」(p.151)。
若い人が読むと信じてしまいそう。ちなみにこの本は、どこかの大学かの破棄本が古書として出回っていたもので、購入価150円。
夕凪亭は東京から見れば、地方で、山里に近い住宅団地ですが、火打ち石は使っておりません。炬燵は漢字は昔のままですが、いわゆる、電気炬燵です。
山と渓谷社の「日本の海水魚」。これは次女さんの。学名もついているので、少しずつ覚えていくといい。
ひとつだけ、読んでみましょう。
カタクチイワシ Engraulis japonicus
「煮干しや刺身にする。仔稚魚のシラスは干してタタミイワシとする」(p.93)とあります。
私などは「イリコ」と呼んで育ちましたが「煮干し」ですね。福山では、私のフィールドワーク地の「田島いりこ」が有名です。
なぜフィールドワークかというと、西海捕鯨出稼ぎとフィリッピン・マニラ湾の打たせ網漁で有名なところだからです。これについては少し書いたものがありますが、まだwebにはUPしてありません。
古い料理本とか、食品加工の本は次女さんのところへ、もっとありますので、戻ってきたらまた紹介しましょう。(使っていたら、戻ってこないかも)
昼ご飯にカワハギの煮物が出たので、ついでに調べておこう。
カワハギ Stephanolepis cirrhifer
「肉は淡白で美味。チリ鍋、煮付けなどに向く」(p.694)
子どもの頃魚釣りしてたら、小型のカワハギがきて小さな口で餌をとってしまう。「トコセ」と呼んでいたが、どうみてもカワハギの仲間である。違うかもしれないがアオサハギというのがあったので、書いておく。
アオサハギ Brachaluteres ulvarum
「内湾のアオサ域、アマモ場や岩礁域に生息する。食用にはしない」(p.696)
昼寝2時間。草取り1時間。メダカの卵4個採卵。
少しフランス語。もっとやればいいんだが・・
夕食。ごはん半分、野菜さらだ、宇和島のじゃこ天。まるで修行僧だよ。
その前にチョコレート食べたからね。
散歩30分。猫の写真、草花の写真など。アイコン変えてみようかな。mixiのアイコン大きすぎるので、ちょっと今のには抵抗があるので・・。 
2時間のお籠もり、今日は2時間で終了。今日はよく書いたので、もうあまり書くまい。はてな のほうへ少し追加。それに、これから部屋の片づけ、炬燵の撤去をしようかと思っているが、腹が減った。水を飲んでがまんしょう。
炬燵を撤去しようと思ったら、その上にあるものから・・。仕方がないので、ニトリの白い食卓テーブルへ移動。私の悪い癖で散らばっている鉛筆を回収。エントロピー増大の法則に従って、筆立ての鉛筆は自然に方々へ。今日は仕事を与えて4本を元に戻した。
次に炬燵板を夕凪亭の奧にある押入の下段へ入れる。若い人は知らないと思うが、裏が緑のフェルトで麻雀台になるタイプ。私は炬燵板というのは今もそうなっていると思っていたが、この前、もっと小さいのはないかとユーホーで探したが、そんなタイプはなかった。どうやら、昭和の40年代か50年代のもののようだ。
次は、炬燵布団。これは押入の上段に入れるのだが、桔梗さんがメンテしておくから、すぐに入れるなと言っていたので、外へ出しておこう。
布団の類を廊下に出すと本体が。そして鉛筆がさらに1本。本体は55センチ角の希少もの。本体のヒーター部分を、やはりユーホーで買ってきて強引に取り付けて2年目。本体と底にしいてあるアルミ-ウレタンマットをやはり押入の下段へ入れて終了。そして、しまむらで買ったテレビ枕という三角形のスポンジ。これも炬燵用だから、明日干してからしまっておこう。
空いた空間へ、冬の間廊下に出していたリクライニングチェアを搬入。これはオットマン(足台)付きのもの。コスモ家具で店員さんに薦められて高いほうを買ったわけだが、確かにいい。レバーはついてなく、腰を浮かせると同時に背中を押すと角度が変わり最期は水平になるというもの。
重たいので、丸い板(自作テーブル用に売っている)にキャスターをつけて下に固定した。オットマンのほうは置いてあるだけ。ということで、夕凪亭もすっきりしました。
 
2010年5月5日。水曜日。こどもの日。
おはようございます。今日も福山市は快晴です。GWがこんなに快晴に恵まれたのは、珍しいのでは? 今日ものんびり、静かに過ごします。 ではみなさま、よい1日を!
親子虎、本日限定で再掲です。親は倉敷生まれです。子は出生地不明です。1年のうちほぼ11ヶ月半を倉庫の中で暮らします。
さて、メダカに餌をやって、昨夜片づけた炬燵に使用していた布団を干してきたところです。
ついで、夕凪亭の掃除機かけ。本棚の間もブラシで・・・。掃除機をかけてもかけても綿埃がでてきます。これが生活というものです。埃はでるものなのです。
太陽が少し移動して本棚に直射日光が当たらなくなったので、本棚のカーテンと窓のカーテンを全開にして、少し読書から。
「続 学問の曲り角」。あまり進んでいない。今日はユダヤ人問題など。
続いて、無料の「出版ダイジェスト」の1月11日号が封を切らずにあったので、整理するために飛ばし読みして捨てる。
すぐに買いたいとは思わないが、そのうち・・と思ったもののタイトルだけ記しておく。
「漱石の『猫』とニーチェ」「大学教授のように小説を読む方法」「ビザンツ皇妃列伝」「フランス中世歴史散歩」「新フランス料理用語辞典」「朝倉フランス基本単語集」。おそらく、全て忘れるだろうが・・・。 
続いて、「ローマ帝国衰亡史 Ⅵ」。宗派闘争は難しい。カソリックがアリウス派に負けている。やはり、powerがどの世界にも必用なのか。
庭にでるにも散歩しようにも、こう日射しが強いと、考えてしまう。
「頼山陽とその時代 中」第三部の「二 京摂の敵対者たち(第二グループ)」を、やっと終わった。「その時代」を描いているのだから、仕方がないのであるが、山陽と遠くなりすぎると、興味が薄れるのは致し方ない。
ここまでが、本日の目標。後は昼寝をしながら気儘に過ごすぞ~。
迷惑メール28通、サーバーのサービス設定しなおさないといけないのかな。
曇ってきたぞ。だが、こういうとき、意外と紫外線きついんだ。
夏モードへの移行(第2弾)
夕凪亭を1:2に仕切っていた、天井から床まであるカーテンをはずした。どうしょうかと桔梗さんに尋ねたら、大きすぎて洗えないから、ほかのものが汚れたらいけないので、大きなポリ袋に入れてから押入に入れるように、とのこと。そうする。
PCの本体は、カーテンの向こうにあったので、音がうるさく感じられる。
窓を向いて本を読んでいると,扇風機がうしろになるので,天井扇を回すことにした。久し振りだから,埃が舞い散ることを覚悟で,スイッチオンしてみた。出た出た。すぐに掃除機を回し,空中を浮遊する埃をかき集める。
その後~昼寝、夕食、散歩は昨日と似たようなもの。庭の草取り、もう少ししたかったが、しなかった。今後、ぼつぼつ・・・
メダカ卵、12個採卵移動。少ない。まだ孵化しない。
それでは、まだ19時半だけど off timeに入ります。 では~
22時過ぎ、off time 一応終了。しかし、今日はまだ書いておきたいものがあるので、しばらくそちらへ。
 
2010年5月6日。木曜日。
おはようございます。今日も福山市は快晴。一時雨の予報もあるが、今のところ、その気配なし。仕事、仕事!
山を降りて出勤。小学生、中学生、高校生、天気がよいせいか、みんな元気いっぱい。小学生は荷物をたくさん持っている。みな持って帰らされたのかな。
久しぶりにofficeにでてみると、サツキが満開。
こちらのメダカも元気。
福山市の隣はゴビ砂漠か?!
歩かざるもの食べるべからず! (連休中のお土産の山を前にして)
「心やすらぐ日本の風景 疎水百選」(PHP新書)は水マニアの私としては、メモしておく必要があります。
水のある風景は、表題のとおり「心やすらぐ」。しかし、写真に撮るにはなかなか難しい。だから本になったものはうれしい。
とはいえ、疎水の性格上、東日本に偏っているのが寂しい。
岡山県はまずまず。広島県が1カ所しかないのは残念である。
それにしても、今日は暑い。26度にしては暑すぎる。湿度が高いのだろうか。それとも、今まで気温が低かったからだろうか。エアコンを入れたくなる。その前に窓を開けよう。窓を開けると砂埃が入る。どうしようもない・・・。
平凡社ライブラリーというのは平凡社文庫と考えていい。その中の「聊斎志異①」というのを借りてきた。怪異譚。どこまで読むかわからない。
「巻一 1 城皇神になる試験(考城皇)」 (皇はこざとへんに皇)
 なかなか怪異的で物語のはじまりにふさわしい。やや意味がとりにくい。夢で神に会った話。そしてほぼ実現した。
今日は暑い日だった。季節が確実に変わった。
夕方、雨が降り出した。歩けない。「歩かざるもの食うべからず」と貯まったお菓子や、昼間方々で出たお土産を思いだした。やはり食べてなくてよかった。「遠慮は長生きの秘訣」。
雨はすぐにやんだ。
夕ご飯を食べて、大きく成りすぎたゼラニウムを切って、茎を挿し木する。時期としては適していないと思うが、捨てるつもりで。
メダカの卵13個回収。まだ孵化せず。
少し頭の回転が鈍くなってきているので、刺激を与えるために、吉村昭さんの、「長英逃亡」を読むことにする。 
 
2010年5月7日。金曜日。
おはようございます。福山市東部は、今は雨がやんでいますが、空は暗く、いつ降り出してもおかしくはない状況です。もう週末、さあ、行くとしますか。
今日はいつもより少し早くでたせいか、車が少なかった。いつもより、とは言っても5分ほどだが。その後も増えてないところを見ると、お休みの人がけっこういるのかな。
まずはロシア語。今日は格変化。名詞は、主格、生格、与格、対格、造格、前置格がある。
生格はいわゆる所有格、与格は目的語、与だから、与(くみ)する、与えると覚える。「鉛筆を社員に与える」の「社員に」。
対格は直接目的語。~を。
造格、前置格は難しい。造格は~として。前置格は~について。
嫌になったので、生格。すなわち、いわゆる所有格の例を。
 エータ クニーガ ジュルナリスタ これはジャーナリストの本です
Scienceの2つの論文をプリントアウト。どちらもFree access http://www.sciencemag.org/special/neandertal/
A Draft Sequence of the Neandertal Genome
Richard E. Green et al.
Targeted Investigation of the Neandertal Genome by Array-Based Sequence Capture
Hernan A. Burbano et al.
次に孟子を読むことにする。
テキストは
http://chinese.dsturgeon.net/index.htmlの中の Confucianismから
訓読などは, 出典サーチ http://www.kokin.rr-livelife.net/ の 中の 東洋・西洋の古典書籍から入ればよい。
先日,貝原益軒の「和俗童子訓」(日本の名著14。p.218)を見ていたら,孟子を読み,書き,声に出して覚えよというのがあった。既に,童子ではないが,益軒先生からみれば童子のようなものだろう,と思い,少しその教えを拝聴することにした。論語のほうが馴染みやすいが,漢文の素養を高めるためには,確かに孟子を暗記するのがいいだろう。要は実践するかしないのだが。
上記のwebを眺めるだけではだめ。ワープロソフトへコピー&ペーストして順序,フォント,色を変えたりして,読む。
「聊斎志異①」より,「2 耳中人」「3 追いかけて来る死屍」。前者は「狗神」のように小粒の妖怪。後者は表題の通り。いずれも気持ち悪い話。
午後から晴れ間が・・・。
夕陽を見ると、西の山が黄砂で霞んでみえました。
そのせいか夕焼けはきれい。
夕方、やや涼しくなった。メダカの卵20個ほど採卵。
ああ、もうこんな時間。少し早いが、off time。創作活動に専念しよう。
気が向けば深夜、両方で囀ります。 では。
22時を過ぎました。少し寒くなりました。こちらだけかな?
 
2010年5月8日。土曜日。
おはようございます。今朝も福山市東部は快晴。いいお天気で、やや暑くなるのだろうか。今日は、しまなみを少し走ります。窓開けて走ると気持ちよさそう。お茶、必携ですね。では、みなさん、よい1日を!
メダカに餌をやり、先日挿し木したゼラニウムに水やり。モッコウバラはまだ咲いている。馬酔木は既に散り始めた。我が家のサツキは遅い。少しだけ。
ゼラニウムの本体は深紅と淡桃が、軒下だが南向きの一番いいところで咲いている。
少しだけ、そして今年はじめて咲いたハナモモは既に散ってない。
花だけが目的の梅が、今年は、大きな実をつけている。不思議。
童子訓、孟子、論語。論語は吉川幸次郎さんの朝日文庫。同じものが筑摩の世界古典文学全集にもあり、すぐ後ろに置いてあるが、最近は朝日文庫。
これから、桔梗さんと、近くの食品スーパーへ買い物。その後、因島へ。
腹筋、腕立て、鉄アレイをして、出かける。ひとまず、閉じるとしよう。
山陽道下り。車は少ない。前のに着いていくつもりはないのに、気が付けば140キロ。危ない危ない。ホンダは老人向けではないよ~。
BGMはNHKFMと、犬養孝先生の万葉集講義CD。防人の歌など。農業は女性がしていた・・・。
農業の変遷~農業革命。そして産業革命後、おそらく非農業者は急速に増える。これは農業に限らない。第一次産業から第二次産業へと人は移る。何が起こるか、貨幣経済への急速な移行。さらに、飛んで現代農業へ目を向けると。自給作物から換金作物への移行。この段階で、農業の基本的なあり方、すなわち、自作農からサラリーマンへの転換が必然だったのではないか。
情報革命もある。産業革命なみの人類史上まれにみる変化。革命の名に値する。パソコン従事者をどう分類したらいいのか。PCは今後世の中をどのように変え、人間の考え方どのように変わるのか。あるいはまた、それでも変わらないものは何か?
科学的合理主義は社会をどのように変えたのか。しかし、人間はあまり変わっていないのではないか?
ちょっと、考察すべきことを思いついたのでメモしておりました。まもなく8時です。off timeでは。off time には、盆も正月もありません。したがって、土曜日も日曜日も関係なく、off timeはoff timeで、自分の世界へ耽こみます。 では~。
 
2010年5月9日。日曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は晴れ。少し雲がありますが、よいお天気になるでしょう。今日も黄砂だろうか? 
仕方がない。どうせ汚れるのは一緒だから、車洗おう。ついでに、網戸とか窓ガラス拭いておこうか。
あとは、書くこと、読むこと、庭や家の片づけ、気が向いたらホームセンターなどに行くかも。平凡に1日を送れることは幸せなことです。
メダカの餌やり。池の底のヘドロを少し掬って捨てる。
挿し木したゼラニウムに水やり。少し枯れてきた。今日当たりが正念場。今日は3回は水やりに努めよう。
昨日思いついたテーマ。①農業問題②情報革命③近代科学
さらに次は④脱学校社会
脱学校社会というのはイリッチの著作のタイトル。
イヴァン・イリッチ 東洋、小澤周三訳「脱学校の社会」(東京創元社)
私の思っているのと違う意味だったので少し読んだだけでやめた。またみることにしよう。
子どもの世界が学校中心に動いているのは、人類史上ごく最近のこと。動物と違って数ヶ月や1年で成人になれというのは無理としても、22年もかかって大人になれないという社会は異常。
人間の精神だけみて、身体を忘れている。
身体が主で精神が従なのだ。身体というと肉体と言われて性欲とすぐに結びつけられて、精神ばかりが論じられる風潮が、世の中を見えにくくしている。
かつてはニーチェが、最近では三島さんがそういうことへ抵抗したが、なかなか真意は伝わらない。
だから、脱学校! 
好物の「元祖ボール+小粒やねん」とブラシを持って二階へ上がって少し読書。
ブラシというのは昔でいえば「はたき」。本やPCの上についた埃をはらい、常に掃除機をかける。それが黄砂への屋内対策。
西洋近代科学の科学的合理性について。
道家達将「日本科学の夜明」(岩波書店)は蘭学の話なのであるが、ちょっとこちらと関係あることが書いてあったので・・・。p.60あたり。
徳川身分制に対して蘭学者たちが批判意識を抱いている。これは豊富な知識を与えてくれるヨーロッパへの憧れとかいうものではなく、おのずから生まれた不合理性への批判である。だから、近代科学が合理性を伴っていたというのは、妥当であるが、それが全ての市民にそういう考え方を与えたのかというと疑問。科学を学んだり、研究したりする人の多くは合理的な考え方をするようにはなっただろうが。
昼ご飯を食べたついでに、ゼラニウムに水、メダカに餌をやる。
あれっ? もう眠くなったぞ。PC、mixi調子いいので勿体ないけど
眠るかもしれな~い。
ユーホーへ買い物に行き、帰ってアイスクリーム食べたら、眠気ふっとんだので再開。
中村雄二郎「臨床の知とは何か」(岩波新書)を見ていたら、科学の知の強さを普遍主義、論理主義、客観主義をもっているからと説明。(p.129)科学的な仕事にたずさわる人には行動指針になろうし、それを検証する哲学者には魅力的に写るだろう。しかし、庶民はどうであろうか。これは昔も今も変わらない。享受する庶民がいるだけである。ただ、考え方は、時代とともに、そちらの流れに影響される。しかし、人類共有の思想になったわけではない。好き勝手で、非科学的な行動をする庶民はいつの時代にも存在する。
五月人形おしまいしました。例の親子虎も一緒にお蔵入りです。夏は暑く冬は寒いスチール倉庫の中です。
やっと廊下の五月人形の箱が撤退してくれましたので、掃除機をかけたら、またまた眠くなった。
ギボン著、朱牟田夏雄訳「ローマ帝国衰亡史Ⅵ」(筑摩書房)、「第三七章 修道院生活の起源、進展、および効果-蛮族らのキリスト教乃至アリウス派への改宗-アフリカに於けるヴァンダル族の迫害-蛮族間のアリウス派絶滅」を終わった。
ここまで書いて・・・昼寝。
宗教と権力についてはまたいずれ・・・
メダカの卵多数、採卵。ゼラニウムにも水やり。
日が陰って、車を洗い、風呂の窓を外から洗い、玄関回りの砂埃を洗い流した。twitterやっている時間なさそうなので、少し早いですが、off timeに入ります。写真も整理していない・・・。
 
2010年5月10日。月曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は雨。またまた、1週間のスタートです。少し早めに出たほうが無難のようです。
あまり、るんるんスタートではないようです。血圧が低いのかな。それとも気圧のせいかな。
こういう時は、とにかく何かすることが一番。
腹筋20回。腕立て20回。鉄アレイ。
ついで、消極的だがまず、読書。
「ローマ帝国衰亡史」「頼山陽とその時代 中」「長英逃亡」。
やはり、まだ眠い。
やけ気味ロシア語! 基本単語を書き写す。少し頭がまわりはじめたぞ。
・・あれ、腰の調子が・・。ウエスト測ってみる。異常値。警戒、警戒!!
今日から下げるぞ!! これでここ数日、夜11時頃になると、腰が痛くなる理由がわかった。
計算を少し・・。ちょっと頭がまわりはじめたぞ。でも、まだまだ、本調子ではない。比喩的に言うと、まだ高速道は走れない。
雨がやんだかな。少し明るくなった。気分も少し明るくなった。
その後,またよく降り出した。
ギリシア語を書く練習。
ほ びおす ぶらきゅす へー で てくねー まくらー (ひっぽくらてーす) 人生は短く芸術は長し
難しい文に出会うとすぐに嫌になるので,優しいのを覚えよう。(すぐに忘れても!) 勉強時間は短く,テキストは長し・・・。
「続 学問の曲り角」。いつまで読んでいるんだ?と言われそうな,ほど進まない。日々,少しずつ読んでいます。これは最期まで読みたい。
「聊斎志異①」より「4 水を噴く怪」「5 瞳人の会話」。前者は死人の霊が口から水を絶えることなく噴き出し、ついに人を殺すという話。後者は瞳に住み着いた小人の話。気持ちの悪い話だが、まことに中国的。
off time終了。原稿用紙約8枚。もっと増えないか。
今年20冊目。
中村雄二郎「術語集」(岩波新書)。
4/27の19冊目以来だから、いかに本を読むスピードが落ちているかがわかろうというもの。ただ、この年になれば、読書は目標ではない。一手段に過ぎない。
 
田島の田無し、横島の用無し
倉橋島は平清盛が水路として切り開くまでは呉市側と陸続きだった。今の音戸の瀬戸である。ここは戦後、音戸大橋がかけられ、本土側との高低差をラセン形の道路で補っていたので、その形と、深紅の塗装が人気を呼び、団体さんのバス旅行客で一時賑わった。少し遅れて天草五橋が、脚光を浴びた。もうはるか以前のことで、どちらが先だったか記憶も曖昧になった。
それはさておき、現在からみれば清盛の行為は許し難いもののように思えるが、海上交通中心の当時としては、高速道を設置するほどの価値があったのだろう。広島・宇品から一度だけフェリーに乗って松山へ行ったことがある。そのときも、音戸大橋の下を通った。・・・今は、自動車中心になってしまったが、船中心の社会のほうが遙かに長く、万葉の時代から戦後の一時期まではそうだった。
同じような話が対馬にもある。大船越しと呼ばれるていたところが、やはり開かれて、島が二つになった。後は,切削されたのか埋め立てて,わずかな隙間になったのかは詳しくは知らないが,尾道市浦崎とか宇品とか下関の彦島など,狭い水路を見るとついそんなことを考えてしまう。
さて,田島・横島の間の狭い水路も,もとは続いていたのを開削したのではないかと,私は思っている。そしてその上に橋らしきものを渡して,道路にした。今では車で通過しても橋だという印象すらない。そこの南側を横田港という。
その田島・横島間がいつ繋がったのかは,知らないがそれまでは30メートルほどの瀬戸で,大潮の時など歩いて渡れたのではないかと想像している。
そこはまた,こどもたちにとっても,絶好の遊び場であったに違いない。塾やテレビゲームなどない時代には,冬の寒いときは別にして,こどもたちは日暮れて暗くなるまで,よく外で遊んだものである。
暦に応じて満潮になったり潮が引いていたりと,多様な姿を見せる瀬戸をはさんで,こどもたちが集うこともあった。互いに対岸に向かって,他愛のないことを叫んだり,ののしり合ったりするのもこどものあそびである。
そんなとき,最期は「田島の田無し~」と横島側のこどもが叫ぶ。すると負けずと横島側のこどもが「横島の用無し~」とやり返す。何度も叫びながら,腹を抱えて笑うこどももいる。やがて飽きて,そして日も暮れたので,「カラスが鳴くから帰ろ~」「蛙が啼くから帰ろ~」と言って一人減り二人減りしてこどもがいなくなったころには,島影も暗くなっている。
「田島の田無し」というのは,名前が田島なのに田圃が無かったから言われた。これは,誰でもわかる。「横島の用なし」は,わかりにくいが,おもしろい。横島の女はよく働き,雨の日など男がぶらぶらしてたという意味である。これを、誰が言い出したのか「横島の用なし」、すなわち、用事のない人間(男)という意味である。
 
2010年5月11日。火曜日。
おはようございます。福山市東部は弱い小雨。昨夜と天気予報が変わっております。少し小雨が残るようです。今日は、止んでほしいところ・・・

昨夜の予報では、福山市は曇りだったのですがねぇ~。今朝見ると、小雨。でも外にでるとけっこう降っています。

でも、火曜日ですからね。昨日よりは、少し頭のエンジンのかかりはよいようです。

午後、雨は止んで、うすい日が・・

今日は何も進んでないぞ。ロシア語は少し単語を書いて練習しましたが。

あとは、「脱学校の社会」を少し読んでみまいsた。以前、目を通してときは、過激過ぎて、やめておこうと思ったが、今見ているとどうしてどうして、ややインパクトに欠けるほどではないが、もっと激論を飛ばしてほしかったと思えるほど。こちらが年をとったということか。

ラテン語を少し。

Quo eunt illi pueri? あの男の子たちはどこへ行くの?
In ludum eunt. 学校へ行くところ。

Quo は英語ではwhere 。有名な「クォ・バディス」のquoです。
Quo vadis, Domine? 神よいずこに行きたもうや? (ヨハネ13-6)
ludumは学校、遊びを表す名詞ludus の対格です。「ホモ・ルーデンス」でおなじみですね。遊び的人間、遊ぶ人間という意味ですかねぇ。

「続 学問の曲り角」少し。

雨も止み,5時過ぎに青空が・・・。美しい夕焼けが見られるかも。
今日は夕食後歩くことにしよう。

そして今日の目標は,トータル12枚。


田島の定置網漁。

といっても、観光用。

田島の観光定置網漁を体験させていただいたのは、随分前になる。
五月の気候のよい日曜日、朝から沼隈町を経て、内海大橋を渡って、目指す箱崎漁港へ。はじめての内海大橋。無料。

町の名前は福山市内海町。しばらく前は沼隈郡内海町だったのだろうが、沼隈町より一足早く、福山市と合併していた。

箱崎漁港というと、因島にもある。因島に、地図の上では鏡浦、西浦などが漁港と記されているが、多くの人が漁港だと思っているのは、箱崎だけ。人によっては、因島で漁業をしているのは、箱崎だけだと思っている。現に、私などはそう理解している。そこと同じ名前であることが、まず興味を引いた。

因島が先か、田島が先か、という疑問である。しかし、ほどなく両者は関係ないのだと思うようになった。

因島の箱崎は、尾道の吉和と同じように家船による漁業で、竹原近くの能地を起源にする漁業者の子孫であることが、知られている。これと田島の箱崎漁港は直接の関係は見いだせない。多少の類縁はあるにしても。

箱崎という地名の語源については、かつて「瀬戸内海事典」なるものを見たとき、ちらりと見たが、今は記憶にない。

その田島の箱崎漁港に着くと、予約している船は既に待機していた。さっそく乗船。幹事さんはビールなどを入れたクーラーボックスを載せる。

小さな船なので少し揺れるが、朝の瀬戸内海は気持ちがよい。それに大きな定期船ばかりに乗り慣れているので、海がすぐ下にあるのでわくわくする。小さい頃は海辺に行って、ロープで繋いでいる船に乗ってよく遊んだものである。

朝日がまぶしい。岬を回って船は、南の灘に面した定置網をしかけてあるところについた。早速船長さんが、網を挙げて甲板で広げる。それを奥さんが選り分ける。驚くことに小さなエイが・・・。おくさんが上手に長靴で押さえて、電気工事に使うニッパーで尻尾をチョキンと切った。エイの尻尾は刺すので危険だということだ。はじめて知った。素手で触らなくよかった。

そして何尾かの魚を船長さんが選り分け、残りを船底の生け簀に放り込む。
早速船長さんが取り立ての魚をさばき、醤油とわさびをつけて賞味。幹事さんがビールを出す。船はほどよく揺れて、まうます酔いがまわる。

本来なら刺身には向かないが、捕り立てなら大丈夫でしょうと言いながら小イワシの刺身を。

港に帰って生け簀のものを買いたい人は買った。それで終わりかと思えば,別の食事会場へ。そこでも,また魚づくし。もう充分という感じでした。
 


2010年5月12日。水曜日。
おはようございます。福山市東部は快晴です。慣れぬノートPC、今は順調に動いています。いつも使うPCは本体と離してあるので、無線マウスが壊れてしまうと、他のマウスでは代用が効かないのです。レッドサンさんへ行ってこよう。

というような状況で、昨夜はおおわらわ。結局目標は達成できませんでした。今日は、頑張るぞ。バックアップ体制が十分できてないという証でもあるわけで、少し反省したいと思います。

もちろんPCは何台もあるのですが、すべて常時動かすのは面倒なので、ついつい最新の一台に頼り切ってしまうのが現状です。

2台を交互に使用というのはいかがだろうか。メール・インターネット用とワープロ等用を分けるということをやろうとしたが、これは実現しなかった。

おわた。おわた。おわた。今年度の最も神経を使う仕事が終了した。みんさん、ご協力ありがとう。
机の上も大掃除。・・机の上を一掃。実際は机の下に移動したに過ぎないが・・。下書き原稿もすべて捨てる。残すのは、ごくわずか。脱ファイルシステム!
これで、またいつもの窓際族に復帰したいと思います。

窓際族の哲学。
若い人に仕事を丸投げしてあげる。部分的に協力したもらったり、下請けに出したりしていたら、その人のキャリアにならない。すべてを自分でやりとげてこそ、経験になる。
仕事の振り分け。できるだけ自分で仕事をしないで、交通整理をする。
生き字引としての存在価値。古いことも、新しいことも、尋ねられたらすぐにでてくればいいですね。知識については、どこに書いてあるかを示唆することが肝要であって、知識を示すのではない。
以上が窓際族の哲学。さらに付録として、冬の日に一番に来てエアコンのスイッチを入れておくのもいいかも、です。

ロシア語を少し。単語を書く。ジェースト は身振り。ジェスチャーというのはロシア語起源か? カンツェールト とかカスチュームは外来語だろう。
ダモーイ(家へ)は「東京ダモイ」という乱歩賞作品があった。ルバーシカ(シャツ)はこの前亡くなられた米原万里さんのエッセーにでてきたのでよく覚えている。

気まぐれに First Book of Sanskrit をぱらぱらと見る。こんなもの誰も見ない。読み方もわからない。やめようか、といつも思いながら、時々開いてはためいき。小学校4年生か5年生ぐらいのとき、クリスマスか何かで好きな本を買えともらったお金で、田舎の本屋で「初歩のラジオ」を買った。どこを見てもわからない。それでも、用語解説らしきところを写したりしていた。わからないものを、何度も見ていたら少しずつわかるようになるという楽しみは、その頃覚えたのかもしれない。初歩のラジオのその頃のものは最近の(もう廃刊になったか)ものよりも遙かに高度だった。

Sanskrit ついでに辻直四郎「インド文明の曙」(岩波新書)をちらり。これも某古書店で100円で、買ってきたもの。読みもしないものを、よう買うなあ、といつも内心の声。いやぁ、読んでますよ、もう半分は読んだのだから・・と、もう一人の自分。他人があまり手を出さない物は、それなりの理由(わけ)があるのだろう。やっぱり、わからない。

ついでに、同じ著者の「サンスクリット文法」(岩波全書)。読みやすいのとわかりやすいのは、違う。わかりにくい内容です。

・・・さて,本日の業務終了。夕空が美しい。西田佐知子の歌ではないが,夕日を今日も追いかけて,散歩してこよう。でもそうすると,すぐにoff time になって,次に出てくるのは22時過ぎになるが・・・。

本日の目標。昨日と同じ12枚。



田島の「町」という集落。

田島に「町」という集落があります。昔流の住所表記で言えば「字」でしょうか。ですから手紙などは、「内海町町」と書くのでしょうか。「廿日市市」というような感じで、書く方にはやや違和感があるでしょうね。受け取るほうはどうということはないのでしょうが、知らない人が見ると、書き間違いだと思ってしまいます。

その内海町町地区というのは、沼隈から内海大橋を渡って、島の北側を(すなわち左折して)西に進むとあります。

神社もあります。頌徳碑もあります。高倉天皇お手植えの松(の名残)もあったかな・・・。と、いろいろあります。

が、今日は町の集落の町並み散歩について書いてみましょう。

そうですね、海辺の神社の近くに車を停めてて少し歩いてみましょう。この路沿いには、田島八十八カ寺か、名称は忘れたが、例の「島四国」「新四国」の霊場巡りミニチュア版がここにもあり、(それも美しい)、瀬戸の小島の情緒を感じることができます。
 
2010年5月13日。木曜日。
おはようございます。福山市東部は快晴です。昨日の夕焼けきれいでした。きれいなときはその翌日は快晴になるのでしょうねぇ。 PC復旧です。
officeへ行くルートは大きく分けて2つある。一つは伊勢丘ライン、もう一つは春日池ライン。本来は春日池ラインだが、かなり以前に道路の白線が変更になって、信号が増えたわけでもないのに随分渋滞が多くなった。昨夏、以前利用していた伊勢丘ラインを走ると、道路は狭いが交通量は増えてなく、思った以上に快適なので、それ以来、ここ最近はこちらを利用している。
今朝は遅くなったので伊勢丘ラインを避けて春日池ラインを通ろうかと思って出たのに、いつもの習慣で伊勢丘ラインを走っていた。時間が少し違うと街のようすが、がらりと異なる。小学生の大部分は既に登校を済ませ、校門の前で待ち受ける校長先生をはじめとする先生方も既にいない。遅いこどもが二人ほど。
歩く中学生はすぐに路地に入るのか、こちらも少しだけ。
多いのは高校生。自転車で延々と坂を登ってくる。整然と左側を一列。中に二列がちらほら。こちらも左端を走れば、問題はない。・・そしていよいよ一ヶ所の出口。これまた意外や意外。車は少ない。・・・結局、いつもと同じぐらいにofficeに着いた。
さて、昨日は一時まで専念して、約10枚。目標の12枚には達しなかった。もう少し早く取りかかるべきかも知れない。昨日は、夕日の撮影に適した場所をみつけ、そこに座ってしばらく写していたので、帰るのが遅くなった。
いつものようにノルマのロシア語。
ロシア語で難しいのは、と言ってもすべてむずかしいのだが、そのうちの一つ。o(お)の発音。文字通り「お」と読む場合は意外に少なく通常は「あ」。アクセント(記号)がある場合のみ、やや長い「お」になる。
今日は、はじめの方の文章を写す。中学校で英語を習い始めた頃の、じす いず あ ぺん、に相当する。いや、ちょっとその先か。
ヴィー ヴラーチ (あなたは医者ですか) ニャート ヤー ニ ヴラーチ(いいえ、私は医者ではありません) ヤ インジェニール (私は技師です)
という調子。いわゆるbe動詞がないのです。ヴィーはyou ヤーはI 、ニャートはNo ニはnotです。これをキリル文字で書くのです。いやになります。
口直しに、辻邦生さんの「パリの手記 Ⅲ 街そして形象」(河出書房新社)。これはいろいろなeditionがあるのだろうが、私の持っているのは、1973年初版、1974年3月再版(今流に言えば2刷)の小型単行本。函入り。定価880円。朝出かけに、夕凪亭の奥のほうの書棚の低いほうから取り出し、officeへ移す。
今日の5月13日のところを見ようと思ったがないので、12日のところ。1959年。p.137。「五月十一日(月) カンパーニュ・プルミエール街」「le 11 mai」とある。私の書き込みには前ページに「1980.9.9.しばらく、やめておく。」そしてこの頁に「24 NOV 1980」というゴム印。このゴム印はロンドンで買ってきた物で、得意になって方々に押したもの。二月ほど間があいていることがわかる。うーっ、三十年もたっている。辻さんは既にいない。私としてはあまり気にいらないが、膨大な全集も完結しているし、多くの単行本・文庫を求めることができる。
高校時代から三島さんに熱中して、辻邦生さんへの傾倒は大学卒業後です。そして、吉村昭さんに夢中になったのは、ごく最近。三人とも、私の父と同世代。それぞれご活躍の時期が微妙にずれる。それを追うように、私の読書が・・・。辻さんも、吉村さんも若い頃の三島さんの作品を読まれているが、だんだんと離れていく。私の場合は、こちらが若かったせいか、豊饒の海まで、結局最期までつきあった。
辻さんに戻ろう。辻さんにはいろいろなことを教わったなぁ。それはまたいずれ書くとして、今日読んだところでよかったところ・・。
「創られた世界の魅力、それを味わい、それに魅了されるには、この世界に入らなければならない。」まだ真意がわからないかも知れない。続けて「その点で、すでに描写は、コピーではなく創造である。」小説のことだろう、と思ってもいい。さらに、「芸術家の内観は、外部の実在の世界を、彼の世界に変えてしまう。」見事ですね。
「春の戴冠」を読んで、しばらくして岩波のプラトン全集の内容見本。辻さんの推薦文・・。予約してしまった・・。若かったのです。本を買う動機というのは、ほんの些細なことなのです。でも、その後の影響は、時に大きなこともあります。
順序として、今日はギリシア語です。何度も書いて覚えます。好きな語句を書いておきましょう。
ト ロドン カロン エスティ 、カイ ホ クロノス アウト マライネイ
バラは美しい、けれども時がそれをしぼませる。
ト と ホ は定冠詞。ロドンはバラ、クロノスが時。ここまではわかりやすいでしょう。エスティは英語で言うbe動詞の三人称単数形。カロンは男性形容詞カロスの対格です。主格になるように思うんですが、対格なのです。アウトはそれを。マライネイは動詞で、しばませる。マライノの三人称単数現在形です。こうやってギリシア文字を書いていって慣れるしかないですね。そして時々活用表などを眺める。
「長英逃亡」を少し。これは吉村昭「歴史小説集成 三」(岩波書店)のもの。この前読んだ「ふぉん・しいほるとの娘」に宇和島に長英が匿われるという話があったので、これは読んでおかなければいけないと思った。蘭学ものの一つ。吉村昭さんの蘭学ものとしては前野良沢を主人公とする「冬の鷹」も最近読んで、その迫力に圧倒されたものだ。今回も投獄されている長英から物語は始まるのだが、江戸時代の監獄組織などについても実に緻密に書かれていて吉村さんの歴史小説にかける意気込みに圧倒される。ただ、図書館で借りてきた本であるので、うまく続けて借りられるかが、問題。
さて、今夜の目標を12枚とすると、夕日の写真はあまり時間をかけたくないな、と思う。時間を決めて22時までに12枚。もしこれが実行できたら、さらに23時までに4枚追加したい。でも、とにかく12枚。
なぜ4の倍数にするかという話は、またいずれ・・・。
・・・3時間連続して書いてやっと12枚の目標達成。そのうち4枚はパラグアイ移住史。さらに4枚追加の体力はなし。 以上で、本日閉店。
 
 
2010年5月14日。金曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は快晴です。でも、少し肌寒い感じ。15.5℃@夕凪亭。
今日はプラスチックゴミ。と言っても卵パックが貯まっているので出す。
いつもより、少し遅れた。それでも道路はスイスイ。今日からお休みの方多いのかな。ということで、8時15分には到着。でも窓際族の私としては8時頃に着いて、ベネシャン開けて、共有PCオンにして・・(あまり詳しいことはやはり秘密)・・そうすべきなのです。それが楽しいのです。
さて、今日は An Elementary Grammar of the Sanscrit Language by Monier Williams,M.A.を二階の書庫から出してきた。この本のよいところは、副題にPartry in the roman character とあるようにサンスクリット文字の隣にローマ字で読みが書いてあるのがいいのです。
とまたまた変なことを書いておりますが、本気ではありません。ちょっとした遊びです。まあ、錆びつい夢の数々の一つだとお笑い下さい。
文字は、現代ヒンディがほぼ同じですので、CDエクスプレスでヒンディを聞きながら覚えました。でもすぐ忘れますから、しばらくは上記のローマ字併用本がいいかな、と思います。
英語の語学書を読むのは文法用語が大変だろうと思われるかもしれません。これは高校時代の英語の学習の時、こういう受験に関係ないものを覚えるのは比較的好きだったので結構覚えてあります。ですから、文法用語はやや曖昧なところは辞書でひけばいいので、抵抗はありません。でも、サンスクリットの中身は大変です。
少し読んでいたが、頭が変になりそう。止めます。まだロシア語を写しているほうが楽しい。
やや曇ってきたぞ。はっきりしない天気が続いておりますね。今日は高気圧の圏内にあったのではなかったかな?それなのに,雲が多い・・・。
中村雄二郎「臨床の知とは何か」(岩波新書)を読んだ。前半は西洋近代科学の批判から入って臨床の知を定義し、後半それを現在の医療をとりまく問題に適用した意欲的な労作である。どの分野でも似たようなものだが、まず少数のころは名人的な人が活躍する。次にその分野がある程度社会的に認められると、どんどんと人が集まり、次第に制度となる。次に何が起こるか。制度が整うとプロを養成する必要が生じる。こういうのがある分野が職業として成立する過程の大ざっぱな素描である。名人たちが編みだし伝えてきことをカリキュラムとして位置づけようとすると、途端に齟齬を生じる。教えれば伝わるという幻想がどの世界にもあるからである。世の中に教わることのできないことのほうがはるかに多いのだ。少しこの本の内容から離れたので、このへんで止める。最期に「現在、病院とともに学校ほど人間的価値の制度化、つまり惰性的形骸化が深く進行しているところはない」(p.210)とイリイチの著作に触れながら述べておられるところを引用しておこう。
これで今年21冊目。月平均4冊。まだ週一には遠い。
「聊斎志異①」より「6 壁の中の少女」「7 山しょう」。前者は乱歩の「押し絵と旅する男」のような印象かと思っていたら、さらにそれを越えて、絵の中に入るという話。後者は山の怪異で、ちょっと想像しがたい。
「続 学問の曲り角」を読んでいたら、プルタークのもう一つの著作が「倫理論集(モラリア)」であることなどを教えられた。そしてその面白さも。
今日もたいして進まなかったけれど、こんな時間に。
今夜の目標も12枚。できれば16枚にしたいが、やはり12枚を目標に20時から23時まで頑張ることにする。
では,それまで,閉じます。
12時過ぎて、なんとか12枚達成。やはり16枚には行かない。
 
2010年5月15日。土曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は快晴・・・とは言えないけれど、まずまずのお天気。晴です。15.6℃@夕凪亭。みなさん、よい1日を!

今朝のしまなみは、黄砂もなく因島大橋から四国の山並みがくっきりと浮かび上がっていました。こんなに大きく、はっきりと四国が見えたのは、生まれてはじめてです。

四国遍路大好き人間の私には、たまらない光景でした。四国の海が呼んでるぞー。四国の山が呼んでるぞー。四国の河が呼んでるぞー。

残念ながら、しばらくは行けないぞ。

因島から帰って、二階で少し読書。すぐに眠くなったので下に降りて、炬燵がまだ残っている風瀟庵で昼寝。晩ご飯ですよ、と桔梗さんに呼ばれていたので二度目に起きて、夕食。散歩。庭に出てメダカの卵の採卵。水やり。入浴。そして二階で少し読書。

中村雄二郎「哲学入門」(中公新書)終わる。今年22冊目、だったかな?
やや文章が生硬。術語集ほどこなれていない。でも中村さんの思想の発展を辿るにはいい資料になるだろう。それに、哲学とは何かという、以前からの問いが少しわかりかけてきたようです。

そして、20時頃から執筆。12時半になってやっと12枚。そのうち4枚がパラグアイ移住史。残りについては、まだ非公表。

2010年5月16日。日曜日。
おはようござます。今朝の福山市東部は快晴です。気温は上がるかも知れないですね。お仕事の方も、お休みの方も、それぞれのところで、ご活躍を!

いいお天気が続いています。サクランボの熟れる頃となりました。しかし、花はたくさん咲いていたのに、実はほとんどありません。去年稔り過ぎたので、今年は裏年かな。

まずはロシア語。はじめの3課(ウローク)を写す。何度も何度も基本的なことをやって覚えていくのがいいだろう。あまりすすまないけど、まあいいか。
今日は動詞の人称変化について。これはギリシア語、ラテン語はもとより現代ヨーロッパ諸語の多くにもでてきますから、特別のことではありません。英語が人称変化が簡単なのは特別なのですね。各変化とともに、法(モード)によっても変わるのも同様です。ですから、ロシア語も現在形(現在進行形も兼ねる)から。単数、複数について、一人称二人称三人称と変化するわけです。そしてそれにもパターンがあって、第1変化動詞、・・・というように呼ばれます。同じパターンのものは語尾が共通となるのは、他言語と同じです。ズナーチ(知っている)は、単数123人称の順に、ズナーユ、ズナーィェシ、ズナーィェトです。複数はズナーィェム、ズナーィェト、ズナーュトとなります。現在形だけで、これですから、嫌になります。

ラテン語を少し。天気の良い日は、am-o ama-s amat ama-mus ama-tis amantと言ってみるのが楽しい。長母音のところを-で伸ばす感じを表しました。これではロシア語で書いたことと同じですが、ただラテン語は主語を書かないのでしっかり人称変化を覚えておかないといけません。
ここで名文を。Cogito ,ergo sum. フランス語では Je pense,donc je suis.です。まわりのものは疑わしいので存在するかどうかわからない。しかし、今こうして考えている自分は確かにここにいる、というものでしょうね。

それを発展させるからおかしくなる。存在する物は存在すると思うからあるのではなく、無いと思っても、あるものはやはりある。だけど、それはあるだけで、あるということを認めるのは、意識であるということ。

「長英逃亡」。いよいよ、脱獄に成功! 牢名主の長英には蓄えがあった。さらに信頼できると思った外部の協力者に11両で火付け(放火)を依頼。当時の決まりで、火勢が衰えないときは「切り離し」ということが行われており、指定の場所に指定の時間までに戻ってくれば罪が減じられていた。長英は自ら逃亡するために、火付けを計画したのだから、戻ってくるつもりははじめからなかった。・・ということで、脱獄には成功した。次は、その刻限までにいかに遠くまで逃げるかである。その刻限が過ぎれば、逃亡者として、さらに厳しい探索が行われることになっている。

よし,本日はここまで。この後の目標はやはり,12枚。そして元気があれば深夜出てくるとしよう。

23:45 7枚。もう限界です。眠い。寝ます。
2010年5月17日。月曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は快晴。昨日に続き素晴らしいお天気です。18.6℃@夕凪亭。気温も上がりそうです。

あたーらしい朝が来た、というのはラジオ体操の歌でした・・・。新しい週の新しい朝です。すなわち、燃えるゴミ! よくたまっている。出してこよう。それからメダカに餌をやって、ゼラニウムの挿し木に水をやって、昨日できなかったメダカの卵の採卵をして、それからサクランボの収穫を雀と競争しながらして、二階の空気の入れ換えをして、夕凪亭の掃除をして・・・生活するということは大変なことなんで~す。

まずはロシア語。今日は少し目先を変えて,林田理恵「初級中級ロシア語入門」を。
УPOK4を。昨日書いた「知る」ズナーユの復習。УPOKはウロークで課,レッスン。Pをrと読むのはギリシア語と同じ。という具合で,あまり進まないけれど,毎日少し。

次いで,ギリシア語。今日は,キリスト教新聞社発行の「新約聖書 ギリア語独習」。新訳はギリシア語で書かれたというのは最初の共通一次試験に出た,今や忘れられた伝説にもなった,有名な話。その新訳はギリシア語の中でもコイネーという方言ということになっているが,高津春繁さんの「一般言語学入門」を読むと,方言どころか中心の言語だったという感じがする。

この本は新訳の文章を例として挙げているので,覚えるのが楽しい。
まず最初にあるのが,
ほ せおす あがぺー えすてぃん
神は愛です

セオスが神,アガペーが愛というのはギリシア語を学習してないひとでも分かる。ホが冠詞。エスティンはbe動詞の三人称単数。

愛にはエロスとアガペーがあるが,キリスト教的な愛がアガペー。ギリシア的な愛がエロス。これはプラトンの饗宴などによくでてくるか。その愛の使者が,どういうわけか,日本では赤ちゃん人形になって,野菜にかけて食べられているわけです。

青柳正規「ローマ帝国」(岩波ジュニア新書)を終わった。今年23冊目でいいだろうか。ノートに書いていたときは間違えることはなかったけれど,最近日記の類がすべてPCに移ったので,こういう継続的なものはよく間違える。最近も一つ飛ばしていたので,今朝訂正した。

ながーいローマ帝国の歴史を延々と読むのは大変だし,途中で退屈することもある。そしてやはりおもしろいのはカエサル,アウグストゥスなどの魅力ある人物がでてくるところ。それを再び,ということで読んだ。
ローマの政治制度は魅力的なものが多い。しかし、どれをとっても完璧なものはない。欠点だらけだというのはでなく、かの大帝国を築き維持したローマでさえ、完璧の制度というのは作れなかった、ということである。ならばなぜ、かくも見事な帝国ができたのか? それはその時々に応じて柔軟に制度を活用したからに他ならない。だから、ローマ帝国の政治制度を模倣してもいい国家ができるわけではない。ただ、数々の魅力的な制度は多い。
それから、都市論。「パンとサーカス」。都市はパンを消費し、サーカスに象徴されるように娯楽にも溢れる。すなわち、生活の謳歌が都市の機能である。そしてそれは憧れでもある。パンを供給するのが農村部。農村部は都市へ憧れる。農村が都市になったら、どこがパンを供給するのか? 都市国家は滅びる宿命にあるのだろうか?

「続 学問の曲り角」。かなり進んだ。もう少しで終わる。今週末までには、終わらせたい。
小穴さんや和辻さんや安倍能成さんらへの追悼文を読んでいると、これらの人たちの作品も読まなければ、という気持ちになる。

本日、8枚。終了。
2010年5月18日。火曜日。
おはようございます。福山市東部は今朝もよいお天気。でも、午後から崩れる予報。五月も後半になると早い。残り2週間。

ねむーいのは、春のような陽気のせい? でも、気温は既に20℃を越えている。初夏だ!

早速、ロシア語。ウローク1~3のCDを聞く。うん、まずまず。
続いて,サンスクリット。これも毎日少しずつすればいいかも,です。日本語の参考書として,榊亮三郎「梵語学」というのが,国立国会図書館の近代デジタルアーカイヴの中にありましたので,これを使うのもいいとおもいます。これもローマ字表記です。

今日はラテン語の日。岩波文庫の「ギリシア・ローマ名言集」より 
ignavis semper feriae sunt. 怠け者には毎日が祭日。(p.148) 
semperは「しばしば」という副詞。
suntはbe動詞sumの現在形・三人称・複数。単数は sum es est 複数は sumus estis sunt(いずれも一,二,三人称の順に)

こんなことをするよりも,もっとフランス語,ドイツ語の辞書をひくべきだとは思うのですが,ある程度やると,途中で投げ出して他のものに移るのが私の性格ですから,どうしょうもない。コンピュータ言語でも,ある程度わかると,途中でやめた。BASIC FORTRAN C PASCAL JAVA Visual Basic Visual C Borland C 。後二者はわからずじまい。FORTRAN JAVAはやるまでもなく・・・。
アプリケーションが発達したので、やる必用もなくなったのですが・・。それに、子どもがやりだしたので、老兵は撤退したまでです。

語学も同じです。だからプロにはなりません。なれません。目的でも,手段でもないのです。だったら,何のためにするのかと,自問しても,わからない。何となくおもしろそうなので,と答えるしかないですね。そしてそれが頭の体操でもあるのですから,やめるわけにいかない。やはり,錆びついた夢の数々・・なのでしょうね。

officeの資料室へ行ったら、佐藤賢一さんの「小説フランス革命」のⅤ巻が入ったということだった。Ⅳ巻が去年の9月末に発売されている。その頃は吉村昭さんに夢中で、Ⅳ巻も読んでいないと思うので一緒に借りてくる。ローマ帝国とフランス革命はごっちゃになることはあるまい。

道家達将「日本の科学の夜明け」(岩波書店)終わった。
蘭学もの。宇田川榕菴の事績を中心に述べた労作。
今年24冊目。やっと、週一になったか?

計8枚。本日の目標達成。もう、へとへと。
 
2010年5月19日。水曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は雨。大雨でもなく小雨でもなく・・・でも、小雨に近い雨です。

今朝は早起きして井原の親戚に行き、そのままofficeへ。早い時間だったせいか、すいすいと流れた。

まずはロシア語。今日は単語を読んで書く。相変わらず嫌だな。
ついで、サンスクリット。これも、もうやけだ! いろんな本を適当に開いて、ローマ字表記でいいから読んで、書いて・・。繰り返してやっていれば、そのうち記憶に残るものもでてくるだろう。そして、時々デーヴァ・ナーガリーと呼ばれるサンスクリット文字を、忘れないようにみておけばいいのではないか。

フランス語もやらないといけないのでCamus の Le mythe de Sisyphe を開いて、ちらちらと見て、気になった単語を辞書で調べる。このGallimard書店のfolioというのは、岩波新書と同じおおきさの新書版である。新潮文庫のようなものだと思えばいいのだろう。紙質はよくない。

ギリシア語をやるのを忘れていた。少しCDを聞く。パターンを作って縛ってしまうと,動きがとれなくなるので,気楽にやろう。

「長英逃亡」。長英の逃亡生活が始まった。江戸市中,料亭の離れの隠れ部屋に住む。i息詰まるような生活。そこに協力者を通じて蘭書が舞い込む。長英の闘志が漲る。

今日の雨は一時的には止んで、晴れるかと思われたときもあったのですが、結局夕方まで降り続きました。

あまり書いてないけれど、ここらあたりで。後は別の執筆があります。目標はやはり8枚。そのうち、4枚をパラグアイ移住史。それが終わればtwitterに出てもいいが、最近、ぐったり。深夜徘徊の元気はなくなります。

intermission
今、パラグアイ移住史4枚。腰が痛くなった。メンソレータムのラブローションAを塗る。あと4枚。別のもの。腰が痛くなったら立って書く。(22:12)

目標達成。22:41。4枚完了。30分ほどでできた。合計8枚。

腹が減った。しかし、夜食は翌日の胃の調子にこたえるというのがわかった。がまんする。水を飲むしかない。

少し前の夕暮れの写真と、本日のスイレンの写真を掲げます。スイレンは、home - office間にあるため池のものです。昼間に咲いて、夕方にに萎んでいます。遠くに白い小さな花が見えていたのですが、今日は写すことができなかった。明日チャレンジしてみましょう。

twitterに行ってみたら、重たいし、どういうわけか写真UPできなかったので、撤退。フランス語とロシア語の辞書を少し引いた。

本日はここまで。
 
2010年5月20日。木曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は雨もやみ、晴れております。やや蒸し暑いようです。21.8℃@夕凪亭。
木曜日は燃えるゴミの日。こちらも燃える・・とは言い難い。やや眠い。
昨夜は、2時まで「長英逃亡」を読んでいた。作者の吉村さんも執筆中に「よく夢にうなされた」と書いておられる。そのうちこちらも夢にうなされるだろう。
外は霧。下界を見ると、街全体が薄い霧に覆われている。雑司池の睡蓮がもう咲いている、昨日より多い。
さっそく、ロシア語。次のウロークを写す。まずまず。もちろんはじめてのところではない。何度も行きつ戻りつ。
霧がずっと続いていた,と思っていたのだが,それはおかしいと,気づいた。黄砂だろうか。そうすると,朝から霞んでいたのは,霧だろうか,あるいは黄砂だろうか? まるで,五里霧中。
今日は,meetingだらけで,いわゆる日々のお勉強=脳内活性化が進まなかった。気がつくと,もう夕方。空は晴れて美しい。夕日を追いかけて,撮影に行ってみたいと思うが,今日はまだすることがあるので,やはり,30分の散歩だけにしておこう。
ついでのSankrit。相変わらず手がかりがつかめない。mrita死せるもの,というのがフランス語の死んだ,と少し似てるかなと思った程度。
うぅぅー。今日は,これだけ。ここまで。
21:10 休憩。8時過ぎにスタートして1時間弱。まずはパラグアイ移住史を4枚。まずまず、スムーズに流れた。そろそろ資料に当たって細部もつめないといけないのだが、このところ記憶に任せて書いている。
夕凪亭の床に掃除機かけて、腹筋、腕立て、鉄アレイを振って、休憩終わり。さあ、もう4枚書いてこよう。21:30
終わった。眠い。22:12 4枚終わり。合計8枚、本日の目標達成。腰が痛い。肩が痛い。
「続 学問の曲り角」が終わりそうなので、読んでいたら、うとうと・・。1時間もたっていた。
ラテン語をやってなかったと気づき、訳のない文章を、巻末の単語を調べながら、少し読む。全然さまにならない。
本日はこのへんでやめておこう。明日も暑くなるのかな。
 
 
2010年5月21日。金曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は快晴です。予想最高気温28℃。熱くなるのかな? やっと夏。
またまた今日も、霧の海・・・。いや、違う。黄砂の海・・。
Very gooood なお天気です。少し deskのまわりの掃除を。専用クリーナーをかけて、トイレットパペーパーで拭きます。黒い汚れ。福山市東部は、しかたがないのです。石炭の粉末が降るのです。私は花粉症ではないので、まあ、そういうことは無頓着なのですが・・・。ただ、本の上に貯まるのは嫌です。
まずは、ロシア語。うーん。あまり、のらないなぁ。
つづいてSanskrit。少し単語を。dadat 与える brhat大きい ayus 生命
manas 心 agnimat 火を有する gariyas 重い jnanavat 知識ある
手当たり次第に覚えていく(そして、すぐに忘れる)。
今日はギリシア語。本文を読み書き発音し、単語を調べる。少しだけ。
ドイツ語は Nietzsche の Ecce homo。手塚富雄訳の岩波文庫を見ながら,気になる単語を辞書で調べる。
河野與一「続 学問の曲り角」(岩波書店)。終わる。今年、25冊目。ライプニッツの文章(ラテン語もフランス語も)は、やさしい、などと出てくる。アミエルの日記をはじめとして、翻訳を口述筆記でしたというだけはある。外国語の学び方など書いてないが、経験が書かれてある。さらに深い思索と。
「長英逃亡」。貸し出し期限が過ぎた。昨日,貸し出し延長をするのを忘れていた。一度返してから,また借りることにしよう。
現在,p.370。長英は慕って付いてくる清吉を残して,上州に入る。上州から越後へ逃亡する直前に,約束どおり清吉が案内され再会する。いよいよ,二人で清水峠を越える。いずれも,長英の牢名主としての人間的な扱いに,恩義に感じていた者らのサポートがなされる。
熊野純彦「西洋哲学史 近代から現代へ」(岩波新書)。これは、なるべく原典を引用しようという主旨で書かれているので、期待している。
「第1章 デカルト」を読む。例のcogito,ergo sumのくだり。
「いっさいを偽であると考えようとするかぎりで、『そのように考えている私は、なにものか(quelque chose)でなければならない』。かくして、『私は考える、ゆえに私は存在するje pense,donc je suis』こそ、デカルトが探究していた『哲学の第一原理』である。(『序説』第四部)」(p.14)
さて,本日の目標は,やはり8枚だが,4枚を1時間以内を目標にしたい。
ガソリン代。39.63L。5191円。@131円です。
20時過ぎに、開始して45分ほどで、パラグアイ移住史4枚。少し休憩。休憩メニューは昨夜と同じ。
36分で次の4枚完了。以上で8枚の目標達成。
 
2010年5月22日。土曜日。
おはようございます。福山市東部は今朝も快晴です。でも9時頃から曇り、そして夜、更に明日は小雨という予報。信じられないような強い日射しですが・・・。今日も黄砂多いかな。窓開けないほうがよさそうです。

山陽道&しまなみ走って、因島へ行ってきた。今日はずっと窓開けて、外の風を入れながら走った。黄砂が入るが、まあいいかと、ひらきなおって。トンネルの中も大丈夫。

因島大橋に出ると、ますます霞んで、霧のよう。黄砂と霧のミックス。

いつものところで散髪。濾過装置の綿換え。除虫菊の写真を撮りに行く。船と海と除虫菊を1枚の写真に収めようと思うと意外と難しい。船はどんどん動く。今年も、終わり。フラワーセンターの駐車場で、おばさんがグランベリーを売っているので買って、食べながら帰る。

雲の増加とともに眠気も増加して、ついに1頁も読まず、昼寝。途中、桔梗さんが何か言ってくるので、すべてOKの返事をして眠り続ける。夕方起きて、晩ご飯。そして庭に出てメダカの卵採卵。孵化は一週間ほど前から始まっている。どれだけ生まれているか、数えられない。

8時から執筆の予定。目標は昨日と同じ。8枚。4枚を1時間以内。途中、軽い休憩。

・・・40分で4枚。パラグアイ移住史。こんなものか。昨日は、休憩としてやった体操後に腰が痛くなったのでそれは遠慮しておこう。
さすがに40分、キーボードを叩き続けると肩が痛くなる。ラブを塗るとしよう。そして腕を回したり、水を飲んだり・・と軽い休憩をしてから、再開しよう。

・・・次は35分で、4枚。以上で、本日の目標8枚達成。ここで12枚にチャレンジしたいところであるが、ここはじってこらえて、止める。まずは4枚にかかる時間を短縮すべき努力をしたい。そして8枚を1時間で書けるようになったら、12枚にチャレンジすることにしよう。

では、なぜ4枚単位かということについて記しておこう。それは実に簡単なことであるが、ワープロ文書の書式を40字×40行に設定しているからである。だから400字詰め原稿用紙換算で、1頁が4枚になるわけである。

その1頁に、私は私なりに重要な位置づけをしているのだが、それは企業秘密に類するものだから、しばらくは、記せない。

さて、窓の外は雨。10時前である。今日写した写真もPCに取り込みたいし、twitterへも出てみたいが、今日はまだ読書も、語学もほとんど進んでいない。こちらから、やっておこう。

「西洋哲学史 近代から現代へ」
「第15章 ハイデガー,ウィトゲンシュタイン,レヴィナス」
ハイデガーの「存在と時間」については,世の常識に反して,実存主義というよりも現象学だと思ってるのだが,この本では,やや実存主義を強調した解釈になっている。「『日常的な現存在の自己は,ひととしての自己das Man-selbst』なのである」(p.245) だから、次のようになる。「『死は現存在のもっとも固有な可能性であるDer Tod ist eigenste Moglichkeit des Daseins』」(p.246) (Moglichkeitのoはoウムラウト)
「第14章 フッサール」「第13章 ベルクソン」。ベルクソンとフッサールについては、私がこれまでにわからなかったことは、この本でもやはりわからなかった。

「ローマ帝国衰亡史」を読みながら、現代ヨーロッパは、かつて蛮族と呼ばれた部族が居着いたものなのだから、度を越えた宗教戦争や残酷な刑罰や宗教裁判も当然だったのかも知れない。そして、外交問題につての意識は、それ以来民族の血の中に宿命として延々と受け継がれているのだ。侵略してきたものだから、いつ追い出されるか、わからない。日本人が対等に渡り合えると思うのは錯覚だろう。
それと、清水幾多郎「倫理学ノート」(講談社学術文庫、もとは岩波書店)の冒頭、ケインズとD・H・ロレンスとの邂逅のところを読んでいて、戦争というのは、戦争と平和などというヒューマニズムの問題ではなく、単なる外交上の切り札以上のものではないと、彼らは考えているのではないかと、思った。

ロシア語を少し。今日はNHKラジオ講座の昔買ったテキスト。(2001.4)

今日のSanskritは荻原雲来訳「梵語入門」。これも、国立国会図書館からダウンロードしたもの。原著はステンツラーというドイツ人が書いたもの。これも、web上にあるし、既にプリントアウトして製本してある。本文はローマ字表記である。単語を覚えることに勤める。あ、旧漢字旧かなづかひです。若い人には読めないと思います。(読めても、読む人いないか?)

外は嵐のような雨。天気予報は小雨だったけれど・・。

嵐はまたくる~  というのは、昔のテレビアニメの主題歌の一節。少年ケニアか? これを覚えている人は、かなりの年配。

「何と言っているの?」「嵐が来そうだと」というのは、ターミネーターの感動的なラスト。はじめて見た時から、もう25年ぐらいになるのだろうか・・

さあ、1時を過ぎたので、こちらも閉じるとしょう。

2010年5月23日。日曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は、書かなくても分かると思いますが、雨です。天気予報では小雨ですが、嵐です。明日の9時頃まで、雨。窓ガラスに雨が当たって、ほこりを流してくれています。でも跡が残りそう。
強い雨が降っている。いつものようにロシア語から。
「まずはこれだけ ロシア語」というCD付き参考書。単語中心。こういうのも時には復習によい。
Sanskrit は、昨日の雲来先生の本の原本、StenzlerのElementabuchとMax Muller の Sanskrit Grammar for Biginnersを少し見ました。
前者はデーヴァガーナーアルファベットが大きく読みやすい。文法用語はヨーロッパ諸語でほぼ共通です。
後者は、カタカナ表記と同じようにローマ字表記併用です。(以前にも書いたとおり)。ただデーヴァガーナーがやや小さいのでちょっと読みづらい。おまけにpdf文書のプリントアウトだから。
でも、こういうところにも外国の学問の充実ぶりに驚嘆する。そしてそれがインターネットを介して利用できるのだから、素晴らしい。まさにINはグーテンベルグ革命に相当する。
今日は、日曜日なので、そのプリントアウトやコピーしたものの整理の仕方について書いておきましょう。バインダーに綴じておくのは、かさばり扱いにくいので製本しておくのがよいでしょう。
少しで、完璧なものを望むなら、業者に委託するのがよいでしょう。フエルアルバムのHPから、最寄りの支店などを探し、電話で相談してみてください。量にもよりますが、最低二千円はかかるでしょう。
自分で製本するときの要領を少し述べてみましょう。(ただし、大きな裁断機がある場合の話です)
1.綴じる側を数カ所ホッチキスで両側から交互に綴じる。上下の端は切断するので約1センチは残す。3.を考慮して幅を考える。
2.ホッチキスの上からペンチ、プライヤー等の工具で締め付ける。
3.綴じた側を約5ミリ裁断する。
4.ホッチキスで綴じたところに、木工ボンドで無地の同じ大きさの紙を2枚ずつ両側に貼る。
5.2倍強の表紙用厚紙を置き、木工ボンドを水でやや薄めたものを刷毛で半面に塗り、背(切断したところ)が中央にくるように置く。背の部分にはやや濃いめのボンドを塗り、残りの半面にも薄目のボンドを塗る。背のところに隙間ができないように、押しつけて曲げ、背の部分が直角になるように爪でよく押さえる。
6.少ししてから、残った3ヶ所(上、下、横)を裁断する。
7.背から約1センチのところに千枚遠しのようなもので軽く型をつけてから折り曲げる。両面おこなう。数頁分曲げておく。
7.タイトル等をワープロで書いてレーザープリンタで打ち出しカットして、背や表紙に木工ボンドで貼り、その上から、木工ボンドでコーティングしておく。
以上です。
補足。4.のうち、1枚は表紙と接着されています。ここを1枚にすると、表紙の次がすぐ本文紙になります。
5.の表紙用厚紙は廃品利用も可。私の場合は、啓文社・コアの文具コーナーで「白ボール」の0判のものを買ってきます。1枚からA4用で5枚取ります。
雨が予想外によく降っております。西日本では明日にかけて大雨だそうです。
このような感じで、国内にいると水問題は問題じゃあない、と日々思っておられる方が多いと思います。でも、海外ではやはり深刻な問題であるのは、他の諸問題と同じです。
で、水だけは日本は大丈夫だと私も思っていた。ところが、吉村和就「水ビジネス」(角川新書)を読んでいると、バーチャル水の考え方が紹介されていた。農産物でも工業製品でもそれを作るのに必用な水を輸入しているのと同じように考えようという訳。食糧自給率が40%を割ったというのは常識だから60%以上が水とともに輸入されていると考える。世界の水も日本が消費しているのと同じようなものという考えになる。
さて、8時に二階から降りてきて執筆。目標は8枚。4枚を30分でということだった。
まずは、パラグアイ移住史を4枚。31分。まずまずだ。30分で4枚書こうとすると、書きながら次のことを考えてないといけない。ちょっと、ラフになったが、まず、不可能ではないということがわかった。
休憩済んだ。次の4枚へ。
完了。次の4枚は35分。仕方がない。ということで、本日の目標8枚完了です。
まだまだ、本日の仕事は終わらない・・・。
ギリシア語を少し。Sanskritにも出てくる、「アオリスト」については「継続とか反復とかかの観念をなんら伴うことなく、単純に過去においてある出来事が起こったことのみ述べる時称である」(水谷智洋「古典ギリシア語初歩」p.23)ということです。
ドイツ語は、Sein und Zeitで、翻訳をみながら少し辞書を引く。
「西洋哲学史 近代から現代へ」
「第11章 ヘーゲル左派、マルクス、ニーチェ」
「ニーチェは『背後世界Hinterwelt』を、プラトン的なイデアの世界を攻撃した。ニーチェにとってそれこそが、此岸のこの生を空虚にする、ニヒリズムの根源である。」(p.192)
「第12章 ロッツェ、新カント学派、フレーゲ」
論理学は確かに厳密な学問のためには必用なのだろうが、私には向いていない。
本日はここまで。窓の外は雨。
 
2010年5月24日。月曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部はまだ雨が残っています。予想最高気温24℃。夏らしくないお天気のようです。

今日もはりきってofficeのdeskの掃除からスタートです。まだ降っています。いつまで降るのだろうか。梅雨入りはどうなるのかな。

昨日は、雨が一日中降っていたので、外出しなかたた。図書館から「長英逃亡」の取り置き済みのメールが来ていたけど、行かなかった。今日寄ろう。

灯油がそろそろなくなる。買うべきか、買わざるべきか。To buy or not to buy, it's the quesition!

馬鹿なことを書かずに、まずはロシア語!今日はCDを4トラックほど聞く。宇宙ステーションの名前にあった,ミールは平和。ボリショイバレーのバリショイは大きい,という意味。

続いてSanskrit。Himalayaは雪山。Ramaはラーマー王。buddhaは仏。dharmaは法,道。いずれも男性名詞。

お昼頃になって雨もやみ、日差しが。風もありますね。黄砂はないと思いますが、でも少し・・・うぅっ。

次はラテン語。今日はCDエクスプレスを聞くことにしよう。
magisterは先生。aegerは病気。あえいでいる感じ。facioは作る、なす。例のプレファブへと転化していくのか? opusは仕事。「ダヴィンチ・コード」にでてきたかな? thermaeは公衆浴場。vaporが蒸気なのはわかりやすい。

さて、パラグアイ移住史も、そろそろ資料にあたらないといけなくなったので、スペイン語の復習をしておこう。まずは、「CDエクスプレス スペイン語」。

スペイン語はラテン語とフランス語の中間のようなものですから,簡単です。まあ,こういう喩えは正しくなくて,ラテン語がフランス語,スペイン語,ポルトガル語・・・以下ロマンス諸語に分化したわけですから,似たようなものです。似た単語も多い。子音をはっきり発音するので聞きやすいし,一部の例外を除いてローマ字読みすればよいから,かなり楽です。だから,単語を取り出して書いても,ラテン語かフランス語かわからなくなります。例えば,家はcasaカサ,白いはblancoという具合。だから,カサブランカというのは白い家という意味ですね。

あれ、ドイツ語かフランス語もやる予定だったが、できていない。
でも、次は執筆。一応目標は、昨日と同じにしておこう。

8時に二階からおりて、書き続けて12枚。約2時間強。4枚がパラグアイ移住史。

mixi 重い。話にならない。フランス語やって,1時間ほどしてまたでてきます。(22:36)
今日はベルクソンのものを翻訳と辞書を片手に少し・・・。

「長英逃亡」再開です。

今日はここまでにします。
 
2010年5月25日。火曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は曇りです。朝からホトトギスが鳴いています。あ、少し明るくなってきました。

また、曇って・・黄砂らしきものもあって・・、変な天気ですね。

いつものようにdeskのホコリを払って、ロシア語からやりますか。
ウローク4を読んで、書いて、文法を確認して、辞書をひいて・・。うーん、かなり充実。もっとやりたいところで、やめるのが長続きのひけつ。

ついで、Sanskrit。アートマンは自我、自己、霊魂。ガムは行く。
Sanskritにはギリシア語と同様に単数、複数の間に両数(あるいは双数)というのがある。hastauは両手。

スペイン語を少し。ここまでは日課としておく。

そして,ギリシア語。(ラテン語と交互に)。今日はイーリアス。

熊野純彦「西洋哲学史 近代から現代へ」(岩波新書)終わる。今年26冊目。
「「第10章 ヘーゲル」「第2章 スアレス,マールブランシュ,スピノザ」。ヘーゲルの精神現象学序説とかいうのは,高校の時一度覗いてみて,世の中にはわけのわからないことでも,文章で表現することができるものだと,なかばあきれ,なかば感心したものだが,ヘーゲルについては,今だに分からない。もっとも,分かるほど格闘していないせいでもある。スピノザはニーチェとともに,現代哲学のヒーローたちの源泉ではなかったか? ライプニッツとともに決して忘れてはならない思想家である。
第3章から第9章までは、ライプニッツ、ルソー、カントを除くとやや興味が薄れる。


いつものように、8時に二階から降りてきて、PCに向かうこと2時間半。やっと12枚。4枚を30分でというのはかなりきついようです。でも目標の12枚になったのでやめた。4枚がパラグアイ移住史。4枚が除虫菊史ということです。これから資料の整理と・・・、ドイツ語がまだでしたので、少しやります。フランス語とドイツ語も交互に、というのが目標です。

さっき、雷が近い雰囲気。不安定ですね。ホトトギスは朝も、昼も、夜も鳴いています。隣の公園、気にいったのかな?散歩は30分。規則的な生活です。でも・・書きながら行き詰まると物が食べたくなる。過食と拒食、よく理解できます。食べることによる現実逃避の心理・・。いくらでも食べれます。しかし、胃に悪い。夕食後何も食べないようにしたい。

では、しばらく、off。

ドイツ語を少し。今日は、NietzscheのDer Antichrist。訳文と辞書を利用して少し。訳文は、西尾幹二さんの訳で、潮文庫版。

「長英逃亡」。清水峠を越え、越後へ。直江津から、次は郷里・水沢へ。侠客が大活躍。山本一力さんの「草笛音次郎」や笹沢佐保さんの有名な木枯紋次郎シリーズを思い出します。それに史記列伝も。
峠越は「天狗争乱」を思い出します。最期の難所は木の芽峠だったかな?

今日はこれにて。


2010年5月26日。水曜日。
おはようございます。今朝の福山市東部は完全な曇り。19.0℃。@夕凪亭。外もやや寒い感じ。もう週の半ば。今日も楽しく頑張りましょう~。
曇っていると思えば晴れ、晴れたと思えば曇り、そして外に出ると寒い。
今朝もホトトギスがよく鳴いていました。スズメの鳴きまねをするホトトギス。ホトトギスの鳴きまねをするスズメ。どちらだろうか? 正解・・一緒に鳴いていた?
ロシア語、Sanskrit、スペイン語を終わる。これだけで、疲れた。あいかわらずだが、進歩したり、退歩したり。
8時半に降りてきて、10時40分まで。12枚完了。4枚が30分程度。できることなら16枚に挑もうかと思っていたが、少しうとうとして、降りてくるのが遅かったので、今日はここまで。
あと、ラテン語とフランス語をやる予定。
ラテン語は単語を少し。
フランス語はJeanne-Marie Leprince de Beaumont のLa belle et la bete 美女と野獣 。ほとんど読めない。
やはり、夜遅いとpowerが出ません。
今日はあまり書いてないが、これにて終了。
 
2010年5月27日。木曜日。
おはようございます。今日の福山市東部は快晴です。強い日射しなのに、やや寒く、今朝もストーヴ使ってました。19.0℃@夕凪亭。ホトトギスが隣の公園を気に入ったのか夜遅くまで鳴いていました。

あれ~っ。快晴と思ったのに雲がたくさんある。日の当たっているところは蒸し暑いのに、日陰は肌寒い。どうなっているの。

8時に出ると、すいすいと走ったものの、一カ所で信号2回待ち、そして1回ひっかかり、結局12分かかった。既にofficeのベネシャンは開いていた。残念。

さて、今日もやることが多いぞ~。はりきってやることにしよう。

しかし・・・今日は忙しかった。結局、駆け足でロシア語、サンスクリット、スペイン語を。残りは夜中に。

よく晴れているが雲が多い。空気は冷たい。16枚を目指しつつ、12枚で力つきるだろう。

おわったぁ~。7時半からはじめて10時半までかかって、かろうじて14枚。目標には達しなかったが、昨日より2枚増えたので、よしとしよう。腰も肩も痛くなるし、もうくたくた。twitterはやめておこう。それに、ドイツ語とギリシア語まだしてないし・・。

ギリシア語も、いろいろなところから、原文やら翻訳やらを探してきて貼りつけてあります。

これは「ニコマコス倫理学」の冒頭。日本語のほうは高田三郎訳の岩波文庫。一つひとつ辞書で調べるわけですね。はじめのところをカタカナで読みを示すと、パーラ テクネー カイ パーサア メトドス ホモイオース デ プラーキュス・・・ となるわけです。 

πᾶσα τέχνη καὶ πᾶσα μέθοδος, ὁμοίως δὲ πρᾶξίς τε καὶ προαίρεσις, ἀγαθοῦ τινὸς ἐφίεσθαι δοκεῖ: διὸ καλῶς ἀπεφήναντο τἀγαθόν,
Every art and every investigation, and likewise every practical pursuit or undertaking, seems to aim at some good: hence it has been well said that the Good is That at which all things aim.
いかなる技術,いかなる研究メトドスも,同じくまた,いかなる実践や選択も,ことごとく何らかの善(アガトン)を希求していると考えられる。「善」をもって「万物の気球するところ」となした解明の見事だといえる所以である。

ドイツ語だったら,例えば,Also sprach Zarathustraの冒頭は,以下のようになります。

Zarathustra's Vorrede. ツァラトゥストラの序説
1
Als Zarathustra dreissig Jahr alt war, verliess er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge.
verliess verlieren失う,なくす 故郷とは他地へ移住した人が言う言葉也,旅中にあらず(宣長)
Hier genoss er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahr nicht müde.
genoss geniessen味わう,楽しむ wurde werden成る,起こる,生ずる dessen 指示・関係代名詞 der das の2格
Endlich aber verwandelte sich sein Herz, - und eines Morgens stand er mit der Morgenröthe auf, trat vor die Sonne hin und sprach zu ihr also:
verwandelte verwandeln t.変ずる,改める aufstehen 立ち上がる,起きる trat treten 進む,踏み出す

このあたりは,訳文のほうを暗記しているので,書く必用はないので,書いてないだけです。

ワープロでは本文,単語,訳で,フォント,色が異なるわけですね。

こんなことを,飽きもせで,延々とやるわけです。

今日は,これでやめます。
 
2010年5月28日。金曜日。
おはようございます。今朝もよいお天気ですが、気温は昨日よりもさらに低く、室温は17℃。風がないだけ暖かくなるかな?
よく晴れていますが、気温はあまり上がらなかったようですね。夜は、また寒いかもしれませんね。
松雄剛次「仏教入門」(岩波ジュニア新書)を読みました。わかりやすく書かれた本です。この方面は断片的な知識しかありませんので、よい勉強になりました。空海も道元も親鸞も個別には読むのですが、それらの全体での位置づけはなかなか難しいものです。今年27冊目。
うぅぅ~。8時にはじめて、途中うとうとして、気がついたら10時。ここまでで、6枚。寝過ぎたよう。週末だから、つい気が緩んだようです。調子が出ないので、今日はここまでにして、とりあえず終わる。
資料を見たりして元気が出れば、追加を書くとしよう。
それにしても寒い。ストーブを入れたので眠くなった。曇っているのか、満月が見えないなぁ。
スペイン語とロシア語はワープロ変換してある原文の単語を少し調べた。
Sanskritはワープロへ貼りつけられないのです。困ったものです。それで雲来先生の訳文を。asva(男)馬、kanya乙女、amba母。覚えたつもり・・。
あと、ラテン語とフランス語。少しだけやりましょう。そして「長英逃亡」。
今日は、このへんで。
 
 
2010年5月29日。土曜日
おはようございます。今朝の福山市東部は快晴です。  今日は、大潮の因島へ。黄砂来ないといいが・・・。

時々、雲が出て日射しが遮られたり・・・。

しまなみ、22℃。窓開けて快適でした。午後は少し黄砂かな。

まずは、ロシア語から。
Антон Чехов(Anton Chekhov)の Дама с собачкой (THE LADY WITH THE DOG 犬を連れた奥さん)
(DAMA S SOBACHKOI)

Говорили, что на набережной  появилось новое лицо: дама с собачкой.
It was said that a new person had appeared on the sea-front: a lady with a little dog.
海岸通りに新しい顔が現われたという噂であった――犬を連れた奥さんが。(神西清訳 青空文庫)

スペイン語は、ペドロ下瀬さんの詩を辞書で調べながら。

Sanskritはサンスクリット文学のなかでも有名な、カーリーダーサーのシャクンターラーを少し。翻訳は筑摩の世界文学大系の「4 インド集」にあった。本文はpdf ファイルでweb上にあったが、手が出せない。ローマ字表記を探したら、Clay Sanskrit Libraryにあることがわかった。左側にローマ字表記。右側に英訳。その一部が提供されていたので読む。

7時半から11時過ぎまでかかって、やっと11枚。肩が痛い。もうやめた。

ギリシア語とドイツ語をやって、久々に初音ミクの青い山脈を聞いてみようかな。
それから、土日には平日にやらない、オランダ、ヒンディ、アラビア、ヘブライ、中、韓、伊などの諸外国語を聞くべきなのですが、無理ですね。

あと今日も15分ほどありますが、これで終わります。
2010年5月30日。日曜日。
おはようございます。今朝の福山市は快晴。今日は廿日市市へ行ってきます。広島県の東と西で,遠いなぁ。両方ともICから近いので,その分は楽だけど。

ふう~。
8時から11時まで、たったの5枚。もう一時間やろうと思ったけれど、腰が痛くなったので、今日はこれでやめる。
後は、机のまわりの整理。

語学もなし。充電不完了。いや充電はできたのか。目標不達成!
 
 
2010年5月31日。月曜日。
おはようございます。今日も福山市は快晴。素晴らしいお天気です。月曜日。そして五月最期の日。はりきって頑張りましょう!
と書いてみたものの、まだまだ眠い。やはり月曜日だ。
仕方がないので、英文を少し読む。まだまだロシア語という雰囲気ではない。
ということで,ロシア語はCDを聞く。スペイン語も。Sanskritは英文,古い日本語,シャクンターラなどなど。
フランス語は学研ムックの「いちばん楽しい パリ&フランス語」を聞く。ラテン語はCDエクスプレスの最期のほう。
今日も黄砂が・・・と思うのだが,黄砂というよりも,煤煙ではないかと思うようになった。というのは,昨日,山陽道を上って帰ったとき,廿日市,広島,東広島,三原,尾道と、きもちのよいほど空気は澄んで快適だった。だった,が,芦田川を渡り,小さなトンネルを抜けると,そこは,やはり霞んでいた。何で?と思うではないか。何で福山だけ黄砂が降るの? ということだ。答えは簡単。煤煙以外になかろう。
あと残り1時間半ほどで、5月も終わる。本日の仕事終了。2時間ほどで5枚はやや少ないが、健康のためには、このへんでやめておく。
やはり、椅子がいけないのかなぁ。いや、姿勢が悪いのだ!!
今日もいろいろ読んだが、もう少しで、来月になるので、このへんで閉じましょう。
  
 
 
今年20冊目。
中村雄二郎「術語集」(岩波新書)。
今年21冊目。
中村雄二郎「臨床の知とは何か」(岩波新書)。
今年22冊目。
中村雄二郎「哲学入門」(中公新書)。
今年23冊目。
青柳正規「ローマ帝国」(岩波ジュニア新書)。
今年24冊目。
道家達将「日本の科学の夜明け」(岩波書店)。
今年25冊目。
河野與一「続 学問の曲り角」(岩波書店)。
今年26冊目。
熊野純彦「西洋哲学史 近代から現代へ」(岩波新書)。
今年27冊目。
松雄剛次「仏教入門」(岩波ジュニア新書)。