2019年7月15日月曜日

夕凪亭閑話 2013年9月

 
2013年9月1日。日曜日。雨時々曇り。
因島。雨が時折激しく降る。そしてすぐに止む。バベの剪定を少し。
夕方雷雨。
 
2013年9月2日。月曜日。雨時々曇り。
1週間前の予報では、今日は降らないようになっていたが、雨は前にも後にも伸びたようである。
朝5時過ぎに目覚めたときにはかなり強く降っていた。気がつかなかったが3時頃にはもっと強く降っていたことがYahooの天気ガイドでわかる。警報も出ていたようである。
6時を過ぎてからは時折降ったり曇ったりではっきりしない。
晴れたかと思うとまた降る。
昨日出てきたフィルム2本と、残っていたローマの観光スライドの残り40枚をフィルムスキャンにかけて、一応作業は完了。とはいえ、化学関係のスライドも別にあった。こちらはデジタル化の意味はあまりなさそうであるが、スキャンしてから捨てるのも一つの方法ではある。
午後、ミシンの修理ができたという電話があったので取りに行く。
青空文庫で、
和辻哲郎「偶像崇拝の心理」「自己の肯定と否定と」
宮沢賢治「クねずみ」 など。
 
2013年9月3日。火曜日。雨時々曇り。
6時過ぎに起きる。予報に反してよいお天気。朝食後散歩。約2000歩。
朝は少し雨。午後、夜は時折激しい雨。気温も低い。
「天皇の世紀一」、黒船渡来三。黒船渡来は蒸気船のなせる技で、いかにも近代の出来事と呼ぶにふさわしい。それに対する、我が国の事情はといえば、驚くほど前時代的なことが記される。後の明治天皇となる祐宮の病気に対しては、大佛さんが「源氏物語や栄華物語に出て来る話とそう遠くないように思われて来る」と書くように、加持祈祷が大きな位置を占める。そんなお金があれば医学研究の奨励に使えばよいものを、と思うのは現代だからできる発想である。また、異国船打ち払いも、祈願して調伏しようなどという考えが出てくる。そういう時代に、我が国はあった。
阿刀田高・文「アーサー王物語」(講談社・痛快世界の冒険文学12)終わる。
他に、Mircea Eliade "From Primitives to Zen": African High Gods
DVDで「プライドと偏見」を見る。
 
2013年9月4日。水曜日。雨後晴れ。
朝から、いや、昨夜から激しい雨。台風の接近にともない風も少し。6時過ぎに起きる。夜の間も激しく降っていたようである。いつまでも空は暗く、時折雷もなった。
9時過ぎに台風17号は温帯性低気圧になり消滅。しかし昼頃までは雨風は強かった。
昼ご飯を食べて、ベッドで本を読んでいたら寝てしまい、3時過ぎに目覚めた。よく晴れていた。歯科医院へ。6ヶ月メンテナンス。帰りに図書館に寄る。帰って夕食。その後庭木の剪定と草取り。段ボール2箱。まだ蚊がいる。ナツメの木にカマキリがいた。
カマキリは夏のおわりに何思う?
「天皇の世紀一」、黒船渡来四。ペリー二度目の来航。ついに鎖国は終わった。
他に、
堀辰雄「雉子日記」
宮沢賢治「秋田街道」
新美南吉「赤とんぼ」など。
 
 
2013年9月5日。木曜日。晴れ。
久し振りに雨を忘れた気候が戻ってきた。季節ははや秋。おおむねさわやか。
夜中にミステリーがあった。冷蔵庫の異常音のような音で目覚めた。4時前である。台所へ行って水を飲むも、冷蔵庫は静かに運転を続けている。先ほどの音とここは関係ない。戻ると、また低いブヨーンというような音が小さくしている。家の外に車がエンジンをかけたままでいるのであろうか。あるいは床下換気扇のタイマーが狂って、おまけに故障でもしたのだろうか、と思いながら、勝手口を開けて外を見る。何も異常はない。静かな夜である。おかしいなと思いながら、二階に通じる階段の下についているドアを開けてみる。音がする。誰もいない二階からの音だとわかった。気持ちが悪いが、ほっておくとさらに気持ちが悪くなる。勇気を出して階段を上がる。音は益々大きくなる。でも、逃げるわけにはいかない。上がったところにある二階の廊下の電気のスイッチを入れる頃には、最初の部屋から音がしていることはうすうす感じた。突進した。掃除機が音を立てていた。スイッチは「切」のところにあるのに、ブォーンと唸っている。急いでコンセントから電源コードのプラグを引き抜いたら、音はやんだ。「切」の状態でひとりでに回路が作動したのだろう。解決。
真夜中に掃除機動く晩夏かな
午後、元の勤務先訪問。帰りに郵便局。
「天皇の世紀一」、野火一。ペリー二回目の渡航のとき、既にアメリカに載せていってもらおうと思い実行する男がいた。吉田松陰である。その情熱と行動が記される。そして松陰の教養が古いもので、高野長英、渡辺崋山などの教養・考え方と異なることが冷静に記される。松陰の空回りする情熱と行動を狂気などとは書かない。
他に、
和辻哲郎「「自然」を深めよ」「『偶像再興』序言」
堀辰雄「曠野」
新美南吉「あし」
宮沢賢治「あけがた」 など。
 
2013年9月6日。金曜日。晴れ。
朝6時に起きる。朝食後、プラゴミを捨てて散歩。約2000歩。帰って新聞を読んでから、庭の草木の剪定。虫除けスプレーをかけてしたので、蚊の被害なし。
「天皇の世紀一」、野火二。アメリカ密航未遂の松陰は萩幽閉となり江戸より護送される。そして、有名な松下村塾での薫陶となる。中身ではなく情熱・誠意の感化のようである。野火のようなもので隣りに火を移し自らは焼け尽きると書く。
「天皇の世紀一」、野火三。松陰の話は前節でおわり、東北南部藩の百姓一揆並びに飢饉・飢餓の話に変わる。後半は橘南谿の見聞記からの引用。  
「天皇の世紀一」、野火四。南部藩の大規模一揆。藩境を越えて仙台藩へと入り強訴する。
「天皇の世紀一」、野火五。いわゆる、武士の家計簿。徳川幕藩体制の経済的欠陥が記される。
残り百頁ほど。急に面白くなってきたのではない。返却期限が迫っているので、大慌てで読んでいるところ。続けて読む方が面白いのも確か。「天皇の世紀」が終わったら、次は「遠い崖」を読んでもいいかなと思う。
他に、
和辻哲郎「すべての芽を培え」「人物埴輪の眼」など。
 
2013年9月7日。土曜日。曇り後雨。
因島へ。老婆を歯科医院へ、老父を眼鏡店へ連れて行く。掃除と庭木の剪定。ウバメガシを大幅にカット。来年はもっと剪定時間が減るだろう。夜になって小雨。
「天皇の世紀一」、厄介丸。厄介丸というのは徳川斉昭が作った戦艦で、うまく走らないのを人々が茶化して呼んだ名。まさに斉昭その人もまた幕府にとっては厄介丸であり、この章のタイトルとしてピッタリ。大佛さんの阿部正弘に対する評価はそんなに高くないのかと思っていたら、違った。最後になって最大級に、それも感情的ではなく、淡々と評価されているのには驚いた。ともあれ、やっと大佛次郎「天皇の世紀一 黒船」(朝日新聞社)を終わった。なお、これは私が高校生の頃朝日新聞に連載されており知っていたが、歯が立たなかった。
 
2013年9月8日。日曜日。雨の後晴れ。
暗いうちに目が覚めた。少し読書。明るくなって庭木の剪定。バサリバサリと枝ごと切っていく。兎に角剪定にかける時間を減らしたい。
7年後のオリンピック開催地が東京に決まった。おめでたいとは思うが、二つほど気になる。ひとつは東京にばかりよい設備を作ると大地震で壊滅したときもったいない。やはり何もかも東京に集中しないで、名古屋とか大阪に分散してお金を使うべきだ。二つ目は、文部科学省がスポーツ振興の予算を追加するとか。馬鹿な話だ。そんなお金があるのなら、東日本復興に当てるべきだ。
 
2013年9月9日。月曜日。晴れ。
5時に起きる。古い書類、雑誌等の燃えるゴミを出す。約2000歩散歩
図書館に行って、「天皇の世紀一」を返し、二を借りてくる。
「天皇の世紀二 大獄」、地熱一、二。阿部正弘亡き後、堀田正睦が老中の中心となる。そして、勅許を求めて、勘定奉行川路左衛門と目付岩瀬忠震を伴い上京する。
他に、青空文庫で、
和辻哲郎「『青丘雑記』を読む」、「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
吉川英治「三国志 序」
新美南吉「明日」、「あとがき――『おぢいさんのランプ』後書――」、「飴だま」など。
 
 
2013年9月10日。火曜日。晴れ。
6時過ぎに起きて新聞を読んで朝食。そして散歩。2200歩。少し肌寒いが快適。すっかり秋の気配。昨日、ヒガンバナの茎が伸びてきているのを発見。例年より早いかもしれない。
「天皇の世紀二 大獄」、地熱三、四。意外にも、というのは読者である私にも、堀田正睦にとっても意外なことに、勅許は拒否される。堀田正睦としては立場がない。もともと、朝廷を無視してきた徳川幕府なのだから、ここで勅許というのもおかしいのだが、これでは権力関係が逆転してしまう。それほど、末期の幕府は衰退していたわけだ。
和辻哲郎「世界の変革と芸術」、「創作の心理について」
 
2013年9月11日。水曜日。晴れ。
6時半に起きて朝食と散歩は昨日と同じ。
朝買い物。午後、「硫黄島からの手紙」をDVDで見る。
昨日より暑くなった。夜になって暑い。10時頃少し涼しくなった。星を見に出てみるも、曇っていて夏の大三角形が見え程度。
「天皇の世紀二 大獄」、地熱五(p.60まで)。いよいよ井伊直弼の登場。とはいえ少しだけで師の長野義言の活躍が記される。梅田雲浜らの勤王の志士が必ずしも貧乏でなかったというのは面白い。
 
2013年9月12日。木曜日。晴れ。一時雨。
いつものように6時過ぎに起きて朝食散歩。約2000歩。
午後、リーデンローズで松竹歌舞伎。中村吉右衛門主演「伊賀越道中双六 沼津」他を観る。帰ってみると道路が濡れている。にわか雨が降った模様。
「天皇の世紀二 大獄」、地熱五。堀田正睦らの朝廷工作は実を結ばず、その結果と呼応して政権移動があり井伊直弼が大老となる。まず、反徳川斉昭の立場から一橋慶喜の将軍継嗣を押しとどめる。
 
2013年9月13日。金曜日。晴れ。
今日も朝食後散歩。2300歩。蒸し暑いので朝からエアコンを入れる。
「天皇の世紀二 大獄」、地熱五。大老井伊直弼の下で、条約は調印される。勅許を得ることなく。これに反発するのが一橋慶喜。違勅だと井伊直弼を攻める。しかし、それをうまくかわすところは、やはりそれまでの苦労で培った忍耐力だろうか。そもそも一橋慶喜の尊皇攘夷思想はおかしい。仮に攘夷は認めても、尊皇というのは、民間人の思想であって、幕府側の思想ではないはずだ。朝廷を政治から遠ざけるというのが家康以来の方針ではなかったか。尊皇攘夷思想の根元のところが御三家の一つ水戸から出てくるのもおかしいことだ。尊皇攘夷、いや尊皇というのなら政権を朝廷に返せばいいことになる。事実、慶喜が将軍のときにそうなったのだが。慶喜という人は、なかなか聡明な人であったようだが、尊皇思想と徳川幕府は相容れない。だから、戊辰戦争のとき、朝敵になることを懼れて逃げだすということがおこった。将軍になってはいけない人だったのだ。徳川慶喜の最大の業績は、明治になってなにもしなかったことだ、とあるフランス人が言ったそうだが、その通りかもしれない。安政の大獄で人気のない井伊直弼であるが、ここまでは彼のほうが筋が通っている。
 
2013年9月14日。土曜日。晴れ。
6時過ぎに起きる。昨日と同様薄い霧。蒸し暑い。2000歩の散歩。彼岸花が咲いている。
午前中井原。午後因島。海の上は霧が濃い。文字通りの東奔西走。老母を歯科医院へ。そして老父の眼鏡を取りに行く。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.148まで)。井伊大老の逆襲が始まる。不時登城ということで御三家に謹慎を申し渡す。権力争いに法律が必要なことは常識だが、違勅に対して不時登城だから、これを切り崩すには、次は手続きの違法性を衝くのが原則であるが、より権力の中心にあるほうが有利だというのは、これまた歴史の常識。
夜も蒸し暑く、このところ連日連夜エアコン作動。10時を待たず寝る。
 
2013年9月15日。日曜日。雨。
朝から雨。散歩もできず。台風の影響で少し風がある。雨は強くはないが、ほとんど止まない。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.174まで)。反大老の動きが活発になる。特に京都で。尊皇攘夷に対して井伊直弼の弾圧が始まるその背景がますます緊迫したものになる。それにしても、徳川方の特に水戸家で尊皇攘夷というのは、おかしな話だ。外様藩がそのような考えをもち徳川幕府を倒そうというのならわかるが。
他に、
アーヴィング、高垣松雄訳「クリスマス・イーヴ」
幸田露伴「淡島寒月氏」など。
 
2013年9月16日。月曜日。晴れ。
5時に起きる。朝からやや風が強い。雨はない。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.210まで)。三千人の兵を引き連れて上京してくると噂された島津斉彬が急逝する。歴史の流れがまた変わる。安政の大獄と呼ばれる悲劇を回避する大きな道が断たれたことになる。そして、京都の尊皇攘夷派たちは水戸に期待をかける。また、水戸藩士の軽率な行動を間に受けて謹慎を解いて幕府を助けるようにという勅諚が出される。取りようによっては幕府を倒せともとれる。そしてそれに興奮して熱狂する水戸藩士の狂態が描かれる。安政の大獄への流れは決まってしまった。
他に、
H・R・ハガード原作、横田順彌文「ソロモン王の洞窟」(講談社・世界の冒険文学10)
和辻哲郎「地異印象記」
宮沢賢治「イーハトーボ農学校の春」
新美南吉「一年生たちとひよめ」「一れつ」
DVDで「地球の静止する日」 など。
安政の大地震は今なお古老の口から、あるいは当時の錦絵から、あるいはその他の記録から、我々の耳に新しい。東京が地震地帯にある危険な土地だということはすでに古くより知られたことである。水道を建設するとき、すでにこの水道が地震による大火に対して効力なきものであることは反省されていなければならなかった。日清戦争後、特に日露戦争後、急激に東京が膨脹(ぼうちょう)し始めたとき、この木造建築の無制限な増加が大火に対していかに危険であるかはすでに顧慮さるべきはずであった。
関東の地震はほぼ周期的に起こるものであって、追々(おいおい)その時期が近づきつつあるとの学説を伝え聞いたのは、もう十年ほども前であった。その後自分は近き将来に起こるべき関東大地震の可能性については疑いを抱かなかった。大本教が大地震を予言したときにも、その予言の根拠に対しては信頼を置かなかったが、しかし近き将来に大地震が起こり得るという点だけには同ずることができた。ことにこの二、三年来、頻々(ひんぴん)として強震があったことは、自分に不安の念を抱(いだ)かせるに充分であった。
和辻哲郎「地異印象記」
 
2013年9月17日。火曜日。晴れ。
台風一過。快晴。6時半に起きて朝食。散歩、2000歩。青空が広がる。やや肌寒い。
因島へ。やっとエアコンを切って走ることができた。空気も澄んでいる。向島に入る手前で四国山脈がくっきりと見える。珍しいことだ。夕暮れ時に、こちらに戻るときも、窓を開けて走った。しかし、途中で寒くなって閉めた。一週間ほど前の気候が信じられないほど、季節は動いている。そして、空には見事な十三夜の月。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.228まで)。いよいよ安政の大獄が始まった。しかし、井伊直弼は正面には出てこない。元国学者で、井伊直弼の師であり、今はブレーンとして、そして策士として京都で活躍している長野主膳の活躍が描かれる。染川星巌は、逮捕される直前にコレラで死ぬ。梅田雲浜がまず逮捕される。そしてその時点で萩で幽閉されている松陰も危険人物だと幕府側はつかんでいるから、不思議だ。権力機構というのはまだ働いていた。
他に。
和辻哲郎「月夜の東大寺南大門」など。
 
 
2013年9月18日。水曜日。晴れ。
朝朝食後歩く。寒いといってもよいほど。でも、日中は暑くなるのだから、やはり朝歩いておくのがよいのだろう。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.254まで)。見事なまでの幕府側の追求。釈月性を匿うために薩摩に帰る西郷を待っていたのは体制の激変で保守派が主流になり、匿うどころではない。両人は入水するが、西郷は生き返る。運の強い人だ。
他に、
内藤湖南「維新史の資料に就て」
黒島傳治「愛読した本と作家から」など。
 
 
2013年9月19日。木曜日。晴れ。
秋晴れ。朝食後散歩。日射しは強い。中秋の名月。久し振りに見事な快晴で満月が美しい。
庭の至る所に出てくる彼岸花の赤色が鮮やか。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.279まで)。上京中の老中間部詮勝がやっと公家と会う。そして条約の説明が曖昧で天皇は不快を示す。それでも納得してもらうために、公家の下働きの者などを次から次へと逮捕して外堀から埋めていく。やっと条約改正のことを認めてもらい間部詮勝の役目は終わったが、江戸には帰れない。公家方の反幕府勢力の一掃を井伊直弼は指示する。懐刀の長野主膳と、江戸の腹心宇津木六之丞らの活躍が効を奏して、反九條関白派を辞職させて、安政5年は終わる。
他に、青空文庫で
阿部次郎「帰来」
和辻哲郎「寺田さんに最後に逢った時」「寺田寅彦」など。
ビデオで「紅の豚」を見る。単純明快でよい。
 
2013年9月20日。金曜日。晴れ。
本日も快晴。朝食後散歩。夜、古文書講座。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄(p.303まで)。反幕府派の公家が正式に辞職が認められたのは4月になったが、幕府はさらに水戸に宛てて出された勅諚の回収まで企図する。江戸に送られた、京都で逮捕された公家の家来たちの取り調べについて、井伊直弼の容赦のない力が示される。さらにまた、条約にしたがって横浜が開港した。時代は進む。
他に、
堀辰雄「春淺き日に」「モオリアックのこと」「近況」
和辻哲郎「停車場で感じたこと」 など。
 
2013年9月21日。土曜日。晴れ。
朝から因島。老母を歯科医院へ連れて行く。大潮で満潮に近い海岸は道路の高さにまで海水が迫り。秋空のもと海と島と空のコントラストが絶妙。美しい。
日中暑い。夜になっても暑い。でもエアコンは入れない。返りの車は、窓を開けて走った。先週は窓を開けると寒かったから、また暑さが戻ってきているのだ。
「天皇の世紀二 大獄」、大獄。周囲の反対にもかかわらず井伊直弼の、水戸へ処罰は厳しく行われる。徳川斉昭を水戸への永蟄居、安島帯刀などの刑死。さらに橋本左内になると、一橋慶喜擁立だけで、死刑である。さすがに、橋本左内、吉田松陰らまで刑死させると、幕府内部からも反発があったようだ。
 
2013年9月22日。日曜日。晴れ。
5時半に起きる。朝食後散歩。約2000歩。
今日も暑い。夜になっても27℃もある。台風20号も発生していることだし、少しずつ気候は変わっていくだろう。
「天皇の世紀二 大獄」、反動。勅諚の回収が水戸藩へ伝えられると、藩兵の反発で、収拾がつかなくなる。勅諚返却に反対する者たちへの締め付けが厳しくなったとき、脱藩したものたちがいた。示し合わせてあったのだろう。後の、桜田門外の変の襲撃者たちである。そして、それは成功する。そのことは当然大老側にも想定していたことではなかったか。探査方に手抜かりはなかったのか。
これで、大佛次郎「天皇の世紀二 大獄」(朝日新聞社)が終わった。ちなみに昭和44年3月の発行。遠き日々を思い出せば、高校卒業まであと1年というところ。この年の1月に「春の雪」、2月に「奔馬」が出版された。
他に、
和辻哲郎「土下座」「藤村の個性」
堀辰雄「尖端人は語る」「(芥川龍之介の書翰に就いて)」
學而第一(The Project Gutenberg EBook of Lun Yu, by Fu Zi Kong)
ビデオで「忠臣蔵外伝四谷怪談」 。
 
2013年9月23日。月曜日。晴れ。
7時にタクシーで家を出て、7時半にバスツアーに合流。一泊二日の旅。
今日は山陽道、中国道、名神高速、東海北陸自動車道、中部縦貫自動車道を経て、高山市まで行き、乗鞍スカイライン(15:40)で、畳平駐車場(16:05)まで。畳平は2702mで気温8℃。乗鞍岳の最高峰の剣ケ峰3026mは見えないが、コロナ観測所のドームが見える。15分ほどで登れるという魔王岳(2763m)などの山、お花畑、池などに囲まれた駐車場。魔王岳に登ればもっと眺望もよいのだろうが、膝のことも考え、周辺を1時間ほど散策。鶴ヶ池とお花畑にいたのは雷鳥か? いやホシガラスなのかも知れない。
乗鞍スカイラインはマイカー規制があり、連休最終日の夕方でもあり大きな混乱はなかった。泊まりは奥飛騨温泉の一つ平湯温泉。本日の歩行数は11000歩。
乗鞍高原はかつて2度来た。でもこちらの畳平・乗鞍スカイラインははじめて。
 
2013年9月24日。火曜日。晴れ。
朝7時40分出発で、新穂高ロープウェイへ。こちらもはじめて。新穂高温泉駅(1117m)から第1ロープウェイで銭平高原駅(1305m)へ。この間4分。少し歩いて、しらかば平駅(1308m)から2階建てゴンドラの第二ロープウェイで西穂高口駅(2156m)。この間7分。観光客が多く、定員45人、121人のゴンドラは上り下りとも満員。頂上駅展望台からの眺望も素晴らしい。焼岳山頂が雲の中。西穂高と槍ヶ岳などはくっきりと見えた。帰りは二階に乗れた。外の景色は変わらないだろうが、揺れが少し小さい。当たり前。
ここを出て次は上高地。上高地は3度目。トンネルが新しくなっていた。かつてきた時は、大型バスでは入れないので、上高地がルートに入っているときは一ランク下のバスにするとか聞いたのは遠い昔。そして、これが三度目だが見納めだと覚悟。もう来ることはあるまい。以前来たときはいずれも真夏で外気温が高く梓川の水が冷たく感じたが、今日は外気温が低いせいか、そんなに冷たく感じなかった。それに水量が多かった。河童橋も大正池もしっかりと見てきた。
12時40分に出て、あとはひたすら逆路を帰って、家についたのは9時前。今回は密度の高い自然派の観光だった。黒四立山も、霧ヶ峰も、いつも晴天に恵まれているので、やや当たり前のようになっているが、今回も最高の日和で高い山々がくっきりと見え、偶然とは言え、最高の天気だった。黄葉・紅葉には少し早いが、混み合い長い待ち時間を思うと、これはこれでよかったのではなかろうか。

2013年9月25日。水曜日。晴れ。
明け方少し寒い。昼間は暑いが、午後曇ってくる。関東へ接近中の台風20号の影響か。
「天皇の世紀三 有志者」、異国一、二。アメリカに向けて日米修好通称条約批准使節が、アメリカ船ポーハタン号で出航する。その使節の雑用品を運ぶのに航海実習を兼ねて有名な咸臨丸がそれよりも五日早く、出航する。勝海舟が館長だが、提督は木村摂津守喜毅で、その付き人として福沢諭吉がいる。また通訳としてジョン万次郎もいる。この二人がサンフランシスコでウェブスターをそれぞれ一冊ずつ買って帰る。
他に、
J・ベルヌ原作、佐藤さとる文、「神秘島物語」(講談社・痛快世界の冒険物語5)了。
和辻哲郎「能面の様式」「麦積山塑像の示唆するもの」
堀辰雄「「青猫」について」「或外國の公園で」
など。
 
2013年9月26日。木曜日。晴れ。
5時に起きる。昨夜の風は収まっているが、雲多し。朝食後、いつものようにに2200歩ほど散歩。
気温があまり上がらず、県内でも30℃を越えたところはなかった模様。日が暮れると益々寒くなり早々と窓を閉める。
「天皇の世紀三 有志者」、異国三、四、五。日米修好通称条約批准使節がパナマ運河を経てワシントンに向かい、大統領に親書を渡す。帰りは喜望峰を周り、香港を経て帰る。
他に、
R・L・スティーブンソン・原作、宗田理・文、「宝島」(講談社・痛快世界の冒険文学6)了。
和辻哲郎「『劉生画集及芸術観』について」「ベエトォフェンの面」「松風の音」「転向」
勝海舟「大勢順応」 など。
 
2013年9月27日。金曜日。晴れ。
6時過ぎに起きる。朝食後散歩。長袖を着ていても寒い。つい先日まで日陰を選んで歩いていたのだが、今日は反対の日なたを選ぶ。窓を開けることなく、日射しを入れてちょうどよい気候。
「天皇の世紀三 有志者」、黒い風、一、二、三。桜田門外の変の後、ほどなくして徳川斉昭も死ぬ。アメリカ公使館通訳のオランダ人ヒュースケンが刺殺される。幕府の対応は生ぬるい。英国公使オールコックは江戸から横浜へ退去するが、ハリスは江戸に居続ける。そして、幕府へ進言したりする。元商人というだけあって、並の外交官ではないのだ。
他に、
和辻哲郎「文楽座の人形芝居」
渡辺温「ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった」
三木清「軽蔑された飜訳」
など。
 
2013年9月28日。土曜日。晴れ。
5時半に起きる。やや寒い。7時半に出て因島へ。老母の通院。
剪定。とっいっても枝をバサッバサッと切るのばかり。電動チェンソー、電動丸鋸、電動刈り込みばさみを使い分けて。
和辻哲郎「霊的本能主義」だけ。
 
2013年9月29日。日曜日。晴れ。
3時半に起きる。オリオン座と双子坐。木星と火星か? 5時から電灯をつけて剪定。途中朝食を10分ほどとり、10時まで。日射しがきつい。予想外の暑さ。
5時前に出て、福山へ。しまなみ、山陽道ともに空いている。
8時前に寝てしまう。
 
2013年9月30日。月曜日。晴れ。
3時半に起きる。朝食後、散歩。昼前に仮眠。
午後、「千曲川旅情のうた」の拓本を額装したものが出来上がったので、取りに行く。この拓本は小諸の藤村記念館で30年ほど前に買ったものだが、行方不明になっていたものである。いろいろと「終活」に近い思いで、古いものを捨てていたらでてきたものである。藤村自筆の詩碑の拓本である。かなり大きく。狭い夕凪亭には不釣り合いだが、エッシャーの「WATERFALL」を押しのけて、無事鎮座した。拓本を入れていた封筒によると、小諸市字本丸裏 小諸市立藤村記念館 ということで昭和57年3月5日の日付がある。
「天皇の世紀三 有志者」、黒い風、四。東禅寺事件のことで英国公使オールコックと幕府との関係は最悪の状態になっているとき、ロシア艦隊が対馬に上陸し、勝手に家など建てている。これに気づいたイギリスの行動が素早い。さすがに大英帝国を築いた辣腕ぶりを発揮して簡単にロシア軍を撤退させて、以後もそのようなことをさせないように釘をさすのだから、見事である。これは日本のためになった。
他に、
三木清「自己を中心に」「西田先生のことども」
西田幾多郎「世界新秩序の原理」
など。
 
 
今年84冊目。
阿刀田高・文、「アーサー王物語」(講談社・痛快世界の冒険文学12)。
今年85冊目。
大佛次郎著、「天皇の世紀一 黒船」(朝日新聞社)。
今年86冊目。
H・R・ハガード・原作、横田順彌・文、「ソロモン王の洞窟」(講談社・痛快世界の冒険文学10)。
今年87冊目。
大佛次郎著、「天皇の世紀二 大獄」(朝日新聞社)。
今年88冊目。
J・ベルヌ・原作、佐藤さとる・文、「神秘島物語」(講談社・痛快世界の冒険物語5)。
今年89冊目。
R・L・スティーブンソン・原作、宗田理・文、「宝島」(講談社・痛快世界の冒険文学6)。
 
 
 
映画等
今年17本目。
「プライドと偏見」
今年18本目。
「硫黄島からの手紙」。
今年19本目。
「地球の静止する日」 。 
今年20本目。
「紅の豚」。
今年21本目。
「忠臣蔵外伝四谷怪談」。