2019年7月12日金曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第26回 青木城跡(因島重井町)


多くの本に青木城跡の所在地として重井町龍王山と書いてある。県史跡に指定された時の所在地であるから間違っているわけではない。しかし、地図で見ると重井には龍王山(権現山)というのがあって紛らわしい。権現山には「とおみんさん」と呼ばれる尾根がある。遠見山のことで狼煙(のろし)の見張所の跡であるから間違って訪ねても無駄ではないが、注意が必要である。
永禄12年(1569)因島村上氏六代吉充は13年間いた向島から因島へ戻って、青木城に住んだ。この頃、小早川隆景が三原城の整備に掛かっており、隆景の指示によるものだと言われている。
七代吉亮、八代元充と3代にわたって本城とした。慶長5年(1600)、毛利氏の防長移封に従って因島から去るので、因島最後の30年ばかりが重井時代である。
青木城跡は海に接してないが、周囲は江戸時代に開発(埋め立て)されたところで当時は白滝山側を除いて三方が海に面していたと思われる。山頂の龍王神社の石碑と地王社の小祠の前から竹藪の中を東へ進むと、東の廓の向こうにフラワーセンターと白滝山が見える。長崎城、余崎城と同様に控えの要害だったことがうかがえる。
(写真・文 柏原林造)