2019年7月14日日曜日

夕凪亭閑話 2014年4月

2014年4月1日。火曜日。晴れ。
春の日がまぶしい。最高気温19℃。朝と夕方散歩して9204歩。満開の桜が夕陽に映えてピンク色に輝いていた。
 
失敗であった。朝令暮改の弁。
人生の残された時間のことを考えて、読書の対象を選択し集中するということで、論語、聖書、プラトン、仏典をメインとしてそれらと関連書籍を読んできた。実に充実した時間であったが、一つ悪いことに気が付いた。これまでの雑多な読書に比べて使用している脳の範囲が極端に狭まっているのだ。これは脳の活性化に反するものである。すなわち老化を招くパターンである。これではせっかくの努力が水泡に帰す。しかし、選択と集中は必要なことである。・・・折衷案をとろう。集中度を弱める。ということはまた選択度も弱めるということである。せっかく決めたことをもう崩すのかということになる。敢えてそうしよう。朝令暮改の誹りを覚悟に上で。
NKJ/新共同訳で「マルコによる福音書」を終わった。また、「維摩経」で「第八章 仏道」を読む。
 
 
2014年4月2日。水曜日。晴れ。時々小雨。
朝から海の家。色々動いて、6941歩。夕刻、福山へ。日没後東の空で輝くのは土星だろうか。
渡辺照宏「仏教 第二版」「Ⅲ 仏陀以前のインド」。また、「維摩経」で「第九章 不二の仏門に入る」「第十章 香積仏」を読む。 
 
 
2014年4月3日。木曜日。晴れ。夜雨。
朝昼夕と歩いて合計10927歩。暖かい。満開の桜が散り始めた。夜の雨に耐えてくれればよいが。
「維摩経」で第十一章から第十四章まで読む。以上で中村元訳「維摩経」(筑摩世界古典文学仏典Ⅱ)を終わる。
 
 
2014年4月4日。金曜日。雨後晴れ。強風。
満開の桜に無惨な雨と風である。しかし、よく持ちこたえて、まだ大部分が残っている。気温が低いせいかもしれない。元気な桜の花に比べて、こちらは戻り寒波に意気消沈である。朝は当然雨なので歩けないにしても、昼も強風に尻込みし、夕方少し歩くものの匆々に退散である。悲しいことに2699歩。
そろそろ炬燵をしまいたいところであるが、やはり寒いときは首まで入り、うつらうつららと春の日を送るのがいいようである。
渡辺照宏「仏教 第二版」「Ⅳ 仏陀の生涯」。複雑で覚えきれない。覚える必要はないのだが・・。
「法華経」で「譬喩品 第三」。現代語訳である。
 
 
2014年4月5日。土曜日。曇り時々雨。
春はどこへ行ったのだろうか。風が強く寒い日。春の嵐というには、あまりにも春らしくない。結局、朝も小雨で散歩せず、小雨の中を海の家へ。あまり動かず2901歩。
渡辺照宏「仏教 第二版」「Ⅴ 仏陀の弟子たち」。出家と在家が既に別れていた。在家は慈悲という今では仏教の中心となる行為を行う。
「法華経」で「授記品 第六」。
 
2014年4月6日。日曜日。曇り時々晴。
風が冷たく、今日も非行動的。結局、3956歩。
「Ⅵ 聖典の成立」「Ⅶ 仏陀の理想をめざして」を読んで、渡辺照宏「仏教 第二版」(岩波新書)を終わる。再読。
 
2014年4月7日。月曜日。晴。
7時前に家を出て、7時半発のバスツアーで奈良・吉野山の桜を見に行く。12時過ぎに着いて、3時半に出発。14℃から17℃。11322歩。
夜、因島へ。
 
2014年4月8日。火曜日。晴。
昼過ぎ、向島経由、R2で福山へ。福山は20℃を越える。昼過ぎ散歩。6170歩。
夜、海の家へ。
 
2014年4月9日。水曜日。晴。
海の家にて。暖かい日。
昼過ぎ、向島経由、R2で福山へ。今日は昨日よりもさらに暖かく、正午には20℃を越える。買い物へ。昼寝。そして散歩。合計、9846歩。
夜、息子からXPの買い換えを促すメール。見積もりを頼む。
小塩力「聖書入門」(岩波新書)。「聖書と世界」。聖書関連本はそれこそ山のようにあるのだと思う。クリスチャンでない私にはとりたててこれを読まないというような義務感はないので、どれを読んでもよい。ということは、どれも読まなくてもよい、ということになる。それでも、若い頃に買った本が何冊かあるので、少し読んでみよう。「神曲」「楽園喪失(失楽園)」「ファウスト」が例示されキリスト教精神とギリシア・ローマ古典的世界の対峙せしめたものだという。「神曲」は挫折、「失楽園」は未読。関連本として読むのもよいだろう。
 
2014年4月10日。木曜日。晴。
朝散歩。散った桜の花びらが、赤味がかかって美しい。夜が寒いせいか、木にはまだまだ残っている。昼過ぎ、海の家へ。17時過ぎに出て、福山へ。今日は5333歩。
東奔西走の逆で西奔東走していると、街や山や海の眺めは楽しいが、本がやめなくなるのがよくない。暖かくなったので脱炬燵を目指し、青空文庫の乱読なども再開してもよいかなと思う。
 
 
2014年4月11日。金曜日。晴。
朝、散歩。歯科医院へ。半年ごとの検診。ホームセンターへ。昼前に出て、海の家へ。
18時10分に出て、昨日と同じルートで福山へ。鹿島橋(芦田川)手前から福山駅前まで渋滞で、結局1時間20分かかってしまった。平日のこの時間は避けなければ。
夜は、早々に寝る。本日7256歩。
 
 
2014年4月12日。土曜日。曇り。
桜は半分以上が散ったが、木にはまだかなり残っている。朝、散歩。それからずっと炬燵の中。昼前に内科医院へ定期通院。午後も炬燵の中。大部分が睡眠。夕方散歩。夜、雨が降る予報であったが、結局降らなかった。本日、7412歩。
 
 
2014年4月16日。水曜日。曇り。
西走東奔の日々である。事情は世間によくあることと同じである。すなわち、親の介護である。ただ、私の場合は親と子の年齢があまり離れていないので、退職後1年にして、その問題に直面したということである。世間では朝日新聞に書いていたように50代の中堅社員の多くが同じような問題に直面しているのだろう。
年齢が接近しているということは、現在の親の姿は遠くない未来の自分の姿でもある。だから、日々の行動はより詳細に記録しておくべきではあるが、それを今ここに公表する気持ちはない。
午後、歯科医院へ。
読書もまた、進まない。自由な時間は鼾をかいて寝ている。本を片手に寝ているのと、本を持たずに寝ているだけの違いではあるが。
小塩力「聖書入門」(岩波新書)。「Ⅱ 旧約聖書」。新書にしては盛りだくさんである。すべては読めまい。

 
2014年4月17日。木曜日。晴れ。
春爛漫である。
Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow, と言うのは、マクベスであるが、明日も、明後日も、その次の日も・・・と書けば、絶望に近い日々が続くような感じだが、私のはまだまだ絶望とはほど遠い。鼾をかきながら昼寝するのと釣り合うほどのくたびれである。絶望とは呼ばない。だけど、展望はない。
 
 
2014年4月18日。金曜日。雨後曇り時々晴れ。
今日は「カイゴ」の仕事は弟がしてくれるので、久々の休日です。とはいえ、昼間病院でする用事が2件あったので、それを済ませてからです。午前中、時間があったので散髪に行き、さらに時間があったので懐かしい土地を訪ねました。因島の南側に卒業した高校があり、峠を越えて三庄へ行く道はマラソン大会で三回走っているはずだが、記憶は一度しかない。それはよいとして、かつて三庄の港があった辺りまで旧友を訪ねて行ってきました。昔は広いと思った道路が、あまりにも狭く感じるのは、島の道路の宿命でしょうか。時とともに道路は広くなったのに島の道路は広くなりようがないのです。いや、それでも無理をして広くなってはいるのでしょうが、印象は記憶よりも狭く感じるのです。もう40年以上も経っているのですが・・・。

 
2014年4月19日。土曜日。晴れ。
HemingwayはThe Old Man and the Sea で主人公にKeep my head clear , I am a tired old man. ・・・と語らせます。私も60をとっくに越え、孫もいるし、毎朝2錠の薬を欠かさず飲んでいるので、立派な老人です。いや、行いは立派ではないにしても正真正銘の老人です。ですから世間で言う「老老介護」とはちょっと異なるとはいえ、そう呼んでもおかしくはないのです。そして、私もKeep my head clear ! と言いながら出発です。 Keep my head clear ! Keep my head clear !
小塩力「聖書入門」(岩波新書)。「Ⅲ 新約聖書」。福音書というのは、報道、公示などの流れにおいて生じた事実報道のことだと書いてある。信仰に基づくものではあるが。
 
 
2014年4月24日。木曜日。晴れ。
初夏を思わせる陽気。23℃になっていた。
Hamletは言う。
To be , or not to be - that is the question;
ローマ字的に読めば、飛べ、降りるな 飛べ 座頭市坐化粧 というところか。
生か死か それが問題だ、とか 生きるべきか死ぬべきか・・などというのがほぼ定番のようだ。その次が、あるべきか あらざるべきか などと訳されたら、ますますわからなくなる。
今日は、留まるべきか 留まらざるべきか それが問題だ としておこう。
進むも地獄 留まるも地獄 というのは百姓一揆のこと。幕末の水戸の天狗党や、昭和の二二六事件は留まったことによる悲劇だった。三島由紀夫さんが「行動学入門」に書いてあるように、行動というものは一度始まると止まらなくなるものであるらしい。無理に止めることはエネルギーのロスだ。
留まるべきか 留まらざるべきか それは問題ではない。留まってはいけない。
少し前、小塩力「聖書入門」(岩波新書)を終わった。
 
 
2014年4月25日。金曜日。晴れ。
今日も朝から快晴。GWを歓迎するかのような陽気。
私は本来無神論者であるが、かすかに私が信じる神は、もちろんキリスト教の神とは異なる。その神が、昔、四本足動物を創った。そのなかで、猿の仲間のうち好奇心の強いものが後ろ足で立った。すると前足の自由度が増した。それを他の仲間たちが真似た。前足で物を掴んだりするとともに頭が90°回転すると、大脳が発達した。それと引き換えに腰痛が伴った。この二本足歩行をする動物は自らを人類と呼んだ。
本来が4本足歩行をするようにできていた骨格で二本足歩行を行ったことは、神の掟に背くものであった。これが人類が最初に犯した罪である。(神の掟に背くのは、何となくアダムとイヴの罪に似ているが・・・)。その罪に対する罰が腰痛である。その罪は遠い過去。だが、罰は永遠に続くのである。
だから、板の間に寝そべって、お尻の下にゴルフボールを置いてそこに全体重をかけて、「痛い痛い飛んでいけ!」という呪文を唱えて贖罪に換えるのである。アンメルツ、サロンパスなどは現在の救世主であるが、個体差があるようだ。今のところ私にはインドメタシンが適合している。
 
 
 
今年33冊目。
渡辺照宏「仏教 第二版」(岩波新書)。
今年34冊目。
小塩力「聖書入門」(岩波新書)。
 
 
 
映画等
今年32本目。