2019年7月18日木曜日

夕凪亭閑話 2011年6月 

   
2011年6月1日。水曜日。曇り後晴れ。
我が6月になった。
昨夜は11時前にはやばやとダウンしたので、今朝は4時過ぎに目が覚めた。外はすでに明るく、ホトトギスに次いで山鳩の鳴き声がのどかに朝靄の中に響いていた。しばらくして鶯の声も。

しかし、いっこうに明るくならず、どんよりと曇っていると思ったら6時半には小雨が降り出した。梅雨だから仕方がないか。

「伊沢蘭軒」その四十,四十一を読む。

「古寺巡礼」三 若王子の家――博物館、西域の壁画――西域の仏頭――ガンダーラ仏頭と広隆寺の弥勒 を読む。


「道草」の 十二,十三を読む。いつも,やりきれない,思いをもつ。こういうだらだらとした,息苦しい人間関係を書く漱石の筆は冴える。

「美しい村」を少し。

「ローマ帝国衰亡史 ⅩⅠ」の第70章を終わる。残り1章。この遅々とした歩みは、私がいかにこの書を読みあぐんでいるかわかろうというものだ。


内閣不信任案が提出された。賛成だ。今の政府与党では、復興は遅れるし、展望がみえない。


2011年6月2日。木曜日。曇りのち晴れ。
今日も曇り空でぱっとしないお天気。やはり梅雨なんだと実感。

「伊沢蘭軒」その四十二、その四十三を読む。前々回、神辺の茶山を尋ね、今回広島で頼春水、山陽と会う。春水では初会であることを鴎外は考証する。そら他の頼家の人々と会った順など。どこかで、鴎外と露伴の漢文の力は抜群で、自由に考証などができた。しかし、荷風にあったては、やや劣り考証はできなかった、などということを読んだことがある。抜群でも、間違うことはある。あるいは未見の資料が後に発見されて、推定が修正されることもあるだろう。鴎外万能ではない。がここは信じておいてよいだろう。


「古寺巡礼」で四 東西風呂のこと――京都より奈良へ――ホテルの食堂 を読む。


「道草」は一四,一五。そして,「美しい村」を少し。

山崎朋子「サンダカン八番娼館」(文春文庫)を終わった。


内閣不信任案は否決された。これでまた復興は遅れる。 
 
 

 
2011年6月3日。金曜日。曇りのち晴れ。
毎朝曇りです。
庭の睡蓮が気温が低いのに毎日咲いています。
それに、ホトトギスが隣の公園で朝に夜に鳴いています。今も。

ホトトギスといえば、名歌「夏は来ぬ」を思い出す人も多いと思う。その冒頭に出てくる、「うのはな」というのは空木(うつぎ)という木に咲く花のことだと音楽の先生に教えられた。その空木は中が中空でいにしえの忍者が水中に長時間潜伏するのに利用したのではないかと想像される。その卯の花がofficeの部屋の前にあり、今年は驚くほどよく咲いた。それが今日、散り始めた。反対側の庭では連日シジュウガラが優しい声を張り上げている。

「伊沢蘭軒」その四十四は廿日市,宮島をすぎる。

「古寺巡礼」では,五 廃都の道――新薬師寺――鹿野苑の幻想 を読む。

「道草」の十六,十七を読む。

そして,「美しい村」を読む。


やっと、やっと終わりました。祝・完読!!
ギボン著、中野好之訳「ローマ帝国衰亡史 ⅩⅠ」(筑摩書房)の第七十一章を本日読み終え、やっと十一巻の衰亡史を読み終わりました。思えば、2009年の秋、シェイクスピアの全作品を読んだ勢いで、次はギボンと決めて、2000年の秋には終わる予定が、今年になっても終わらず、暖かくなる頃には、と予定を変更したのが、遅れに遅れ、いつしか季節は夏を迎え、梅雨に入ってしまいました。

今日、その最終章を読み終え、感慨深いものがあります。・・さあ、次はドストエフスキーです。「永遠の夫」「賭博者」・・そして、作家の日記と短編などです。
2011年6月4日。土曜日。曇りのち晴れ。
あれは、未明の1時57分か47分のことだった。かすかな揺れが・・・。地震かな、と思って見ていた。少し強くなって、またしばらく揺れた。阪神大震災のときほどは強くも長くもなかった。だが、この地方でこんなに揺れるのはかなり大きな地震がどこかで起こったのだろうと思ってテレビをつけたら、島根県東部で震度4ということだったので、安心してまた眠ることにした。夜中なのにホトトギスが鳴いていた。いつ寝るのだろうか?

今朝も曇り。そのうち、いつものように晴れるでしょう。

いつものように、晴れたので因島へ行ってきた。
こちらも二階が開かずの間になりかけているので、すべての窓を開けて、風を通した。そして掃除機で丁寧にほこりを吸う。

池は先日の雨でいつもよりは水はきれいだが、まだまだ物足りない。経済的な浄水法はないものか?

アンドリュー・ブラウン著、長野敬、赤松眞紀訳「ダーウィン・ウォーズ」(青土社)を読んだ。ドーキンス派とグールド派に勝手に分類して述べたもので、おもしろいと思う人もいるかもしれないが、私にはあまりおもしろくなかった。ただ、モルモン教については私とは見解を異にするところがあって、これは少し考えた。

2011年6月5日。日曜日。晴れ。夜一時雨。
今日は、夕方から雨予報であったが、朝の新聞の予報では消えている。いいことだ。とはいえ、梅雨はどんどん雨に降ってもらわないと、この地方は雨が少ないのだ。

晴れていたのに、昼前から曇ってきた。風も吹いている。夏らしくないね。

さて、今日は、杉山隆男「『兵士』になれなかった三島由紀夫」(小学館)を終わった。貴重な資料になることだろう。

2011年6月6日。月曜日。晴れ。
新しい週です。月曜日です。仕事です。
燃えるゴミの日です。いつものように8時に出発。

「伊沢蘭軒」その四十五 四十六を読む。はや壇ノ浦へ至る。

「古寺巡礼」の六 浄瑠璃寺への道――浄瑠璃寺――戒壇院――戒壇院四天王――三月堂本尊――三月堂諸像 を読む。

「道草」十八,十九を読む。「美しい村」を少し。

トマス・ハリス著、高見浩訳「ハンニバル 下巻」(新潮文庫)を終わった。
上巻を終えてすぐに読みだしたものの、ほかの物に興味が移ったりしていて、少し離れていたが、読み始めるとおもしろい。すぐにやめられなくなる。特に後半、ハンニバルがメイスンの配下に捕らえられるところからの盛り上がりはすばらしい。

これでも、まだ今年30冊目。遅い、遅い。

以前使っていたPCのインターネットが回復しました。ウイルスバスターの緊急ロックがかかっていたようです。解除したら、つながりました。

2011年6月7日。火曜日。雨後曇り後晴れ。
朝から雨といっても小雨です。時折ぱらぱらと雨音が大きくなったと思ったらすぐにやんでしまうという、根性のない雨です。

新聞を見ると「大連立」の文字。与党も延命工作をしているのでしょうね。


「美しい村」を少し。「美しい村」は「序曲」「美しい村」「夏」「暗い道」の四篇より成る、と注記されている。前2編を終わった。

「道草」の二十,二十一を読む。

「古寺巡礼」の,七 疲労――奈良博物館――聖林寺十一面観音を読む。聖林寺十一面観音というのは有名な国宝で,あの目と手の形は一度見たら印象に残るであろう。この目は平櫛田中の岡倉天心像の目とも似ていると思った。

「伊沢蘭軒」その四十八,その四十九を読む。平家蟹を売りつけられたりしたあと,小倉に泊し,太宰府に至る。
2011年6月8日。水曜日。雨後曇り。
今日も朝から小雨。広島弁風に言うと「いなげな天気」です。

こういう日はPCと本を時々見ながら、雲を眺めていると安らぐのでしょうが、もう少しの期間」、悲しいサラリーマンですので、出勤しましょう。


「美しい村」を少し。
「道草」二十二、二十三を読む。
「古寺巡礼」の八 数多き観音像、観音崇拝――写実――百済観音 を読む。


フョードル・ドストエフスキー著、神西清訳「百姓マレイ」(青空文庫)で読みました。ドストエフスキーの作品の中ではわかりやすいものの一つでしょう。
2011年6月9日。木曜日。晴れ。
昨夜、11時前からストレッチをして少し本を読んで寝たので6時に目が覚めた。30分ほど仕事をして6時半から朝食。
そして、ラジオ体操。久しぶりによく晴れている。

衰亡史が終わったので、ギボン自伝を読めばいいのだが、次の目標であるドストエフスキーがおもしろくて、そちらへ集中している。「永遠の夫」は奇妙な話であるが、わかりやすい。それでいて常軌を逸した世界が細かく書き込まれていて、いろいろと考えさせられる話で、すっかり魅了された。僕個人としては、世評高いカラマーゾフも悪霊も白痴も未成年も、そんなに魅了されたわけではない。だから、最近ドストエフスキーもけっこう面白いという、ことがわかりかけた。


吾妻鏡 第一巻 序文 を読む。「美しい村」少し。


2011年6月10日。金曜日。曇り時々雨。夜大雨。
今朝も曇天で梅雨を実感しております。大きな雨は降らないものの、いつも曇って、時々降りそうになる。そして降ることもある。雨期なのだ。

今朝も曇って7時半になってもまだ太陽は見えない。
今年はどこも樹木にたくさん花が咲いている。庭に出ると栗の花の匂いがするが、栗は植えていない。別の木の花の匂いだろう。

それから、今年は気温が低いのに睡蓮がよく花をつける。ほんとうに花の年だ。

「伊沢蘭軒」その四十九を読む。佐賀にまで至る。あまりおもしろいとは思わないがある日突然こういうのが面白いと思う日が来るから、人生というのは不思議である。


「古寺巡礼」の九 天平の彫刻家――良弁――問答師――大安寺の作家――唐招提寺の作家、法隆寺の作家――日本霊異記――法隆寺天蓋の鳳凰と天人――維摩像、銅板押出仏  を読む。

「道草」の二十四 二十五 健三の妻の実家の婿・比田が『常山紀談』を読んでいる。講談だと思っている。


与謝野源氏「蓬生」「関屋」を終わる。

2011年6月11日。土曜日。曇り。
昨夜から強い雨が続いている。
朝4時頃、雨の音で目が覚めた。凄い雨だ。外はまだ薄暗い。こんな時間に起きたくはない、ということで再び寝る。今度は暑くて目が覚めた。6時頃だ。毛布を少し寄せて再び寝る。8時前に起きる。

「賭博者」の5章を終わる。昨日から再開したのだ。そして「永遠の夫」は進行中。「未成年」を何年かぶりに開いてみると、意外におもしろかった。これも再読してみよう。折りを見て。

2011年6月12日。日曜日。曇り後雨。
朝は曇り。新聞の天気予報では1日中雨マーク。

梅雨ですからね。

今日は地元の小学校の廃品回収。新聞雑誌、アルミ缶、スチール缶を道路脇に8時までに出しておいてくれということなので、そうする。一掃できた。ありがたい。

昨日は、午後因島へ。そして散髪。帰ってからはずっと読書。日記を書くのを忘れていた。その記録は後日まとめて書くことにしよう。

昨日が東日本大震災から3ヶ月目だった。この間の復興政策ならびに避難民への対策はまったくお粗末だったというほかはない。

あれだけの大惨事で、何とかしなければいけない、という大多数の国民の声を聞きながら積極的な対応がなされなかった政府、ひいては菅総理の指導力のなさが目立つ。そもそも民主党が政権与党になった時、脱官僚を表に出していたが、官僚を排して自分たちでできるだけの組織はいまだできていない。こういうありさまだから、官僚の協力も得られなかったのだろうと思う。本来は専門家である官僚がどんどん計画を立案し、政治家が決断すればいいことでであろう。それを一部だけ政治家がリードしようとするから。おかしいことになる。

現在の日本の経済力で、未だに避難所生活者がいるということはおかしい。その気になれば、仮設住宅を100完成させることは可能だったはずである。

この調子だったら3年たっても被災地の経済は復興しないだろう。ということは、日本経済は凋落の一途を辿る。

もともと年金問題、少子化問題をはじめとして、日本経済はみかけはともかく実質はピークを通り越し、下降に向かっていたのだ。その証拠は政治家の人材不足だ。政治家に限らず、あらゆる分野で人材がいない。芸術、スポーツ、学問・・それぞれの分野で傑出した人は何人もいる。しかし総体としての弱体化は明らかであろう。

その凋落は時々復調しながら徐々に下降する。そして時に大きく下降する。その大きく下降する時の一つが東日本大震災であったということになろう。

「自然エネルギー推進庁」などを一国の総理が構想することか? まるで、小学校の児童会ではないか! 真面目に避難所生活者のことを考えろと言いたくなりますね。

昼前から降り始めた雨は午後になって大粒の雨となって、かなり降った。9時前になって静かになった。


ずっと、ドストエフスキー。「永遠の夫」と「賭博者」。どちらも読みやすい。ただ、どちらも奇妙な話でついていくのに骨が折れる。

「黒死館殺人事件」の「序篇 降矢木一族釈義」を読んだ。圧倒される。腰が痛くなった。
 
2011年6月13日。月曜日。晴れ。
少し明るい月曜日の朝。今日は新聞はお休み。
もう雨は遠ざかったか? でもこの空模様では、いつ降ってもおかしくはない。

節電に努力している。洗濯機のコンセントは抜くことにした。トイレの便座暖房も切った。使っていないエアコンについては、ブレーカーを落とした。

テレビやブルーレイの電源が気になる。電子レンジもいくらか電気を消費しているのではないだろうか。SW付きのOAタップにして電源をすべて切るのがいいのか。切ったらタイマーや設定が狂わないか心配。


与謝野源氏で「絵合」読む。
それから「永遠の夫」やっと終わりました。米川正夫さんの個人訳全集のほうです。なかなかついて行けない心理ですが、読んでわからぬことはない話です。それにしてもここまでよく書くなあという思いが毎度ながら・・。

2011年6月14日。火曜日。晴れ。
まずは明るい火曜日。しかし、どちらかというと曇り。明るい太陽光線が部屋に入ってくるのではない。

でも、雨が降りそうなお天気ではない。おそらく次第に晴れて梅雨の中休みという感じのよいお天気になると予想される。

今日は少し仕事の少ない日。

さて、ドストエフスキーのほうは「賭博者」。土日と少し読んだので今日は9章から。こちら持っていないので、小沼文彦訳の筑摩版全集を近くの図書館から
借りてきて。homeとofficeとの間が車で10分ほど。その中間あたりに支所と図書館があって、小沼訳全集がある。米川訳全集は本館のほうにあり、これはインターネットで予約しておけば、届けてくれる。誰も借りていなければその日のうちに届く。

「黒死館殺人事件」の第一篇 死体と二つの扉を繞って 一、栄光の奇蹟 を読む。

足跡機能が変わっておもしろくなくなった。これでは、他のブログに似てくる。独自性の縮小ではないか、と思う。


「賭博者」9章終わる。今日はこのへんにしておこう。

夕方、庭木の剪定。庭が樹木の影になって、じめじめとして鬱陶しいので、大胆にカット。道路に伸びるヤツデの木を大幅に切る。太い幹が、見た目より柔らかい。

植木鉢で育てていた苺が熟れたと思ったら虫か鳥に喰われていた。どうなっているのだ! 農業というのは難しい。これではビニールハウスか、温室のようなものを作って自然から隔離しないと何もできないではないか。
2011年6月15日。水曜日。晴れ。
今日は水曜日。中日。今日も曇りでスタートです。雨は降らないでしょう。

「賭博者」10章、11章読む。遺産相続のためにいつ死ぬかいつ死ぬかと待ちわびているお婆さんが、元気溌剌とやってきて、みんなを煙に巻くのが9章。10章でルーレットで大もうけをして得意満面のお婆さん振りを描く。11章は再び周囲の狼狽。このままいくと負けて、全財産を擦ってしまうと遺産がなくなると、周囲は心配する。さて、その展開はいかに。やはり勝ち続けるのか。負けるのか。確率的には負けることになっている。どこで身を引くかが問題なのはいずこも同じ。

明日は雨予報で梅雨前線が近づいてきているのか雲の多いお天気。でも暑くもなく、そして夕方が長いので、庭の樹木を今日も剪定しておこうかという気持ちになる。明日は雨で庭に出ることができないだろうから・・・と。見ると、ナツメとモッコウバラ競合しているナツメを切るのはよくないので、モコウバラの枝を間引く。

「賭博者」は15章まで進む。12章でおばあさんは全財産を負けてしまい、この一段の崩壊が起こる。そのストーリー展開にはついていけないが、細部の描写はおもしろい。ドストエフスキーがこんなにおもしろいとは、今まで思ったことがなかった。今後、短編を順次読んで行く予定であるが、楽しみである。でも、ロシア人の愚かな行為から人生について何かを学ぼうとは思わないし、鈍感な私は魂を震撼させられることもないと思う。officeの駐車場は、各自の場所が決まっているわけではありません。早く出勤した人から好きな所に停めていけばいいのです。いつもヒマラヤスギの近くに停めているのですが、、今日は誰かが停めていたので、一つ隣のヒマラヤスギの下にしたら、案の定、帰るときにみると鳥の糞がついていた。木の下はよくないと、反省。
今日の昼はラーメンセットということで、少量のチャーハンとラーメンと、野菜。満腹感が乏しいので、隣の売店で揚げパンを買って、1時間後に食べた。一月後に健診があるのだが、まだ大丈夫だろう。
庭に梅の実がなっている。去年は梅酒をつくるという同僚がいたので、みなさし上げた。今年はリクエストがないので、自分で梅酒にしてみようかと、おもったりする。若い頃に、いろいろな果実酒を作ったが、こんなのを毎日飲んでいたら糖尿病になる・・と言って、作るのをやめた。レシピ通り氷砂糖を入れる必用はなかったのではないかと、今なら思う。硝子瓶は倉庫の中にあるだろう。久し振りに作ってみるのもいいかな。
 
2011年6月16日。木曜日。雨。
今年の入梅は例年よりかなり早かったのですが、その後1週間に一度は雨が降るという、精勤ぶりで、まことに梅雨らしい梅雨です。ただ、時期的に早いせいか、気温が例年ほど高くなく、蒸し暑さと、家屋の湿っぽさがないのが救いです。家ではまだ一度もエアコンを入れてないところをみると、かなり気温が低いのだと思われます。

さて、「賭博者」ですが、主人公でこの小説の話者ということになっているアレクセイ・イワノーヴィッチという家庭教師の青年はポリーナのためにお金を賭博でかせいできますが、ポリーナはそれをうけとらず、別の女性にいいように騙されてパリにいって浪費してしまいます。手元に置いていたら、モスクワから出てきたお婆さんと同じようにみな擦ってしまうでしょうから、同じことなのですが。気になるのは、ここまでフランス女性に卑屈になり言うままにならないといけないのか、という思いです。そして主題がそこにあることに気づきました。後進国ロシアとヨーロッパとの出会いを書いているのです。ですから、フランス人への劣等感から、想像も出来ないような行為が次々と起こっているのです。これはある意味で海外へ移民して騙される多くの日本人の心情と似たところがあるようです。・・とすると本編の中心となるルーレットと賭博上というのは遅れたロシアから見た進んだヨーロッパの象徴であることがよくわかります。対等の距離がとれないのです。だから、一見愚劣な人たちをドストエフスキーはこれでもか、これでもかと書くのです。

さて、お人好しの主人公もまだ賭博癖から抜け出せないで、この作品は終わります。最後の17章にも違和感は感じましたが、おもしろい作品だったと思います。

さて、小沼文彦訳の筑摩書房のドストエフスキー全集の5巻は、この「賭博者」のほかに「地下生活者の手記」「クロコディール(鰐)」「永遠の夫」から成る・
「鰐」は最近鴎外訳で読んだし、「地下生活者の手記」は新潮文庫で何回か読んでいるので、今回は読まないことにする。ということで、これは返却して次を借りてこよう。

帰りに、図書館に寄って5巻を返し、4巻を借りてきた4巻は「死の家の記録」「いやな話」「冬に記す夏の話」の3編が入っている。今度はのんびりと読んでいく。全作品を読むのに3年ぐらいはかかるのではないかと思っている。

2011年6月17日。金曜日。晴れ。
雨が上がっています。まだ晴れてはなく白い空です。もう今日は降りそうにないですね。少し前から紫陽花が咲いています。とはいえ、我が家のはガクアジサイのほうです。以前、大きな花の紫陽花を買って、終わったので路地植えにしたのですが、これは次の年までもたなかった。今あるのは因島から株分けしたもので、根づきどんどんと広がっていっている。そのガクアジサイの下にドクダミの白い花が咲いています。

今日は結局雨も降らず、過ごしやすい日だった。夕方、庭の木のうち高いところにある枝を切ることにした。高いところには手がたわないのでその枝の下の方から思い切って切った。こういう作業を何回かやると、随分明るくなった。明日も晴れていたら、続けたい。

 

2011年6月18日。土曜日。曇り時々雨。
雨が降ると毛虫が増える。それがやがて蛾になる。ひらひらと舞う。スズメがやってくる。蛾を食べるのか、毛虫を食べるのか、蛾の生んだ卵を食べるのかはわからない。蛾は蛾になって一週間もしないうちに交尾をして卵を産んでいる。これでは少々のスズメでは歯がたたない。もちろんスズメには歯がないが。

その蛾の舞っている姿は司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」の挿絵そっくりで、胡蝶というのはモンシロチョウや揚羽蝶のことではなく、蛾のことなのかと思ったりする。でも、私は蛾が自分なのか、自分が蛾なのかなどと考えたことはない。蝶はいつまでたっても蝶だし、私は蝶や蛾になろうと思ってもなれないことはわかっているので、そんなことは思ったことはない。

2011年6月19日。日曜日。曇り一時雨。
ここ数日、MIXIが重い。場面転換に異常に時間がかかる。「・・をダウンロードしています。 緑の点々・・」の時間がだるい。綿のPCのウイルしバスター君のせいだろうか。


昨夜は焼き肉をしてビールを飲んだので、眠くなった。9時前に寝たので2時に目が覚めた。これはいつもの睡眠時間で当然だろう。しかし、しばらくとすると眠くなるのが問題。このタイミングを失すると、生活のリズムが乱れる。4時頃に寝て、いつものように6時半に起きると、よいのだが。3:40分になった。そして眠くなった。
うつらうつらとしばらくは寝付けなかったが、その後寝たようで、7時に起きて朝ご飯。
外はどんより曇って、雨がさっきまで降っていたのか、これから降るのかという感じ。
今日は第3日曜日で、老人会がやっているリサイクルゴミの収集の日。新聞紙とチラシが1週間分あるので出してくる。少し霧がかかっているようだ。九州に大雨を降らせている雨雲が東へ延びて瀬戸内海の上あたりまできている。当方の上にはかかったりかからなかったりで、怪しいお天気なのだろう。
梅雨の半ばか終盤かは知らないが、そろそろ梅雨本番といった感じだ。
「死の家の記録」を読むのがメインなので、ことあるごとに最低2ページを読んでしおりを進ませる。監獄に入ったらだれでもこのようなものが書けるわけではない。ドストエフスキーのような希有な才能の持ち主が投獄され、そして生きて釈放されたから、こう書が残された。


2011年6月20日。月曜日。曇り一時雨。
今日は少しムシムシする。
夕ご飯の後、少し明るいので二階の本棚をトンカチしていたら、汗が・・・。風呂上がりに今年はじめてのエアコンを入れました。快適です。

2011年6月21日。火曜日。晴れ。
朝から素晴らしいお天気。雨に濡れた若葉の上の白い水玉が水晶のように輝いている。今日は暑くなるかな。
そしてまた明日から雨だから、夕方になると湿度が上がって梅雨独特の蒸し暑さが戻ってくるのだろう。

予想どおりというか、それ以上に昼前から蒸し暑くなって閉口。変な節電ムードでエアコンが入らない。もっとも、健康のためにはよいが。エアコンを使うな、とは誰も言ってはいない。エアコンの設定温度を高めにしようと言っているだけだよね。

今日は整体の日。骨棘は押し込んでもらいほとんど痛くなくなった。最後は腰骨の中心。全体を押してから最後に何度も押して貰う。気持ちがよい。次第に軽くなるだろう。
2011年6月22日。水曜日。晴れ。
朝から蒸し暑い。
昨日からクチナシの白い花が咲いている。クチナシの花は「花の命は短くて・・・」のとおり1週間ももたない。漢字が読みにくいのは中国で書かれていたのを和名に当てはめたからだろう。ジャガイモと馬鈴薯は本来別のものを誤ってドッキングしたということであるが、(オリーブと橄欖もそうである)クチナシと山梔子(梔子、梔)の関係は知らない。まあ、同じものとしておこう。

 
 
2011年6月23日。木曜日。晴れ。
今日は曇りで予想最高気温は30℃です。まだ、6月というのに・・。
昨夜も少しエアコンを入れた。
2時頃暑くて目が覚めた。こちらはエアコンをまだ入れていないのでホコリを飛ばされるのが嫌で、夜中に入れるわけにいかない。結局、毛布をもって夕凪亭に移動してエアコンを入れた。
今朝は曇りどころか快晴ではないか。昼前には30℃を越えるのではないかと思う。officeの大部屋、変な自粛ムードを壊してエアコンを入れよう。温度設定を27℃にして扇風機をまわせばいいのだろう。

やはり・・・凄い熱さだ。ついにofficeもエアコンが入った。窓際の私の席は暑いのでベネシャンを少しおろして半開にした。

 
 
2011年6月24日。金曜日。晴れ。
5時半に起きた。朝から暑い。湿気をとるという目的もあってエアコンを入れる。

昨夜は寝室を、寝る前に30分ほどエアコンをいれ、扇風機をタイマーにして寝た。4時に眼が覚めて扇風機とエアコンを少し入れる。エアコンはすぐに停めた。再び寝て5時半に起きる。
今日も暑くなりそう。

毎日のようにさくらんぼの木の高い枝から2本ずつ切っていった。真夏なら影を作ってよいのだが、こう湿度が高いと、樹が茂りすぎるのは鬱陶しい。かなりすっきりした。

2011年6月25日。土曜日。晴れ。
雨が降らず、空気も少し湿り気が減った。昨夜は二階は窓を開けたままにしておいた。

今朝6時前に起きたら、外の空気がやや涼しい。1階も窓を開ける。直射日光の入る部屋はどんどん気温が上がっていく。

空の青さは真夏のものとやや違うとはいえ、このからから天気はなんだ? 梅雨の中休みか、
 
2011年6月26日。日曜日。雨後晴れ。
三日続いた猛暑が収まった。去ったのだろうか、単なる中休みか。今週の天気予報では火、金を除いて傘マークが小さくついている。高気圧が弱まれば、もう少し降ってくれるのであろうか。

昨日は、昼過ぎに、因島へ。時間帯のせいかもしれないが、車はやや少ない。観光地では、観光客が多少減ったのだろが、道路は混み合わない方がいい。

暑かった。車外気温はずっと35℃。窓を開けて走ったので、帰ったら右腕が日焼けしていた。

夕方少し散歩。

夜、椅子に座っている時間が長くなったのでベッドで横になっていたら、PCをつけたまま寝ていた。目が覚めたのは1時。雨のにおい。少し降った跡が。二階の窓を閉めて、一階の戸締まりをして寝る。

朝はいつものように6時半に起きる。さらに雨は降ったようす。
少し降って、やんで、晴れて、曇って・・・その状態がしばらく続いている。

結局、午前中は雨。午後曇りがちながら少し晴れて蒸し暑い一日でした。


 
2011年6月27日。月曜日。晴れ。一時雨。
 
曇り空から雨が2滴。夕方から雨予報ですが、いつ降ってもおかしくはないですね。やはり、梅雨は終わっていない。まだまだこの蒸し暑さと闘わねばならないようです。老体には答えますね。こういうときはできるだけ、負荷をかけないようにして、気楽に過ごすのが一番ですね。

曇ったり晴れたりの一日です。昼前に雨もありました。蒸し暑く、何とも嫌な天気で仕事の効率も下がります。それでも、エアコンというものがあり、子どもの頃の夏に比べたらずっとずっと過ごしやすくなっているのだから、よしとしましょうか。

それに、こういうときにはぼーっとしていたらよいのではないでしょうか。あまりにもちまちまと仕事をしないといけないと考えるのは現代病ではないかと思います。特に、インターネットなどというのは、情報の宝庫で、私などはついついあれもこれも仕入れてしまいたがるのですが、いいかげんに、情報という物は本来、無価値なものであるということを肝に銘じないといけないのかもしれない。

 
 
2011年6月28日。火曜日。晴れ。
火曜日の朝は快晴です。
でも、こんな蒸し暑い朝は、快晴とは呼ばない方がよい。
6時に眼が覚めた。エアコンは入れずに寝た。夜中に何度か扇風機をタイマーで回した。
そして、6時に目が覚めた。暑くて眼が覚めたといったほうが適切。
朝食後、エアコンを入れて体操。今日は暑くなりそうです。

もうまもなく6月も終わり。7月になってもすぐには梅雨明けとはならず、こんな日々が続くのでしょうね。

ところで、午後になって、九州南部梅雨明けのニュースを発見。昨年より22日も早いとか。それでは、こちらもまもなくではないか・・・。

暑い、暑いで、どこへ移動しても、エアコンに頼っています。節電? ん、確かに節電は必用です。でも、やせ我慢はいたしません。

多くの方に訪問して頂いているのに、連日気候のことだけで、それに更新も遅くなって申し訳ないと思います。本は、薔薇十字団と錬金術関係の本を少し。終わったらタイトルぐらいは書いておきます。

 
2011年6月29日。水曜日。晴れ。
5時に起きました。
昨夜はエアコンを1時間タイマーで寝たのだが、途中で寒くなって切った。
その後、何回か暑くなって扇風機をタイマーで入れるのは毎夜ノパターン。

明るくなったので、5時に起きて、浸透圧とコロイドのところを少し読む。
6時過ぎに朝食。食パン、バナナ、牛乳。そして庭に出てメダカの世話。昨日網と池・水槽掃除用の網目のあいたショベルを買ってきた。表面に浮いている南天の花や葉っぱを拾い、底に溜まっているヘドロを掬う。メダカが入れば、黒は奧の2つの池に、黄色は近くの2つへ移す。1つは稚魚ように空けておこう。何事も完璧にはやらないのが私流の生き方。残りはまた後日。餌をやって朝のお世話は終了。

やることがいっぱいあって、なかなか頭の痛い夏です。我は夏至の子、我は海の子・・と言う余裕がありません。

さて、今日は卵を1つもって行って、塩酸で殻の一部を溶かして、水の中へ浸けておきます。それにガラス管を突き刺すのも、おもしろいのですが、汚いので、しません。結果としてはどちも、あまり美しくなく、似たりよったりですが・・・。

昼間は猛烈な日射し。これでは、梅雨とは思われない。いっそうのこと梅雨明け宣言をしていただければ、心も晴れるというものだろう。


氷を入れて飲むビールだとか、塩入のサイダーとか、変なものが変にみえないほど、世の中変なものだらけ。「世紀末」的ですね。新世紀はまだはじまったばかりなのに。遠いところの3・11はじわじわとこの国の隅々まで浸透しているのでしょうか。

2011年6月30日。木曜日。晴れ時々小雨。
 
暑さのせいだろう。早い時間に目が覚めた。おかげで寝不足。
昨夜は障子を開けておこうと思ったが、やはり蒸し暑いのでエアコンを入れた。28℃にして2時間タイマーにした。しかし、暑くて・・・。
エアコンを入れたままで寝るのはどうも気持ちが悪い。かといって暑いのでは汗をかいて眼が覚める。どうすればいいのだろうか・・・。

もう暑さにはすっかり慣れた、というわけではないが、当たり前のことだ。梅雨が明けようが明けまいが暑いことには変わりはない。出来るだけエアコンを入れて秋が来るのを待とう。幸い、我が中国電力は関電にまわすほどの余力があるらしく、特別の節電のお願いをすることはありません、とHPにあったぐらいだ。それでも、原発が必用なのでしょうか。少しずつ撤退していくのが長い目で見れば安くなるのではないでしょうか。

ああ、今日で6月も、我が6月も終わりです。
何をしていたというでもなく、
じりじりと押し寄せる暑さに
とうとう冬の装いと縁を切って
夏型の呼吸をしております。
ああ、6月が、行く。
暑い地球に、雨期を載せて。

御愛読を多謝。

 
 
今年26冊目。
山崎朋子著「サンダカン八番娼館」(文春文庫)。
今年27冊目。
ギボン著、中野好之訳「ローマ帝国衰亡史 ⅩⅠ」(筑摩書房)。
今年28冊目。
アンドリュー・ブラウン著、長野敬、赤松眞紀訳「ダーウィン・ウォーズ」(青土社)。
今年29冊目。
杉山隆男「『兵士』になれなかった三島由紀夫」(小学館)。
今年30冊目。
トマス・ハリス著、高見浩訳「ハンニバル 下巻」(新潮文庫)。
今年31冊目。
小沼文彦訳「ドストエフスキー全集 5」(筑摩書房)。
今月見た映画・ビデオ等